似た者同士
目が合えば、会釈をする。
会う時間帯によって、相応の言葉を交わす。
それ以外は、彼のことを見ているだけ。
彼が、恋人といるところを見ているだけ。
「こんにちは、トランシス」
「やあガーベラ、こんにちは」
買い出しから戻ると、食堂にトランシスがいた。ワインを呑みながら、忙しなく動くアサギを見ている。
「おかえりなさい、ガーベラ!」
「ただいま、アサギ。とても美味しそうな香りね、何を作っているの?」
「地球の卵料理で、オムレツといいます。トランシスが大好きなので」
「ふわふわで綺麗ね。私も食べたいわ」
「作りますね!」
「調理法を見ていてよいかしら? 子供たちが好きそうだから、覚えたいの」
「はいっ」
バターをふんだんに使ったオムレツは、まず見た目が愛らしい。外は少しカリッとしていて焼き目があるのに、中はふわふわで柔らかい。溶けたチーズが溢れる湯気とともに溢れ出し、芳醇な香りが一気に部屋に充満する。
トランシスは一口大に切り、パンにのせて食べていた。
「あー、美味しい。毎日食べたい」
上機嫌の彼は、瞳を輝かせて頬張っている。
確かに、これはとても美味しい。子供も喜ぶが、酒のつまみにも適している。朝食にも夕食にも最適な、素晴らしい料理だとガーベラは感嘆した。
そしてガーベラは、オムレツを作ることを覚えた。食堂で黙々と練習し、教会で焼き立てを人々に振る舞った。最初は外も中も完全に火が通っていたが、繰り返すうちに上達した。
これなら、トランシスも喜ぶだろうと自画自賛するほどに。彼に食べてもらいたいわけではないが、妄想するくらい勝手だと思っている。
夢の中で、ガーベラはトランシスにオムレツを焼いた。
彼は『あー、美味しい。毎日食べたい』と言ってくれる。毎日焼いてあげるわ、とガーベラは微笑む。この家には二人しかいないのだから。
鮮やかな妄想に耽ることが、ささやかな幸せになっていた。
宵の口だと思っていたが、青く冷えた特有の甘い空気に身震いする。
ガーベラはショールを肩にかけ直し、冬の訪れを実感した。白い息を吐き、空を見上げる。この場所は、故郷の港街より冬が厳しいらしい。寒さが苦手なので、すでに億劫である。
馬車を下りて門をくぐると、館へ急ぐ。
暫く街を出て、別の場所で唄っていた。ひっきりなしに依頼が来るので忙しいが、充実している。
最近、唄と声が変わったとよく言われる。以前より感情が豊かになったと、褒められた。
それは、恋人と過ごしているからだ。妄想の中で、だが。
誰も知らない、自分だけの恋人。現実のトランシスとアサギを見て、変換し愉しむ。
歪んでいると嗤われても仕方がない、自分でも興醒めしているのだから。
それでも、生活に潤いが出来たので嬉しい。恋の唄が泉のように湧き出てくるのは、良い誤算でもあった。
歩いていると、そこら中から旨そうな匂いが漂う。空腹を覚え、ついふらふらと店を探した。静かな場所がよかったので、奥まった路へ入る。
古めかしい木の扉を押すと、ギィィと軋む音がひどく響いた。顔を覗かせると、真正面にいた老人と目が合う。
「あの」
「すぐに閉店だが、それでも構わないかね?」
ぶっきらぼうだが、声は優しい。
「感謝いたします」
頭を下げ店内に入り、店内を見渡した。数人の客がいるが、全員独りで来ている。卓子には水に浮かぶ蝋燭が置かれており、幻想的な光に溜息が零れた。
奥がよかったが、生憎先客がいる。
諦め、入口近くの席に座ろうとした。だが、再度奥を見て目を丸くする。珍しい紫銀の髪を一つに束ねている男など、何人も存在しない。
「奇遇ね、トビィ」
吸い寄せられるように、彼がいる卓子へ進む。正面に座ると、悪戯っぽく微笑みかけた。
「ご一緒しても?」
「座ってから訊かれても」
仏頂面はいつものことだが、尖った声で告げられ、機嫌が悪いことを察した。原因もなんとなく分かる。
ただ、追い出されることはなかった。安堵し一息つくと、酒と、腹の足しになるものを注文する。
「嬢ちゃん、香草の米料理ならすぐに出せるが、どうするね」
「それで構いません、お願いします」
少し冷めた粥のようなものには、魚介が入っていた。チーズと香草が、さっぱりとしながらもコクが深い味を生み出している。
