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真実の愛を抱く娘

 部屋の前で浅い呼吸を繰り返し、扉を見つめる。

 やるせない溜息を吐き、扉に手を添えた。

 アサギに会って、何と言えばよいのだろう。皮肉めいて嗤い、まだ彼の香りが残る自分の身体を抱き締める。

 

「あれ、ガーベラ?」


 その声に大きく身体を震わせ、大きく瞳を開いた。アサギが不思議そうな顔をして立っている。彼女を見た途端、魂が抜けそうになった。


「っ、な、なんでも……っ」

「ど、どうしたの!? 気分が悪いの!? 私の部屋に!」


 自分でも気づかないうちに、ガーベラは泣いていた。零れた涙が床に染みて我に返り、顔を覆う。

 アサギに手を捕まれ、その温かさに驚いた。そして、自分が酷く冷えていることを知った。先程まで、あんなに火照っていたのに。

 強引に部屋に押し込まれ、ガーベラは誘われるままにソファに腰を下ろす。耐え切れず、膝を抱えて丸くなる。

 仄かな光が、部屋を照らす。アサギが地球から持ち込んでいるランプに火を灯した。

 

「今、あったかいお湯を持ってくるね。何処が痛いの? 地球の薬があるから、すぐ飲めるよ」


 コートを脱ぎ、鞄から数種類の薬をポーチから取り出したアサギは、泣き崩れているガーベラを抱き起した。


「落ち着いて」


 嗚咽を続けるその背を優しく撫で擦られ、ガーベラは少しだけ安堵し、重苦しい溜息を吐く。

 途端、アサギが動きを止めた。


「…………」


 妙な気配にガーベラの顔が蒼褪め、心臓が跳ね上がる。

 トランシスの匂いにアサギが気づいたと、直感した。始終傍にいた二人だ、微量な匂いを嗅ぎ分けてもおかしくないと思った。何しろ、身体には彼の体液も付着している。


「辛いなら横になって」


 しかし、普段通りの柔らかな声でアサギは声をかける。看過(かんか)することはできないだろうに、心に荒波がたっているとは思えない様子で驚いた。

 アサギのほうが大人だと、気が弱る。

 

「ご、ごめんなさい。みっともないところを……」


 はらはらと涙を零し謝罪するが、自分でも驚くほどにか細い声に呼吸が狂った。優しくされるほど、自責の念に押し潰されそうになる。眩し過ぎて直視出来ず、清らかな瞳を見つめることが出来ない。

 途轍もなくアサギが、そして自分が怖い。

 目の前の純真無垢な少女が、一体何をしたというのだろう。最悪の行為で、裏切ってしまった。切ない懺悔が襲い掛かり、胃の中の物を吐き出しそうになる。口を押え込み上げた胃液を飲み込み、押し戻す。

 

「掃除すればいいから、吐いても大丈夫!」


 ハンドタオルを取り出しガーベラの口にあてがうアサギは、必死だ。

 

 ……一体何処までお人よしなのだろう。目の前にいる女は、貴女の施しを受けるに値しないのよ。

 

 涙で薄れる視界の中で、柔らかなタオルが目に入る。石鹸の香りがする清純な物に、自分が触れてはならないと判断した。

 穢れてしまう。

 

「ごめ、んなさい、アサギ。わたしは、貴女を」

「しゃべらなくていいよ!? 誰か呼んでこようか、待ってて」


 立ち上がろうとしたアサギの衣服を掴み、強引に引き留める。渾身の力で引っ張ると、そのまま強く抱き締めた。

 薔薇の香りが立ち上るアサギの髪を瞳に焼きつけ、自嘲気味に唇を開く。自分に染みついた匂いを擦り付けるように、押し潰すほど抱擁する。

 

「解る? ()()()()()()()()()()。私から香る()()()()()()()()()()()、気づいているのね?」

「え?」


 アサギの声が、掠れている。

 肯定ととったガーベラは、一際大きく泣き叫んだ。そして、自分が犯した罪を白状する。

 

「私、今までトランシスに抱かれたの」


 吐き捨てるように告げた言葉には、嫌悪感が表れていた。


「抱かれたって、抱擁の意味じゃないわ。寝台で絡み合ったの、アサギと同じように。裸になって口づけをして、互いの身体を舐めまわして、快楽を得た。今でも彼の膨れ上がったモノが、お腹の中に入っているみたい。そうね、アサギの言う通りだった。トランシスはとっても優しいけれど、情熱的。素敵な人だわ」


 アサギは何も言わなかった。暴れることも泣くことも怒ることもせずに、静かに聞いている。

 腹に蠢いていた澱みを吐き出し冷静さを取り戻したガーベラは、アサギの温もりに触れ強張っていた身体が解れた。そうして、流暢に言葉が流れ出す。

 曝け出すことで、気が楽になった。

 

「私、滑稽な嘘をついたの。『アサギは浮気をしている』って、トランシスに言ってしまった。そうしたらね、彼はそれを信じ……私を抱いた」


 ここまで告げ、ガーベラはゆっくりとアサギの肩を掴み身体を引き離す。

 ようやく真正面からアサギを見据える。


「…………」


 アサギは、唇をキュッと真横に結んでいた。同じようにこちらを見つめているその瞳は、普段通り清冽な光を宿している。

 その姿はとても堂々としていて、眩しかった。

 敗けた、とばかりに情けない溜息を吐いたガーベラは涙を拭う。

 

