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僅かばかりの優越感

 驚愕し、喘ぐような呼吸が唇から漏れた。

 赤面したガーベラは、どことなく後ろめたくて髪に触れる。トランシスからしたら無関係だろうに、先程までトビィと身体を重ねていたことに罪悪感を覚えた。

 トランシスは床下の貯蔵室からワインを取り出し、人懐っこい笑みを浮かべている。女の心を惹きつけるような態度に、余計にソワソワした。


「呑むでしょ」

「そ、そうね。寝つけなかったところだし、戴くわ」

「よし」


 コルク抜きを手で遊ばせている彼を、一呼吸おいて見やる。

 引き締まったトランシスの身体は、鮮烈な印象としてガーベラの瞼に残った。男の裸体は見慣れているはずだったが、若い男はあまり記憶にない。二の腕の筋肉が美しいとか、腹筋の割れ具合が好いとか、凝視してしまう。

 じっとりと汗ばみ雄の匂いを漂わせている彼に興奮し、身体を撫でたいと思ってしまう。

 

「男の身体、そんなに珍しい?」


 ニヤニヤと顔を緩ませ、トランシスが覗き込んでくる。言葉に詰まったガーベラは、頬を染めたまま視線を逸らした。今日は失態続きだと唇を噛み、咳をして調子を戻そうとする。


「ごめんなさい、はしたないわね。寒くないのかしら、と思って」

「あぁ、そういうコト。だいじょーぶ、あっついんだよねぇ」


 パタパタと手で顔を仰ぎながら微笑むトランシスに、悔しいが見惚れた。母性本能を的確にくすぐってくる表情が小憎たらしく、早鐘のように鳴り響く自分の心臓に苛立つ。

 先程トビィに忠告されたことも手伝い、妙に意識してしまう。 


「アサギが、あまりにも可愛いからさ」


 トビィは戻らなくて正解だった、とガーベラは密かに安堵の溜息を漏らした。暑がるところを見ると、相当激しく“愛し合っていた”のだろう。

 

「喉乾いちゃって、こっちへ来たってわけ」

「アサギは?」

「寝てる……っていうか、()()()()()

「あらまぁ」


 椅子を引き、一つ離れた席に座ったトランシスは、コルクを抜くとそのまま瓶に口をつけて呑みだした。

 ギョッとしたガーベラが止めようと手を伸ばすと、「呑む?」と瓶を差し出されてしまい、思わず受け取る。

 

「グラスは?」

「喉を通って腹に入るだけだろ? そんなもんいらない」


 ワインとは、空気に十分に触れ酸化させてから愉しむ物だと思っていた。何より瓶から直接というのは行儀が悪いのではないかと思ってしまい、躊躇する。

 

「思ったより甘いけど、おいしーよ? あぁ、でもガーベラは()()()()からそういうのは無理かな」


 名を呼ばれたことに動揺し、品が良いと言われ赤面し、意を決して口をつけて呑む。意外そうに目を丸くしたトランシスに薄く微笑み、唇から少し垂れたワインを指先で拭った。

 ただ、味は分からなかった。禁じられた遊びに興じているようで、心臓が壊れそうなほど動いている。

 

「あら、平気よ」

「驚いた。お嬢様だろ、アンタ」

「違うわ、普通の娘よ」

「そうは見えないなぁ」


 口が裂けても元娼婦でした、とは言えない。

 どこぞの貴族の娘だと思われているらしいことに罪悪感を抱きつつも、過去を知らない相手には自己開示できる気がして、少しだけ身体が軽くなる。

 

「恋人も……いたことないし」


 あざとい発言だったと思ったが、酒の力を借りて言ってみた。

 そもそも、嘘ではない。幾多の男が身体の上を通過したが、恋人はいなかった。

 ふとルクを思い出したが、彼は唄の師匠にして、上客で、よき相談相手だった。今となっては、初恋だったのか分からない。

 彼への想いは、とうに薄れている。それほどまでに、この男が強烈なのだ。

 

「えぇ、意外! ここまで美人なら、男は放っておかないだろ。すれ違う男はこう思うんじゃない? 『一度は抱いてみたい女だ』って」


 ガーベラは端正な顔に影を落とし、若干俯いた。

 欲しない言葉だ。

 特に、気になっている男からは言われたくなかった。

 