「とても美味しい! 素敵なお店ね」
トビィの顔色を窺いながら、機嫌を損ねぬように告げる。
「気に入っている。店の雰囲気も、料理の味も好ましい」
ガーベラはトビィが食べていたものを見やった。彼にしては珍しい、色合いが鮮やかな料理だ。
「綺麗ね、これは何?」
「米を加工し乾燥させたものを、香草茶で戻したものだ。生野菜と肉の燻製が包んである」
「凝っているわね……」
店主である老人を一瞥し、ガーベラは驚嘆した。繊細な料理に胸が躍る。
勧められたので、一つ手に取る。持ちやすい事に感動し、立食時に便利だと思った。
「なんて美味しいの!」
齧ると爽やかな味が広がり、素直に感想を口にする。トビィは無表情だったが、聞こえたのか店主は少しだけ目尻を下げた気がした。
「それは何?」
トビィが飲んでいる酒は、残り僅かだ。薄荷の葉が浮かぶ、琥珀色の液体が揺れている。
「呑みたければどうぞ」
腕を組み瞳を閉じていたトビィに言われ、ガーベラは静かにグラスをとると、口に含む。一瞬苦く、しかし後からさっぱり感と甘みがやってきた。穀物の蒸留酒に蜂蜜を混ぜ、薄荷水で割ったものだ。
「意外なものを呑んでいるわね……」
「シメだ。甘味代わり」
それまで散々酒を呑んでいたのだろう。酒豪のトビィだが、普段以上に摂取したようだ。顔が若干赤い。
ガーベラが粥を食べている最中、二人は会話をしなかった。二人でいるのに一人のようで、心地が良い。
「本当に美味しいわね、料理もお酒も手が込んでいる。……ここの常連になりそう」
「来るのは構わないが、広めるなよ。折角見つけたのに」
「ふふ、私も騒がしいのは苦手なの。誰にも教えない、二人の秘密のお店にしましょう。……なんだか密会みたいで、胸が高鳴るわね」
「全然」
多少の酒が入り、ガーベラの口が軽やかに動き出す。
「今、トランシスが来ているのでしょう?」
先程訊けなかったことも、すんなりと口から飛び出した。
トビィは瞼を軽く上げて睨んだが、再び閉じる。
「律儀ね、二人に遠慮して」
肯定と受け取ったガーベラは、肩を竦めた。
トビィの部屋は、アサギの隣だ。二人が“眠って”いる隣室で、一人過ごすことが耐えられなかったのだろう。
懇親会の夜を思い出し、ガーベラも顔を曇らせた。今宵も二人は、濃密に抱き合っているに違いない。胸が痛むが、気取られぬように唇を噛んだ。
意外に思ったのは、トビィが乱入をしてでも止めない事だ。アサギを溺愛しているので、それくらいすると思っていた。
「よかったの? 寝取られて」
トビィの瞳が開く。
その冷淡な瞳に射抜かれ、ガーベラの背筋に冷たいものが走る。失言に顔の筋肉が強張り、知らず震えた。
「ご、ごめんなさい」
辛うじて声は出たので、謝罪する。
「美丈夫と一緒で気分が良いから、要らぬ言葉が滑り出たわね」
ぎこちなく笑い、ガーベラは一気に酒を煽った。
「お前は酒を呑むな。ろくなことがない」
「そんなことはないわ、呑み慣れているし。今のはたまたまよ」
「いや、このままだとお前はいつか口を滑らせ、娼婦だった過去を自ら暴露する」
「失礼ね、それはないってば」
口論になりそうだったが、他の客が席を立ち始めた。
「閉店だよ、続きはよそでやってくれ」
店主に言われ、二人は気まずそうに立ち上がる。
「オレが払う。お前は帰れ」
「あら、では遠慮なく。御馳走様、有難う」
そう言われたものの、ガーベラは店先で待っていた。
冷え切った空気の中、漆黒の天鵞絨に散りばめられた宝石のように、燦然と煌めく星空を見上げる。
「なんだ、いたのか。……妙に絡んでくるな」
不機嫌そうなトビィの隣に歩み寄ったガーベラは、小さく笑う。
「これからどうするの? 戻りたくないのでしょう? 奢ってくれたんだもの、付き合うわ。……私の部屋のほうが、まだマシかも。休憩室で呑み直してもいいし」
ガーベラの部屋は、廊下を挟んでトビィの真向かいだ。隣室より嬌声が聞こえる可能性は低い。
どのみち、ガーベラも館に戻るのは億劫だ。
あの部屋の前を通ると、嫌でも意識してしまうのだから。ただ、似た物同士で一緒に過ごせば、彼らへの意識が逸れると思った。