嵐の前の静けさ
話を聞けば、先程まで庭はトビィとトランシスが剣を交えており、随分賑わっていたらしい。
結果は、トビィの圧勝だったと聞いた。
それで彼はしょげていたのか、と納得する。
この後も引き続き稽古が行われるらしいが、ガーベラには用事があるので見ることは出来なかった。
ただ、トビィが凄腕な事は知っていたので、こっそりトランシスを応援した。
今にも雨が泣き出しそうだったので、急いで食材を買い込み館へ戻ったガーベラは、上機嫌のマダーニに声をかけられた。
「買い出しご苦労様。ところで、七日後に予定は入ってる? 一日中空けて欲しいのだけれど、大丈夫かしら」
最近、各国から『是非唄を披露して欲しい』と声が掛かっている。だが、この街の住民を大事にしたかったので、全ての依頼を受けてはいない。きちんと調整をし、ここでの滞在時間を増やしている。
「大丈夫よ。別の街へは、十日後に出向くから」
柔らかに微笑むと、マダーニが指を鳴らす。
「決まりね! 天界城で懇親会が開かれるの。そこで唄を披露してくれない? 堅苦しいのは苦手だから、華やかさが欲しくて」
「懇親会?」
ガーベラは不思議に思い、首を傾げた。
「ええ。関係者がほぼ全員集まるわ、滅多にない機会よ」
「でも、私が参加して問題はないのかしら? 館の居候ではあるけれど、非戦闘員で役に立たないし」
困惑するガーベラに、マダーニは片目を瞑る。
「何を言っているの、もう仲間よ。それに、天界人が貴女の唄を聴きたいのですって。私、正直あいつらが嫌いだけど、唄を愛でる気持ちは同じで少し安心したの」
「アリナも来る?」
「勿論よ」
マダーニは気の勝った男のようにハキハキ物を言うので、聞いていて気持ちが良い。彼女たちがいるのであれば楽しそうだと、ガーベラは首肯した。
「迷惑でないのなら、参加しようかしら」
「是非! 初めての試みだから、どういう雰囲気になるのか誰にも解らない。ただ、勇者はもちろん、神に魔王も揃う、またとない機会よ」
相槌を打っていたガーベラだが、驚いて目を見開いた。
「まって。……『魔王も揃う』と言ったの?」
目を白黒させていると、マダーニがややあって頷く。
「そっか、ガーベラは知らないわね。簡単に話をしたほうがよいのかしら」
「ええ、お願い」
魔王は倒されたと聞いていたが、どういうことだろうか。停戦協定を結んだという誤りだったのかと、混乱する。
食堂で菓子と紅茶を用意し、マダーニから説明を受けることになった。
香り高い香りに癒されながら、読み書きの練習になるので使い慣れた手記を開く。
「ガーベラがいた惑星チュザーレの魔王は、ミラボー。アレが諸悪の根源だったから、倒したわ」
魔王を倒したという噂は、本当だったらしい。
「天界城に来るのは、魔王リュウよ」
「つまり、魔王は二人いたのね?」
ガーベラの問いに、マダーニは顔を顰めた。
「正確には四人だったけれど、残っているのがリュウ。魔王といっても、おちゃらけた変な男よ。アサギちゃんと親しくて、たまにここにも遊びに来るの」
いよいよガーベラは説明を理解することが出来ず、文字に起こすことを止める。
「ええと、不躾な質問でごめんなさい。……勇者と魔王は親密なの?」
押し殺した声に、マダーニはあっけらかんと頷いた。
「そうね、友達みたいよ。魔王といっても、人間に敵意がないの。想像と違うから、理解に苦しむでしょう?」
マダーニは肩を竦め、全力で頷くガーベラに苦笑する。
「魔王と呼ばれているけれど、正確には幻獣星と呼ばれる惑星の王よ。緊張しないで」
「粗相をすると、首を刎ねられたりするのかしら」
蒼褪めて怖々告げると、マダーニが吹き出した。
「ないない、絶対ない。万が一機嫌を損ねても、アサギちゃんがいるから大丈夫よ。あの子が宥めるから」
「今更だけれど、アサギは万能なのね」
呆気にとられて呟く。
「えぇ。あの子がいなかったら、この平穏は手にできなかったと思ってる。勿論、“破壊の姫君”という魔王に替わる脅威はあるけれど、その前に惑星は滅んでいたかもしれない」
しんみりと告げたマダーニに、ガーベラは嘆息した。聞けば聞くほど、アサギが恐ろしい。
共に過ごしていれば、彼女の偉大さに気づき感謝しただろうか。まるで絵空事のようで実感できず、どうしても訝ってしまう。
そこまで優秀な人間が存在するならば、世の中は不公平だ。
「魔王リュウが凶悪な人物でないことは分かったわ、ありがとう。私は唄うだけで、給仕する必要は無いのかしら?」
「そんなこと、天界人に任せましょっ。美味しいものをたべて、気が向いたら唄って楽しんで。天界人は美酒を貯蔵しているらしいから、期待してね」
「まぁっ、それは俄然愉しみになってきた」
二人はコロコロと笑い合う。
「トモハルちゃんが来られないかも、って聞いているけれど、関係者は全員来るわ」
トモハルというのは、勇者の一人だ。整った顔立ちの爽やかな少年で、礼儀正しいので憶えている。
関係者は全員、ならばトランシスも来るのだろうか。
瞬間的に胸が跳ね上がったことにガーベラは気づきながらも、そ知らぬふりをして会話を楽しむ。まるで初めて唄を覚えた時のように、高く空の上へ引き上げられるような興奮だった。
翌日、彼が来ることを期待したガーベラは、貯めておいた金で衣装を調達した。少しでも綺麗に見てもらおうなどと思い、浮足立つ。
トランシスは、アサギの恋人だというのに。