偶然か、必然か
室内に通された吟遊詩人は、竪琴を静かに机に置いた。そして、直様衣服を脱ぎ始める。
随分性急な男だと、ガーベラは呆気にとられた。嘲笑したいのを我慢して、必死に柔らかい笑顔を作る。
眺めていると、華奢だと思っていたが、無駄な筋肉のない、引き締まった綺麗な身体をしていた。脂ぎった中年男や、皮と骨だけの老体を多く相手にしてきたので、物珍しくて見入ってしまう。
その食い入るような視線に吟遊詩人が気づき、人のよい笑みを浮かべた。
「旅をしていると、自然と筋肉がつくものです。体力勝負ですから」
「外は、物騒だと聞きました。私はこの街から出たことがないので、外の世界は何も知らないのです」
見事な筋肉美から恥じらうように視線を逸らしたガーベラは、慌てて取り繕う。
「えぇ、仰る通り物騒ですよ。貴女など、すぐに魔物に喰われてしまうだろう」
「御気に障ったらごめんなさい。……危険だと知っていながら、貴方は何故旅をしているの?」
普段なら相槌を打つだけだが、気になったのでガーベラは訊ねた。笑みを絶やさずに、男は開口する。
「自分でも馬鹿だとは思います、命がなければ唄えない。それなのに、何故旅をするのかは私にも分からないのです」
「おかしな人ね」
「本当に。……でも、旅をしたからこそ得られるものが多々あります。貴女のような美しい人に出逢えたことは、何よりの奇跡」
「お上手ね、流石洗練された吟遊詩人だわ」
「本音を告げたまでです」
近づかれ、ガーベラは息を飲んだ。瞳は吸い込まれそうな濃紫色で、黒とは違った妖艶な魅力を宿している。眼力が強いのだろう、釘付けになった。色恋に免疫がない少女ならば、すぐに骨抜きにされてしまう。
しかし、ガーベラは違う。
ここへ来る男の目的は、女の身体。この館の中だけで繰り広げられる、情事。明日になれば、街ですれ違っても互いに気に留めない。
色恋沙汰を演じ、快楽に酔う。そういう相手だと承知している。
「光栄ですわ」
見た目は極上の青年だと認め、惚れたフリをして愉しまねば損だと思った。
しかし、ガーベラが客に求めるものは容姿ではない。一夜であれ、同じ人間として扱ってくれるかどうかだった。
「私はルクルーゼ。貴女の名は、ガーベラと聞いております」
「えぇ、美しい吟遊詩人様。いかにも私はガーベラです。以前、街で見かけましたわ。“ルク”と呼ばれていましたが、そう御呼びしても?」
「構いませんよ」
甘い笑みを零し、髪に指を通しながらルクは囀るように告げる。
「見事な金髪だ。黄色のガーベラの花言葉は『究極の愛と美、されども親しみやすい』だと把握しております。無理な話だと思っておりましたが、いやはや間違っていたようです」
そう言って屈託のない笑顔で、子供のように笑う。
無意識に、ガーベラのこめかみがひくついた。誉められているのか、からかわれているのか、本心が見えない。どうにも気分が悪く対処に困った。
“親しみやすい”は不適切ではないかと、唇を噛む。
「……褒めてくださって、ありがとうございます」
無難に感謝を述べ、営業用の笑みを浮かべる。
ルクルーゼは寝台に寝転がると、シーツを大きく広げた。
「おいで、ガーベラ。冷えるだろう?」
さり気無く誘うあたり、相当女慣れしている。ガーベラは相手を値踏みし、嫣然として近寄った。きっと甘い口づけをして、押し倒されるのだろうと。しかし、布で包むだけで何もしてこない。当惑し、瞳を泳がせる。
「君を所望した理由を話そうか」
ぽつりと零した声に、ガーベラは驚いて顔を上げた。
「指名してくださったのですか?」
「うん。この街へ到着してから二日後、僕は港で君を見かけた」
てっきり館主が決めたものだと思っていたが、違ったらしい。
狼狽していると、つらつらとルクルーゼは語りだす。
「海に向かって唄っていた。その声がとても心に残った、だから捜して会いに来た」
「え?」
ガーベラは赤面した。顔から火が出るほど恥ずかしい、まさか聞かれていただなんて思いもしなかった。唄っている時は夢中で、周囲が目に入らない。
「恥ずかしい……」
早くに目が覚めた日を思い出す。
たっぷりの野菜と茸を刻み、小麦に卵、牛乳にチーズ、オリーブオイルとをよく混ぜ合わせる。それを薄く油を塗った大きな鍋に流し入れ、蒸す。戻る頃には栄養満点の朝食が出来上がっているだろうと、散歩に出た。
早朝は冷えたので頭からすっぽり布を被り、日の出前の海を見つめていた。漣は、折り重なって音を奏でる。
自然の楽器と共に、唄い始めた。
唄といっても、浮かんだ言葉を並べただけ。拙いものを聞かれてしまったと、羞恥心で全身が震える。
「太陽の光を受け輝く金髪は素晴らしいものだった。名を尋ねるのも忘れ、私はガーベラを見ていた。何処かの歌姫だと思ったので、探し回ったけれどもいない。やがて小耳に挟んだ噂は、あどけないが飛び切りの美女がいるという娼館だった」