「だからね、アサギ。……()()()()()


 かさついた唇から漏れた言葉に、ガーベラは目を瞠った。一体何を言おうとしているのか混乱しているが、声は唄うように流れ出る。


「貴女に相応しくない、簡単に他の女に乗り換える。向こうの世界で、泣いている女性を何人も見たわ。とびきり可愛らしくて男を知らないアサギに夢中になっていたのだろうけれど、他にも恋人と呼べるような人がたくさんいるの……アサギが知らないだけで。貴女はまだ幼いから、快楽に耽る男を見抜けないのよ。そしてそれを、彼は熟知している。弱みに付けこみ、貪っている」


 ガーベラは焦燥感に駆られ、身体中から汗を吹き出す。

 再び嘘をついた、今度はアサギに。 

 自分の口なのに、飛び出す言葉は他人のモノのようで気味が悪い。何者かに身体を乗っ取られているような気がした。

 

「私が抱かれたことが、何よりの証拠。辛いだろうけど、真実を受け入れて」


 これが本能から来る自己防衛だと気づき、ガーベラは頬を引きつらせる。自分の罪を少しでも軽くする為に、言い訳をしているのだ。

 トランシスの時は嘘だったが、今度は違う。誰にも覆せない証拠がある、身体を重ねたことは真実だ。今も体内には、()()()()()()()()()()


「私は貴女が大切なの。だから彼を止めたかったけれど……出来なかった」


 アサギを救うフリをしている自分に、反吐が出る。

 だが、これで全てが上手くいくと思った。アサギが絶望し、トランシスを突き放せば。彼は自分の犯した過ちに気づき、自責の念に沈む。そこに手を差し伸べれば丸く収まると、狡猾な算段をした。


「トビィは貴女だけを大事に想っている。彼は信頼できる、保証するわ」


 アサギが一人身になるのは耐えがたいし、何より今後気まずいので、他の男を宛がう。適任者はトビィ以外にいない。彼なら上手く慰めるだろうと思った。

 結果的に二人の仲を破局に導いてしまったが、遅かれ早かれこうなる運命だったとガーベラは自身に言い聞かせる。

 自分とトランシスが悪者にされるだろうが、それでも構わなかった。誰に罵られても良い思い出は出来たし、アサギに隠し事をしなくて済む。

 誘い方はどうであれ、トランシスがガーベラを抱いたという事実は重い。


「私は、貴女に幸せになって欲しいの。命の恩人だもの」


 力なく微笑むガーベラの目の前で、アサギは静かに唇を開き軽く息を吸った。

 

「ありがとう、ガーベラ」


 そう言って、やんわりと微笑んだ。信じてくれた、とガーベラは瞳を潤ませる。

 

「でも、ごめんなさい。私は、トランシスの口から本当のことを聞かないと、信じる事は出来ません」

「え……」

 

 予想外の返答に、ガーベラの顔が歪む。驚愕の瞳で見据えると、アサギは普段通り穏やかに微笑んでいた。

 焦って、間抜けなほど裏返った声がガーベラの口から漏れる。

 

「な、何を言っているの!? だって、解るでしょう!? トランシスの匂いが私の身体からするでしょう!? 湯浴みをせずにここへ来たもの、精液だって身体に付着しているし、ほ、ほら、唾液がそこらじゅうに」


 震える手で蒼褪めながら胸元を広げたガーベラに、アサギはそっと手を添え首を横に振った。

 

「トランシスの香りは、します。私の、とっても好きな香りがすることは、さっき廊下で気づきました。ガーベラの言うことは、本当かもしれません。ガーベラが嘘をつくとも、思えません。でも、私はトランシスの口から聞きたいのです」

「会うというの!? あの男に!? ()()()()()()()()()()、貴女を裏切った愚かな男を!?」


 大声で喚き立てるガーベラは、アサギの肩を揺すった。

 

「傷つくのは、アサギよ!? 二度と会わなければいいわ、拒否してしまえばこれ以上傷つかずに済むっ」

「私は、トランシスのことが大好きです」

「アサギっ」

「難しいことは解らないけれど、私がトランシスのことを好きっていう気持ちは真実で、まだここにあるのです。だから、ガーベラ。言うのが辛かったろうに教えてくれてありがとう、……でも、ごめんなさい。私は、明日トランシスとお話します。どうなるのか解らないけれど、それでも、私は」

 

 無心な微笑みを浮かべたアサギはとても美しく気高く、そして健気だった。


「何があろうとも、トランシスのことが大好きなのです」


 ガーベラはもう何も言えなかった。

 力なく両腕を垂らし、目の前にいる無垢な心の持ち主を、ただ茫然と見つめる。

 本当は泣き叫びたいほど辛かったかもしれない、動揺していたかもしれない。小さな身体は、今にも内側から脆く壊れる寸前だったかもしれない。


『私が横やりを入れたところで、亀裂が入ることはないわ』


 ガーベラは聡明な光を湛えるアサギを見つめ、寂しく微笑む。彼女は間違いなく、心の底からあの下衆な男を愛していると認めた。


 キィィィ、カトン、トン、トン。

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