■好奇心
2022.03.16
えいだちゃん様に描いていただいたトビィとガーベラのイラストを挿入しました。
著作権はえいだちゃん様に帰属します。
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強い酒を呑む。
琥珀色の液体を揺すりながら、ゆっくりと口に含んだ。味を堪能し喉を通すと、せがむようにトビィを見つめる。軽く口の端を上げ、挑発的に瞳を何度か瞬きした。
「呑み過ぎだ」
「あら、そんなことないわ。私、強いもの」
嘆息したトビィが、ガーベラから酒を遠ざける。
「ぁん!」
唇を尖らせ手を伸ばすが、力が入らなくて崩れ落ちた。
「自棄酒は身体に悪い」
残っていた酒を呑み干し、トビィは転寝しているクレシダを見やる。暫し思案していたが、戸惑いがちに口を開いた。
「やり直したい、そう言ったな」
朦朧としながらも、ガーベラは幾度も頷く。しかし、不可能な事は分かっている。夢の中ならいくらでもやり直せるだろうに。
だが、トビィはしれっと意外な言葉を口にした。
「方法はある」
「……なんですって?」
馬鹿らしいと顔を上げたガーベラは、声まで赤くして絡むようにトビィを睨んだ。しかし、彼は大真面目だ。
「別の惑星へ行けば、娼婦のお前を知る者はいない。新しい人生としてやり直すことが出来る。だが保証はない。そこで失敗したら過去も運も関係ない、単純にお前の実力不足だ。打ちのめされて唄を諦め、早々に娼婦に戻るかもな。今以上に惨めになる覚悟があれば、案内しよう」
「言ってくれるわね、失敗すると思っているのでしょう?」
上半身を起こし、鋭利な瞳で睨みつける。酒が全身を支配していることは、ガーベラにもわかっていた。身体が火照って、目の前がグルグルと廻る。上機嫌というより、誰かに喧嘩を売りたい気分だ。
本音を誰かに吐露することなく生きてきたためか、鬱憤を腹に溜め込んでいる。目の前の男になら、遠慮なく曝け出せる気がした。そんな男は、ルク以来だ。
「そうは言ってない。覚悟はあるか、と訊いている。酒に逃げるようでは、この先が思いやられる」
悪酔いしているガーベラに苦笑し、トビィは木の実を齧る。
「覚悟も自信もある。別の惑星って分からないけれど、やり直すことが出来るなら連れていって。這い上がってみせる、必ず」
「ふぅん」
「何よ、その気のない返事は。馬鹿にするのはよして」
「……オレの一存では無理だ、まずは許可を貰う。おそらく、奴はアサギが頼めば一つ返事で承諾するだろうが。後日連絡する、送っていくから今日は宿で寝ろ。とってあるんだろ?」
「奴?」
「そう、奴。神」
「神。……勇者アサギは、神にも顔が利くの? 羨ましいこと、多くの祝福をあの小さな身体で受け止めているのね」
一瞬険しい顔を見せたトビィだが、何も言わなかった。
「ねぇ、まだいいでしょう? 今日はとことん呑みたい気分なの。イイ男が目の前にいると酒が進むって本当なのね。初めて知ったわ」
ガーベラは流し目に上目使いで、クスクスと艶美な笑みを浮かべた。面倒そうに水を差し出したトビィに、挑発するように外套を肌蹴る。
「唄い手は喉が大事だろ? ここまで酒を煽っては、傷つくのでは?」
これ以上冷ややかには言えないと思えるほどの響きで、トビィは跳ね除けた。
そう言われ、言葉に詰まる。渋々ガーベラは差し出された水を飲み干し、恨めしそうにトビィを睨みつけた。
無視して勘定を済ませたトビィは、寝ているクレシダを叩き起こし、ふらつくガーベラを支えて宿に向かう。
「おい、宿は何処だ」
「あっち。……ねぇ、トビィ。貴方、お酒に強いのね」
「嗜む程度には」
「嘘。水のように酒を呑んでいたのに顔色一つ変えない。酒豪だわ」
「おい、話せるなら教えろ。この方角で合っているのか」
「温かいのね、トビィ。初めてカーツで見た時は軽薄そうな男だと思ったけど、とても優しい」