 ……そうなのよね、『一度は、抱いてみたい』って思われる。“一度”よ。()()()、ではなく。

 

 しかし、彼に悪気はない。

 気を取り直し、ガーベラは席を立つと床下から新たなワインを取り出した。

 

「私は寒いの。温かいワインはいかが?」

「へぇ、いいね! 確かにオレも冷えてきた、かも」

「これをどうぞ」


 裸ならば当然冷えるだろう、冬が近いのだから。吹き出したガーベラは、自分の肩掛けをトランシスの背にかける。


「ありがとう、優しいね」

「風邪をひいたら、アサギが悲しむわ」


 その際、指先が僅かに肌に触れた。

 指先が急激に熱を帯びた。まるで男を知らぬ乙女のように赤面し、ぎこちなく手を引く。そっと、その指を手で覆い隠す。


「あったかいー!」


 気にせず、トランシスは与えられた肩掛けに包まった。瞬間、微妙に口を曲げる。すんすん、と鼻を動かし、その香りを嗅ぐ。

 目を伏せていたガーベラは、気づかなかった。颯爽と料理場に立つ。

 

「甘くても平気?」

「大丈夫、ガーベラの好きな味でいいよ。よく作るの?」

「そうね、故郷ではよく作っていたわ。暖をとるのに最適だったから、友人とよく呑んだの。トランシスの口に合えば嬉しいわね」


 卓子(テーブル)に転がっていた柑橘を輪切りにし、鍋に注いだワインに浮かべる。蜂蜜をたっぷり入れて、煮込み始めた。つまみとして、チーズと肉の燻製を用意する。

 

「手際がいいなぁ。良いお嫁さんになるね」


 素直に思った事を口にしているだけで、トランシスに他意はない。

 彼の発言に一喜一憂しているガーベラは、手の甲に爪を立てた。流されないように、強気な口調で告げる。

 

「あら、手際の良さならアサギが上よ。まだ幼いのに、偉いわ」

「それは当然、オレのアサギだから。料理も上手いし、気立てはいいし、やることなすこと全部可愛いし、全部好き」

「あらやだ、早速惚気なの?」

 

 食堂に、赤ワインの香りが充満する。心なしか、空気すら赤紫に染まっているように見えた。


「洒落た匂いだね」

「愉快な気分になるわね!」


 気分よくワインを呑み始めた二人は、和気藹々と話をした。これまで接点がなかった二人だが、話は弾む。

 初めて聞くトランシスの故郷に、ガーベラは興味津々だった。彼も苦労し生きてきたことを知って、親近感が増す。

 恵まれて生きてきたアサギよりも、自分に近しい。それだけで、どこか誇らしく思える。境遇が似ていると思った。


「私も捨て子なの。運よく善い人に拾われて、ここまで成長出来たわ」

「意外! オレたち、似ているね」

「ふふっ、そうね。話せば話すほど、共通点が見つかるわね。お酒の趣味も合うみたい。これからも、時間があれば相手をして欲しいわ」

「そだね。アサギは酒が呑めないからなー」


 些細な事だが、初めてアサギに勝てたと思った。一気に昂揚し、ガーベラの頬が緩む。


「アサギはまだ十二ほどだものね。……あらでも、私は呑んでいたかも」

「オレも呑んでた」


 二人は目を交わし合い、クスクスと笑った。

 

「アサギは真面目な優等生だもの、()()()()()()()のかも。欠点がないし」


 意地悪な言い方になってしまったが、これくらいは許して欲しいとガーベラは瞳を尖らせる。光の中に佇む彼女には、こちら側の気持ちが分からないと遠回しに言いたかった。


「あー、でも、欠点がない、っていうのは違うな」


 カップを傾け、息でワインを冷ましながらチビチビ呑んでいたトランシスが、不意に顔を曇らせる。

 ガーベラは驚いて口元に手を添えた。そんな言葉が出て来るとは思わなかった、溺愛しているようにしか見えない。心が急かす、早く聞きたいと瞳が輝く。

 

「意外ね……あの子に欠点なんてあるの?」

「可愛過ぎるんだよ」


 真顔で呟いたトランシスに、ガーベラは拍子抜けして小さく笑いだす。

 心が、一気に萎んだ。

 

