表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/99

泥棒猫

 身体は怠いのに、眠ってしまいたいのに、寝台の中で微睡む。

 

『この、泥棒猫っ!』


 胸に仕舞っていた、嫌な事を思い出した。唇を尖らせ、頭を掻く。


「これは、忠告なの?」


 項垂れて、無理やり瞳を閉じる。

 それは、ガーベラが十五になった頃だった。

 買い出しの最中に、街で一組の恋人に出会った。興味はなかったが、二人がはしゃぐ声が大きくて、ついそちらを見た。

 二人の買い物にしては多い荷物を抱え、仲睦まじく腕を組んでいる。

 正直、その絡んでいる腕を離せばよいのにと思った。どう見ても邪魔だろうに。


「新調したいから、お揃いの食器も買いに行こう! それから……」

「はいはい、落ち着いて。焦らず、必要なものを買い揃えていこう。式まで時間はある、大丈夫だよ」


 会話から察するに、結婚を控えているらしい。こちらが恥ずかしくなるほどに、彼らは胸を躍らせていた。きっと、心も身体も浮いてしまう気分なのだろう。

 恋人も結婚も自分とは無縁だが、微笑ましく思った。うっすらと口元に笑みを浮かべ、再び買い物に戻る。


 数日後、娼館に若い男たちがやって来た。

 この店の客層は、その多くが年配者。稀に裕福な若い男も来るが、この大人数は珍しい。その為、何事かと娼婦は浮足立った。


「ねぇ、見て! 若い男よっ」

「ふふ、久し振りねっ」


 まだ幼い顔立ちの男らに興味津々で、多くの娼婦らは声がかかる事を願った。

 そんな中、冷めた様子でガーベラは仲間たちを見やる。客の年齢も、顏も、興味がない。渋い紅茶を飲みながら、出来れば選ばないで欲しいと願った。

 そうすれば暇が出来て、唄の事を考えていられる。


「ガーベラ、指名よ」


 しかし、あっさりと期待は破られた。


「ああん、いいなぁガーベラは!」


 身体を震わせて非難の眼を向けた仲間に、ぎこちなく微笑む。出来れば交代したい。


「いってきます」


 紅茶を飲み干し、気だるく立ち上がったガーベラは部屋へ出向いた。


「こんばんは、ようこそいらっしゃいました」 


 客を見て驚いたが、ガーベラはそんなそぶりを見せず優雅に会釈する。


「こ、こここここんばんは」


 先日、街で見かけた男だった。結婚を控えているのに、このような場所に来てよいのだろうか。心配になったが、どんな事情を抱えているにしろ客である。精一杯おもてなしをするだけだ。

 赤面して突っ立っている男に声をかけ、寝台へ誘う。


「こちらへどうぞ。緊張せず、ゆっくりなさってください」


 努めて柔らかく声をかけると、男は全力で首を横に振る。


「す、すいませんっ! こ、こういった場所に来ることは、はじ、初めてでっ」


 しどろもどろに語りだす男に、ガーベラは近寄って手を差し伸べた。


「家だと思って寛いでくださいな」

「は、はぁ」


 しかし、手にも触れず突っ立ったままだ。自らこの店に来たとは思えないほど、狼狽している。


「では、まずお話しましょう。何か飲みたいものはございますか?」


 ガーベラの視線を辿り、並んでいるワインを一瞥した男は首を横に振る。


「僕、呑めないので」

「では、ナツメ茶は如何ですか。落ち着きますよ」

「で、ではそれを……」


 面倒な客が来てしまったと、ガーベラは心中で大きな溜息を吐く。この男は、おそらく“客”ではない。茶を煎れながら、何を話そうか悩んだ。


「どうぞ、お飲みになって」


 丁寧に煎れた茶をすすめると、男は深く頭を下げた。すすってみて、甘い味わいに瞳を開く。


「とても、美味しいです!」

「それはようございました。いくらでも飲んでくださいね」


 茶を淹れるだけなら、楽だ。このままであれと、ガーベラは男を見つめる。


「あの。……気を悪くしないでください」


 二杯目に口をつけたところで、男はようやく真正面からガーベラを見つめた。


「その。結婚する前に、お前も一度体験しておいたほうがいいって友人が言ったので。彼らは酔っていて……成り行きでこのお店に来ました。折角だからと、一番人気の貴女を友人が指名して……。あいつら、金まで出してくれたんです。断れなくて」

