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勘違い男

 その後も、度々ログは娼館にやって来た。一方的に話すだけで、二人の関係は変わらない。

 ただ、話す内容が若干変化した。

 惚気ではなく、ログ自身の話が多くなった。今日の出来事や、明日の仕事内容、好きなことや、苦手な食べ物。それはまるで、自己紹介だ。


「ログ、無理に来なくていいのよ」

「無理はしていませんよ」


 流石に心配になって、ガーベラはつい口にした。人の話を聞くことは嫌いではないが、彼は富裕層の人間ではない。遊び方を間違えている気がした。

 ただ、ログの話から大多数の街の人々がどんな生活をして、どう考えているのか知ることが出来た。知識を得ることが出来たので、感謝はしている。


「私が娼婦でなければ、街で貴方と普通に会話出来るのにね。ログの話は楽しいから、聞いていて飽きない。お茶をしながら……時間を気にせず、ゆっくり」


 慰めるようにそう告げたガーベラは、その日もログに手を振って見送った。


「変な男。惚気の次は自己紹介。自慢話ではないから、気は楽だわ。頷いているだけで、嬉しそうだもの」


  

 誰がこんな展開を予測していただろう。

 脆い日差しの中、ガーベラはニキとエミィと街へ出た。それは、夕陽が落ちる直前のこと。

 昨夜の客が無理に衣服を引っ張ったのでボタンが取れたと嘆くエミィのために、替わりを探しに来たのだ。

 見栄えが悪いので、いっそのこと全部のボタンを交換したらどうかという提案に、エミィは頷く。どうせなら可愛いボタンがいいと、はしゃいだ。

 三人は手分けして探すことにしたので、一旦別れる。

 こういったことはニキが得意で、あつらえたようなボタンを探し出すことは目に見えていた。西の地区へ来たガーベラは、それでもエミィのために真剣にボタンを探す。

 並ぶ露店を見てまわっていると、突き飛ばされて地面に倒れ込んだ。腕で守ったが、冷たい石畳で頬を痛める。

 何が起こったのか分からず、腕に力を入れて上半身を起こす。足首も捻ったらしく、痛みが走った。


「この、泥棒猫っ!……どうして、くれるのよぉーっ!」


 金切り声とともに、石畳に顔が押付けられた。ガツンと音が鳴り、ジクジクとした痛みが広がる。

 聞き覚えのない女の声だ。


「このっ、このっ! 泥棒、泥棒っ!」


 力任せに蹴られ、殴られ、気が動転する。恐怖で声すら出せない。初めての経験で、どうしたらよいか分からずに丸くなって耐えた。


「このっ……! 寝取るしか脳のない泥棒猫なんかにっ!」


 痛みに耐え、ガーベラは声の主を見やった。

 みっともない泣き顔で、こちらを睨みつけている女。見覚えがある。


「泥棒っ! 賤しい女っ! 返せっ、返せー!」


 一方的に殴られ続け、相手が誰か思い出した。

 彼女は、ログの結婚相手だ。

 以前見た時は、調子が軽く愛嬌の良さそうな娘だと思ったが、今は鬼のようだ。

 嫌な予感がして、ガーベラは蒼褪める。ログの娼館通いが露見し、こうして責められているのだろうと。

 誤解である。

 確かにログとは娼館で幾度も会った。しかし、身体を重ねたことは一度もない。誤解されても仕方がないが、身の潔白を晴らさねばと思った。

 憤慨している彼女を落ち着かせ、話を聞いてもらうしかない。痛む全身に耐え、涙目になりながら彼女を見上げる。


「汚らわしい女なんかに! 見た目ばっか、綺麗でっ! なのに、なのにっ! う、うわぁぁぁぁん!」

「ま、待って! 話を聞いて」


 号泣した彼女は、再びガーベラに殴りかかってきた。

 女とはいえ、彼女は本気だ。ガーベラは避ける事も、反撃する事も出来ず、ただ地面に蹲る。両腕で頭を顔を庇って突っ伏した。

 ざわめきが大きくなり、周囲に人が集まってきたことに気づく。見ているなら止めて欲しいと懇願したが、やじ馬は指をさして嘲笑しているようだった。

 女の喧嘩は珍しい。加えて、ガーベラの素性を知っている者が通りかかったことが拍車をかけた。


「ほら、あれ! 娼婦だよ!」

「あぁ、いつも()()()()()()()()()()娼婦か」

「可哀想にねぇ、あの子。彼氏を寝取られたんだろうねぇ」

「グランディーナ、見て! ()()娼婦よ。街中で問題を起こすなんて、どういう神経かしら」


 絶望した。

 娼婦に人権はないのだろうか。誰も止めないどころか、ガーベラに非があると思われている。


「な、何をしてるんだカルヴェネ!? やめないか!」


 聞きなれた声が、朦朧としているガーベラの耳に入った。

 ログだ。

 誰かが呼んできてくれたのか、通りかかったのか。


「ガーベラさん、しっかり!」


 身体を起こされ、抱き締められる。

 ログは泣きながら、大きく身体を震わせている。泣きたいのはこちらだと思ったガーベラは、疲れ切って嘆息した。 

 カルヴェネは地面を叩きながら、号泣している。

 無関係の見物客は彼女の味方らしく、娼婦に手を差し伸べたログに非難を浴びせている。怪我をしたのは、こちらだというのに。


「可哀想なお嬢さん。手が真っ赤じゃないか!」

「酷い事をするねぇ、あの泥棒猫」


 カルヴェネに寄り添う中年の女が、そう吐き捨てる。地面やガーベラを殴った彼女の自己責任だというのに。それでも、非はガーベラにあるらしい。


 無情な世の中に、嫌気がさす。


「あ、あぁ、こんなに傷だらけに。ごめんね、ガーベラさん」

「ログ……私に構わないで。早く彼女の元へ。私は平気だから」

「僕の家へ行こう、傷の手当てを」

「ログ、お願いだから」


 これ以上、貴方が悪者になる必要は無い。そして、これ以上私も惨めな思いをしたくない。

 味方がいないのなら、消えてしまいたい。これでは、本当に男を誑かした最低の娼婦になってしまう。


「ログ、どぉしてよ! どぉして、その女を選んだのよ! 赦さないっ」


 カルヴェネの凄まじく甲高い声は、まさに修羅。獣のような荒々しい声に、人々はたじろぐ。


「ごめんよ、カルヴェネ。君の事は愛していた、嘘じゃない。けれど」

「この、下衆野郎! 最低だわ、私の時間を返してよっ! 返してよーっ!」


 身体が一気に冷える。ガーベラは、二人の会話を聞きながら唇を震わせた。


「僕が愛しているのは、もう君じゃない。ガーベラさんを愛している」


 みぞおちを打たれたように、声も立てられなかった。カルヴェネの爆発するような泣声に、意識が戻る。危うく、失神するところだった。

 

「僕が愛したことで、こんな目に。ガーベラさん、二人で暮らそう。もう、娼婦をする必要はないよ」

「え? 何を、言っているの。ログ……?」


 ガーベラは混乱し、引き攣った笑みを浮かべることしか出来なかった。

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