■迫りくる闇
棘を隠した声に聞こえたのは、ガーベラが後ろめたさを感じていた為だろうか。
「珍しいお二人」
ガーベラの心臓が跳ね上がり、一気に身体中から汗が吹き出す。声の方向を見やると、マダーニが顔を覗かせていた。
「こんばんは」
普段は濃い化粧をしているが、寝起きらしく素朴な顔つきだ。とはいえ、もともと素材が良いので美しい。
気が揉めるガーベラを他所に、全く悪びれないトランシスはヒラヒラと片手を上げる。
「アレ、こんばんはー。喉が渇いて来てみたら、偶然居合わせて呑んでたトコ。残念ながら、お開き」
「それは惜しい事をしたわね、愉しそう。今日はみんな寝苦しいのかしら」
しなやかな足取りで近寄り、にっこりと微笑む。
ガーベラは、咎められているようで一歩後退した。疚しいことはしていない。けれども動揺している自分が、心の奥底の感情を肯定している。
トランシスと二人きりの会話は、密会のようで愉しかった。出来れば、もっと身体に触れて欲しかった。
有り得ない、と思いつつも歪んだ感情に口元を押さえる。平静を装って、にこやかに口を開いた。
「故郷の温かいワインを呑んで、落ち着いたところよ」
「あぁ、あれ。身体が温まるし、美味しいものね」
気の迷いは酔いのせいだ、トビィが可笑しなことを言ったからだと言い聞かせる。
けれども、気づいている。この感情から逃れることは出来ないと。どう考えても自分が惨めになる路しかないのに、抗えない欲望が身体の芯で燃えている。
水を飲み出したマダーニに別れを告げ、逃げるようにトランシスの後を追う。背中に突き刺さる視線は尖った短刀のようで、顔が引き攣った。
「おやすみなさい……ガーベラ、トランシスちゃん」
不信感が滲み出ている声に思えた。
人は無言で責められると、取り繕うことができない。ガーベラだけがそれを察し、有りもしない他意を勘ぐる。
裁判官の前に引き摺り出されたようで、生きた心地がしなかった。
二階に上がり部屋に到着すると、トランシスは肩掛けを返した。
受け取ったガーベラは、部屋に入って机の引き出しから金を取り出す。そこまでの大金は所持していないが、服を購入するくらいならば貸すことが出来た。
「…………」
渡す際に指が触れて欲しいと願いつつ、罪悪感が心を覆う。これは二人の秘密なのだと思う度に、心が波打つ。今の自分の状態に、他人事のように苛立った。
もしこれが他人であれば、「ふしだらな女だ」と嫌悪するだろうに。
「はい、どうぞ」
「ありがとー」
緊張しているガーベラには気づかず、にこやかに微笑んだトランシスは丁寧に受け取った。その際、僅かに互いの手が触れる。
それだけで、身体中が麻痺したように痺れてしまう。まるで、情事後のように身体中が満ち足りた。
こんなことは、初めてだ。頬を染めていると、不意打ちを食らう。
「これからも宜しくー!」
反対の手で、力強く握られる。
瞬間、ガーベラの身体を電撃が走り抜けた。顔を上げれば、目の前にトランシスの顔がある。覗き込むその瞳に、陶酔している自分が映っていた。
「え、えぇ、こちらこそ」
上擦った声で返事をし、思わず握り返す。ゴツゴツした指の感触を確かめ、ほぅ、っと官能的な溜息を吐いた。
男らしい指だと思った。それでいて、肌は滑るように触り心地が良い。名残惜しく、指を絡める。いけないと思いつつも、抗えない。この指で、あらゆる部分に触れて欲しいと、切に願った。
「お、おやすみなさい! 早く服を着て、風邪をひいてしまうわ」
しかし、寸でのところで理性が勝った。
これ以上続けていたら、部屋に招いてしまいそうで身の毛がよだつ。慌てて身を翻し、逃げるように身体を押しのけた。
そんなガーベラを不思議そうに見つめたトランシスは、片手を上げて微笑む。
「おやすみ、ありがとね」
金が余程嬉しかったのか、足取り軽くアサギの部屋へ戻っていった。
彼が、吸い込まれるように扉の中に消えていく。
音を立てて扉が閉まるまで、ガーベラは見続けていた。早く部屋に戻らねば、と叱咤しつつも身体が言うことをきかない。そこに縫いとめられたように、立ち尽くす。
手が痺れている、もっと触れていたかった。
トランシスはトビィより若干背が低く、自分と口づけするには適切な身長差だと思った。小柄なアサギよりも、しやすいだろうと。
考えて、唇に指を添える。
「みーちゃったっ!」
突如聞こえた雀躍しそうな声に、ガーベラの身体が跳ね上がる。