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■歌姫が欲しいもの

挿絵は蒼霧要さまから戴きました!

著作権は要さまに帰属します。

無断転載・自作発言・トレス・加工等、「見る」以外は禁止致します。

 時折揺れるカーテンを、ぼんやりと見つめていた。

 いつしか揺れは止まったが、二人が会場に戻ることはなかった。一体、どうやって抜け出したのだろう。


「声量のある美しい声に魅了されたよ。これからも唄っておくれ」

 

 散会となる頃、押し寄せた天界人らに次々と褒め称えられた。ガーベラは微笑み頭を下げたが、どうしても二人が気になり、上の空だった。

 ただ、憂鬱なことばかりではない。

 天界城へ自由に出入りする許可が下り、天界人から装飾品や衣服を贈られた。人間を毛嫌いする彼らがここまで肩入れするのは珍しく、稀有な寵愛を受けていることは誰の目にも明らかだった。

 それは誇るべきことだと、ガーベラは言い聞かせる。

 自分は唄うべくして産まれたのだと。


 酔ったアリナとマダーニに付き添い館に戻ると、休憩室に寝かせた。まだ呑むと駄々をこねる二人を宥め、強引に毛布を被せる。

 すぐに寝息が聞こえ始めたので、胸を撫で下ろす。


「おやすみなさい」


 この場で自分も眠ろうかと思ったが、自室のほうが居心地が良い。色々と疲れたので、一人になりたかった。

 暗くて冷ややかな階段を上り、二階の廊下を歩く。誰もいないのだろう、静まり返っていた。

 自室は、一番奥の左側。

 普段は気にならない足音や、床が軋む音が、妙に耳にへばりつく。

 

「……、……」


 ふと、押し殺した声がどこから聞こえてきた。

 誰かがいるのだと思い、気にせず通り過ぎようとした。夜も遅い、小声で会話しているのだろう。

 だが、それが艶めいた女の声であると気づくと足が止まる。根っこが生えたように動けない。

 漏れている部屋に気づき、ガーベラは血の気が引いた。嬌声など、娼館では有り触れたものだった。聞こえたところで気にしなかった、日常茶飯事だったのだから。

 場所が違うだけで、こうも胸を突く恐ろしい声になることを初めて知った。

 見たくもないのに、扉が目に入る。

 惑星クレオの文字で『アサギ』と書かれた、木製の平板がぶら下がっている部屋。

 耳を手で塞ぐ、声を聞かないようにして足早に通り過ぎようとした。

 けれど、聞きたくもない声が掌をすり抜け、耳の奥を襲う。

 透き通る少女の声なのに、女の色気が混ざっている。普段の彼女からは想像出来ないものだ。女の自分ですら情欲を掻き立てられる甘い声は、男であればひとたまりもないだろう。

 そして、激しく空気を吸う音に重なる男の声が、心を掻き乱す。それは、己の立場が有利であると知っている、余裕の声音だった。


「愛してるよ、アサギ」


 吐き出されたその声に、ガーベラは踵を返した。逃げるように階段を下り、休憩室へ飛び込むと毛布を頭から被って震える。

 出口がない迷路に突き落とされた気分だった。

 二人が恋人だということは知っている、そういうことがあって当然だろうとも思う。

 それでも生々しい現実を突きつけられ、精神的に追い詰められた。


「やめて、もう聞きたくないのよっ」


 こびりついた声が、耳から離れない。館が軋むたびに、本能のままに動く彼の姿を想像して涙が出る。

 相手はアサギであって、自分ではない。

 それなのに、トランシスの蠱惑的な声が自分に注がれている気がして、気が狂いそうだ。


「違う、違うっ! そんなこと、望んでないっ」


 大きく震えるガーベラは、恐怖の正体に気づいている。

 二人が肉体関係にあることを知り、怖気づいたのではない。

 声を知り、閨事(ねやごと)の彼が容易く想像出来てしまった。

 トランシスに抱かれたいと思った自分に気づき、戦慄したのだ。


――奪ってしまえばいいじゃなーい。あんな小娘より、熟した君のほうが魅力的だーよ。天界人すら魅了する君の声と容姿があれば、悩殺するのは簡単さ。


 ついに、自分を後押しする幻聴まで聞こえ始めた。


「ち、違う、そんなこと、そんなことっ」


 歯を鳴らしながら、ガーベラはギュッと瞳を瞑る。


『愛してるよ、ガーベラ』


 そう言って微笑むトランシスが見えて、髪を掻き毟った。今までに好かった男の、好いところばかりを集めて、“彼”を形成する。

 逃れることが出来ないなら、心の中でひっそりと愉しむ。それくらいなら、罰は当たらないのではと思い始める。 

 誰にも知られず、懸想する。そんな自由はあるはずだ。


――いいのかなぁ、それーで。君は無欲な女じゃなーいよね? 人間は自由で、平等だーよ。欲しいものは、奪えばいいのさ。大丈夫、あの子は誰にでも優しいし、君も知っている通り()()()()()()()()。一人くらい譲ってくれるよ。


 聞こえる声は、醜い自分の本心なのだろうか。

 数年前、カルヴェネに言われた言葉が甦る。


『このっ……! 寝取るしか脳のない泥棒猫なんかにっ!』


 爪が肉に食い込み、じんわりと出血するほど力強く拳を握った。


「違う、私はそんな女じゃないっ」


 色んな声が聞こえて、このままでは発狂する。

 逃れる方法を求め、必死に誘惑に抗った。


「か……彼は。街で唄っていた私に、声をかけてくれたのよ。照れながら手を差し伸べて、食事に誘ってくれた。遠い場所から働きに出てきた、純朴な人。情熱的な瞳で私を見つめてくれて、何度目かの逢瀬の時、互いの愛を交わしたの。愛している、って」

――それが、真実になるといいーね。君が実行に移す時を、ぼく()()は愉しみに待っているーよ。


 優しく包み込むような声に誘われ、涙を流す。

 創り上げた妄想の中で、ガーベラは男を知らない生娘の歌姫だった。応援してくれる優しい彼と恋に落ち、望んだものを全て手に入れた。

挿絵(By みてみん)

 愛する人、信頼できる友達、大勢の熱狂者。彼らに囲まれて、唄い続けていた。

 そこは、光に照らされた夢のような場所。

 娼婦だった自分が存在しない、望んだ世界。

 何もかもが恵まれた場所で生きてきた、別の自分の物語。


 人間の欲望は、尽きることがない。

 欲しいものが手に入ると、新しいものが欲しくなる。

 仕方がない、そういう性分なのだから。


 歌姫の称号を手にしたガーベラが次に欲したのは、命の恩人の恋人だった。

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