■勇者リョウ
イラストは若草史生さまからのいただきものです!
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特別な時間は終わった。
そうして、平穏な日常が始まる。
それからも時折トランシスを見かけたが、隣には当然アサギがいる。二人でいる時に、割り込む事は出来ない。遠くから会釈をするのが、精一杯だった。
けれど、それでよかった。二人の秘密があるのだから。
ガーベラには分かっている、彼と二人になる機会があることを。
トランシスは、いつか金を返しに来る。大した金額ではないので、別に要らない。しかし、また手を握られる可能性があると思うだけで、心はときめいた。
そんな時が来るのを考えるだけで、楽しいのだ。
「私、病気かしら」
自嘲気味に呟き、まだ彼の感触が残っている手を頬に添える。
それだけで満たされるほどには、恋に狂っていた。
外の冷たい空気に、冬を痛感する。
別の街で公演を終えたガーベラは、久し振りに戻った館で一息ついた。
「やっぱり、ここが一番ね」
大きく伸びをして、先日までの華やかな生活に欠伸をした。
歌姫として名が轟き、何処へ行っても気が休まらない。常に姿勢正しく凛として、やんわりとした笑みを浮かべ続けるのも疲れた。
華やかな舞台を用意してもらい、気分はよかった。しかし、四六時中食事の席が設けられ、堅苦しかったのも事実。用意された部屋も無駄に豪華で、正直眠りも浅かった。
「あの待遇は遠慮したいわ、唄の聴いてくれるだけでいいの」
ハッと目を引く、大輪の花のような歌姫。
世間は、そういう目で見ている。ゆえに、気を抜けない。だらしなく寝台に沈んでいる時もあるが、そんな自分を知られたくない。懸命に作り上げた理想の世界で、必死に自尊心を保っている。
人目がないので、大口を開けて欠伸をしながら、椅子の背に身体を預けた。
「マダーニとアリナは暇かしら。居酒屋で安酒を呑み交わしたい……」
小洒落た食事に高級なワインしか呑んでいなかったので、贅沢な悩みだが一般的な食事が恋しい。
食堂でいつもの温かいワインを作り、置いてあった焼き菓子をいただく。『食べてください アサギより』と一筆添えられていた。マダーニが熱心に教えてくれたので、この程度なら容易く読める。
「美味しい」
様々な形の焼き菓子は可愛らしく、甘さも控え目だ。桂皮を多めに入れたワインと、よく合う。ついつい手が伸び、貪った。
堪能していると、誰かが入ってくる。人が来たのでシャンとし、優雅に微笑んだ。
「アラ、こんにちは。えぇと、リョウ君ね」
「こ、こんにちは」
意外な先客に驚いたのか、リョウが顔を赤らめ会釈をした。
彼は、アサギの幼馴染だという勇者だ。左目下のほくろが愛らしい。接した記憶はほぼないが、噂ではとても強いそうだ。
見た目は、アサギと同じく華奢な幼子なのに。
リョウは瞳を泳がせ、まごついている。人がいると思わなかったこともあるが、年上の女性と接する機会があまりないので、動揺している。しかも、相手はとびきりの美女だ。
「焼き菓子があるわよ、とても美味しいの」
「アサギの手作りだ!」
ガーベラに教えられ、リョウは瞳を輝かせた。ハートにダイヤ、クローバーに小鳥や兎などを模った焼き菓子は、間違いなく地球のものだ。
「よく解るわね」
「この形のお菓子は、僕たちの惑星のものです。市販品とは見た目が違うから、そうするとアサギかなって」
「ふふっ、リョウ君は探偵みたい。洞察力が優れているのね」
「そ、そんなことはないです。ただ、アサギのお菓子はよく食べていたから……」
照れながらも、促されて隣に着席したリョウは焼き菓子を齧った。
懐かしい味に、じんわりと涙が浮かぶ。アサギが勇者になる前は、せがんでよく焼いてもらっていた。多少粉っぽい時もあるが、それが素朴で嬉しい。
「アサギは何でも出来るのね」
「そうですね、こういうお菓子も得意でした。……そうだ、数枚貰ってもいいですかね?」
「まだあるみたいだから、大丈夫だと思うわ。ほら」
ガーベラは、隣の卓子を指す。そこには、焼き菓子が山盛りで置かれていた。
「ず、随分たくさん焼いたんだ……」
呆気にとられ苦笑したリョウだが、それなら気兼ねなく拝借できると思った。食堂にあった袋に詰めていく。
リョウに紅茶を淹れたガーベラは、不思議に思い何気なく尋ねた。
「何処かへ持っていくの?」
「えぇ、これは……」
リョウの説明を聞き、ガーベラの瞳に喜びの炎が灯る。