「ただの惚気ね」

「いや、深刻」


 トランシスの声が、空気が冷えるほどに急に低くなる。


「可愛過ぎて、男が群がる。オレは常に傍にいられないだろ? 気が気じゃないんだよね、いつどこで、誰に口説かれていると考えるだけで、死ぬほど辛い、苦しい、しんどい、気が狂う」


 鋭利な瞳の光が、仄暗い部屋で淡く浮かび上がる。彼は大真面目だ。

 背筋に寒気が走り、ガーベラは呼吸すら忘れそうになった。美しい横顔なのに、酷く恐ろしい。知らず鳥肌が立ち、二の腕を擦る。

 

「正直、四六時中監視したい。……そうだ、ガーベラ。仲良くなったついでに頼める?」

「え?」


 人とは不思議なもので、恐怖を抱くと瞳を外せない。

 見入っていたその横顔が正面を向き、二人の視線が交差する。真剣な眼差しに、ガーベラは胸の高鳴りを覚えた。

 

「誰とどれくらい親しいのか、オレ以外の男と二人で何処かへ行っていないか。つまり、変な虫が寄り付かないように、アサギを見張って欲しい」

「なんだ、そんなこと……。心配しなくても、アサギはトランシスしか見ていないわよ」

「それは解るけど、嫌なんだ、心配なんだ。()()()()()()()()()()から、頼む! お願いっ!」

 

 胸がズキズキと痛む。

 信頼されたことは嬉しいが、仮にも命の恩人であるアサギを監視するというのは気分が悪い。そもそも、トランシスだけを一途に思う彼女を監視したところで無駄だ。疚しいことは、何もないのだから。

 けれども、幾度も頭を下げるトランシスに折れて、渋々頷いた。


「気が進まないけれど……分かったわ。トランシスの頼みだもの」

「やった! ありがとう、恩に着るよ」


 少年のようにあどけない笑みを浮かべ、手を握られる。

 幼い笑顔と大人びた真顔の差が激しくて、心のときめきが止まらない。不思議な魅力を持つ男だと、ガーベラはぎこちなく微笑む。温もりを忘れないように、意識が手に集中する。

 

「ついでに、もう一ついいかな。ここの金って、どうやって稼げばいい?」

「は?」


 離れていく手を名残惜しそうに見ていたガーベラは、照れ臭そうに鼻の頭をかきながら肩をすくめる彼を見やる。

 

「アサギに贈りたい服があるんだよね。店主を説得して他には売らないように頼んだけど、金のあてがない」

「私が貸しましょうか?」

「それじゃ駄目だよ、オレがアサギに買いたいの」

「だから、先に貸してあげる。後で返してくれたら問題ないでしょう? お望みならば、高額な利子もつけてあげるわよ」


 得意げに提案するガーベラに、トランシスは悩んだ。しかし、早くアサギに渡したいので、その誘いに乗ることにした。面目なさそうに、瞳を伏せて深く頭を下げる。


「お情けに甘える。ありがとう」

「本当にアサギのことが大好きなのね、羨ましいわ。無利子にしてあげるから、なんとか調達して」

「へーい」

「後で部屋に行きましょう、今は手持ちがないの」

「助かったー! 身売りでもしようと思ってた」

「あら、それならすぐに大金が稼げそうね。よかったら、()()()()()()()()()()?」

「あはは」


 ドキドキしながら本気の冗談を告げたガーベラだったが、運が良いのか悪いのか、あっさりかわされた。

 もとより、トランシスにそんな気はない。アサギ以外の女など目に入っていない。目の前にいる美女ガーベラですら、ただの女。

 それを、ガーベラも気づいている。偶然居合わせたのが自分だっただけで、相手が誰でも同じ事になっていた。少しだけ寂しく思い、唇をへの字に曲げる。

 

「よかった、これでアサギを喜ばせる事が出来る。似合うだろうなぁ、オレの目に狂いはないね。まぁ、アサギはどんな服でも可愛いけど」

「はいはい、御馳走さま。もう、満腹よ」


 呆れて溜息しか出ない。

 けれども、ひどく羨ましい。

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