「お前が倒れるとアサギが哀しむ、それだけだ。他意はない」
「……勇者アサギを、愛しているの?」
「当然。でなければ、誰がこんな面倒なことをするか」
「アサギが私を気にかけなければ、こうして酒を呑み交わすこともなかったのよね?」
「当然だ、ここへも来ることもなかった。その場合、お前は先程の下衆共に犯されていただろう」
「顔はいいけど、気の利かない人ね! 美女を前にして、そんな酷い言葉しか出ないの?」
「生憎だが、オレにとってアサギ以外の女は全員同じだ。悪いな」
「似ていない兄妹だと思ったけど、もしかして血の繋がりがないのかしら」
トビィは失笑した。
「兄妹? アサギがオレのことを“お兄様”と呼ぶだけで、ただの男と女だが」
「そうなの!? てっきり妹を溺愛しているのだとばかり」
「アサギは、オレが愛するたった一人の女だ」
言い切った横顔を見上げたガーベラは、少しだけ酔いが醒めた気がした。トビィの瞳には、揺ぎ無い光が宿っている。自分ではない誰かを想う人間は、ここまで美しいのだと打ちのめされた。
「そう……素敵ね」
アサギが『トビィお兄様』と呼んでいたので、てっきり禁断の恋をしているのだと思っていた。
「もしかして、相思相愛の恋人同士なの?」
「恋人なら“お兄様”とは呼ばないだろ」
少し苛立った声に、ガーベラが吹き出す。つまり、トビィの片想いだ。
「意外。貴方なら、どんな女も苦労せず手に入れられそうなのに」
「嫌味をどうも」
身体を支えてくれている腕が、ひどく逞しい。細身の長身だが引き締まった身体に無駄の無い筋肉、男独特の妙な色気も発している極上の男。鋭く細い瞳は、危険な香りがして吸い込まれそうになる。
「アサギが羨ましいわね、トビィにそこまで想われて」
「おい、宿はここか」
「……そう、ここ」
トビィは宿を見上げ、ガーベラを突き放そうとした。しかし、思った以上に力が強く、離れない。
「おい、離せ」
駄々をこねるように腕をトビィの腰に絡めたまま、ガーベラは潤む瞳で見上げた。しかし、彼の眉辺りに凄まじい怒りが這っていたので、ぎこちなく離れる。
「おやすみ唄い手ガーベラ。酒の勢いで寝台に男を連れ込みたいなら、娼婦に戻れ」
「……唄い手であっても男は欲するわ、女だから。そして、選ぶ権利はあるでしょう? 仕事ではないもの。アサギがいるならと思っていたけど、貴方は独り身のようだし。都合がよかったの」
「精々頑張れ、迎えが来るまで」
無表情のトビィは、ガーベラを見ることなくそう告げた。長居は無用と踵を返す。
「おやすみなさい、助けてくれてありがとう! 感謝しているわ」
クレシダを連れて遠ざかっていくトビィに、深い溜息を吐く。
確かに、先程の行為は彼の信用を失うに値する。だが、心が寂しかった。彼が傍にいてくれたら、どんな災難からも護ってくれる気がした。
「でも、駄目よね。恋人でなくても、トビィにはお姫様がいるものね」
トビィが置いていった外套を嗅ぐと、稲妻が走ったように身体が震える。寝台に横になって、酔いしれた。いつの間にやら、雲から三日月が顔を出している。窓から見えるそれは、鋭利な彼の瞳を連想させた。
「惚れた女以外、相手にしないのね。イイ男で、つまらない男」
男を誘うことなど、今までなかった。身体の関係は多々あれども、仕事でのみだった。個人的に付き合っていた男はいない、誘われても食事にすら出向いていない。
久し振りに、ルク以外の男に心を揺さぶられた。
彼は、娼館で相手をする生物ではない。
「酔っているのかしら、それとも颯爽と現れた王子様に浮足立っているのかしら。ねぇ、トビィ。私、貴方になら抱かれたいと思ったの」
好きという幼稚で甘ったるい感情ではない。
ただ、興味を持った。
勇者アサギのために、一心に動く男がどんなものか知りたい。
「そうしたら、男女間に芽生える恋愛感情がどんなものか……私にも分かるかも」