■ミシア
耳元に絡みつくような声が、癪に障る。
「っ……なんのことかしら」
金の髪をかき上げ、闇から躍り出た女を見た。
「こんばんは。貴女、意外と大胆ね?」
含み笑いをしながら近づいてきたミシアを軽く睨み、舌打ちしたいのを堪える。厄介な相手に見つかった、と自分を責めた。彼女と関わったことはほぼなく、マダーニの妹ということしか知らない。
ただ、この館へ来た初日に奇妙な視線を投げられたので、警戒していた。女の勘だが、腹に一物を抱えている気がするのだ。
「何を仰りたいの?」
「トランシスは、……アサギの恋人よ?」
「知っているわ、それが何か?」
「ウフフッ! 知っているのに、彼と戯れたのね? 見た目通りの阿婆擦れだった!」
上品に笑うミシアだが、小馬鹿にしている態度が表面に出ていた。二人の間に、陰鬱な空気が流れる。
眉間に皺を寄せたガーベラは、怒りを籠めて物静かに口を開いた。
「聞き捨てならない物言いね」
「あら、ごめんなさい? 言葉が悪かったかしらん。だって、……ねぇ?」
ミシアは何も言わなかった。値踏みするように足先から頭部までを眺め、クスクスと笑い続ける。
陰険に立ち回る彼女に、ガーベラは苛立った。平静を装わねば、弱みを握られる。分かっているのに、挑発に乗ってしまう。
不愉快な言葉を連想させるように、ミシアは語尾に余韻を残す。いつでもとどめを刺せるのに、ジリジリと時間をかけて急所に矢を射こむ。質が悪い。
「言いたいことがあるなら仰って」
「あらやだ、ごめんなさい。何でもないわよぉっ、ウフフッ! 違うのよ、そんなに怖い顔をしないで。貴女の事を見直した、って言いたいのよ? これからは仲良くしましょう、ガーベラ。私たち、きっと他人が羨む親友になれるわ」
驕慢な光を目から射出し、ミシアは気味が悪いくらいに笑みを浮かべた。
「私にはそう思えない」
「ウフフッ、そんなことないわよぉ。私は超越した美貌を持ち合わせているから、隣にいると惨めになるのね? 大丈夫、私より格段に劣るけれど、貴女もそこそこ美しい。光栄でしょう? 私の親友の座を得られるだなんて」
「…………」
とても褒められているとは思えないし、頭の螺旋が飛んでいると思った。
しかし、ミシアは本気で告げている。
「私たち、似ているもの。欲しいものは、手に入れたいよねっ」
破顔する彼女に、血の気が引いた。
「……欲しくても手に入らないものがあると弁えているから、貴女とは似ていない」
「うふふっ、嘘ばっかり! 気づいていないようだから教えてあげる。ガーベラ、今の貴女は“好きな男と交尾してきました”って顔をしているのよ? 鏡を見なさい」
「何を言っているの?」
確かに、先刻トビィと身体を重ねた。
だが、言われて思い出したのはトランシスだ。指を絡め満たされた気がしたので動揺し、瞳を泳がす。声も、若干震えていた。
「気持ちは分かるわ。愛しい男に触れると、そうなっちゃうわよね。私も同じ、だから貴女のことを応援してあげる! 親友だもの」
「余計な詮索しないで。私は男ではなく、唄が好きなの」
気丈に告げると、ミシアがにんまりと口角を上げた。
「そうね。愛しい男への恋文を、唄にして公言しているものね。そりゃ大好きでしょうよ、悲劇の歌姫を演じて陶酔しているのだから。大した独占欲よ、こわーいっ」
白々しく身体を震わせ、ミシアは一際鋭利な視線を向けた。まるで、『何もかも知っているぞ』そう脅迫しているように。
ガーベラは喉を鳴らし、唇を噛む。
「おやすみなさい、ガーベラ。今度お茶しましょうよ! 私、女の友達っていないの。ほら、こんなにも美しいでしょ? 引け目を感じて、誰も近寄って来ないのよぉ」
「おやすみなさい、ミシア。生憎だけれど私は間に合っているから、一人でお茶に行って」
「あらん、つれない子っ! ……でも、私には分かる。今に貴女は私に泣きつくわ」
二人の睨み合いは続いたが、やがてミシアは踵を返し、去っていった。
「な、なんなの、あの人……。本当にマダーニの妹なの? 魔王を倒した勇者の仲間なの?」
不気味な後姿を思い出すだけで、肝が冷えた。姿が見えなくなっても、意地の悪い嘲笑が耳に残る。悔しさが現れた表情で唇を噛み、慌てて自室に戻った。乱暴に扉を閉め、項垂れる。
キィィ、カコン、コン。
不意に聞こえた何かの音に、訝って顔を上げた。
風で煽られた枯れ葉が窓を叩いているのだろうと思いつつ、それにしては奇妙な音だと首を傾げる。
それは、歯車が廻ったような音に聞こえた。
「……疲れたわね」
瞳を閉じ、ゆっくりと息を吐く。眠くない、入浴する気にもなれない。気怠さだけが残って、ずっとその場に立ち尽くしていた。
ただ、自分の肩掛けに染み込んだ男の匂いに気づき、おずおずとそれに包まる。不思議と心が安らぎ、彼に抱かれているような感覚に身を委ねた。
『好きな男と交尾してきました』
ミシアに言われたことを思い出しながら、少し違うが間違ってはいないと思った。
身体は、火照っている。ただ、満足はしていない。
身体中に、もっとこの匂いが欲しい。
微睡んでいると、いつしか部屋に朝陽が差し込んでいた。