「まぁ、そうでしたか」


 納得した。やはり、彼は自ら店に来たわけではないのだ。

 何処かで、安堵した。この実直そうな男は、恋人を裏切ったわけではない。


「僕には、愛する恋人がいます。ですから、貴女を抱く事は出来ません。……これは、貴女に恥をかかせますか?」

「いいえ。ただ、部屋に入ってしまうと御代を返すことは出来ません。了承していただけますか?」

「勿論です!」

「それでしたら、私は恥をかくどころか癒されました。とても素敵です、互いに愛し合っているのね」


 微笑んで告げると、気を良くしたのか男の瞳が光り輝いた。


「よかった、怒られると思いました!」

「とんでもございません」

「嬉しいなぁ! 僕の恋人は、数年前この街に越して来たんです」


 突然、人が変わったように饒舌に語り出す。婚約者との出会いに思い出を、包み隠さず照れながら語る。


「彼女のお父様は造船技師で、市長に呼ばれたそうで。奇跡ですよね! 美人が来たと噂になり、僕も連れられて見に行きました。なるほど、確かに彫りが深く美しい顔立ちで。僕は木材を扱う業者に身を置いているので、売り込むたびに顔を合わせることが出来ました」


 ガーベラは呆気にとられた。妻や恋人、娘の話をする客はいたが、大体は不平不満である。惚気話が始まり、困惑する。


「ある時、知り合いの漁師が大漁だったからと、鍋を作りました。その時、近くにいた者たちが呼ばれて、馳走になりました。そこで彼女と会話しました」


 うっとりと語る男は、ガーベラがいてもいなくても語っていただろう。


「ぐっと距離が縮まり、気づいたら交際を始めて。彼女は最高です、出会えてよかったと何度思ったか! 神のおぼしめしですよ。そうそう、先日、新居で使う食器を購入しまして」


 熱弁は止まらない。

 だが、悪い気はしなかった。この男は、心から恋人を愛している。そして、周囲にもその愛を振りまいている。幸福をおすそ分けしてもらったようで、知らず笑顔になる。


「御幸せに。幸せなお嫁さんね、大事になさってくださいな」

「勿論ですよ!」


 その話は、娼館で働いているガーベラには無縁な内容だった。有り触れた内容だが、これが年頃の男女が体験する恋愛なのだと関心をもった。

 

()()()()では、こうして男女が惹かれ合うのね」


 きっかけは些細なことなのだろう。

 上を通り過ぎた男の数など馬鹿らしくて数えていないが、その中に興味を惹いた男は一人しかいない。帰らぬ人となった、吟遊詩人のルクである。

 ただ、彼に抱いていた感情も、恋だったのか分からない。単純に尊敬していただけかもしれない。

 男は、結局喉が嗄れるまで話し込んだ。

 朝陽が窓から差し込むと、男は我に返って羞恥心から顔を染める。


「す、すみませんっ。僕ばかり話してしまって」

「構いませんわ。ここは、男性の心を癒す場所。貴方が楽しく過ごせたのなら、私も幸せです」

「ありがとうございます。美しいのは見た目だけでなく、心もですね」


 仕事だから付き合っているだけ。断じて心が綺麗なわけではない。

 ガーベラは貼りつけたような笑みを浮かべ、彼を見送る。今の言葉が、何処となく心に突き刺さった。

 すぐに忘れる娼婦に、世辞など不要なのに。心の中で、悪態つく。

 去り際、不意に男が振り返ったのでガーベラは息を飲んだ。

 

「ところで。……何故、貴女はそんなに悲しい顔をしているのですか?」

「え?」


 鈍器で殴られたような衝撃だった。


「ずっと、悲しそうに瞳を伏せて話を聞いていたから」


 ガーベラの心は、大きく揺さぶられた。そんな筈はない、皆が褒める笑顔で聞いていた筈だと拳を握る。心の奥がじんわりとした、くすぐったい気がして、自然と口の端に笑みを浮かべていた。

 その筈だ。


「そうかしら? ……気のせいですわ、だって、お話がとても楽しかったもの」

「……ガーベラさん、ありがとうございました」


 去っていく客を見送ると、眩暈がして壁にもたれかかる。


「悲しそう? 私が?」


 有り得ないと、首を横に振った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