紫銀の王子さま
月の無い暖夜だった。
唄を終えて、帰路につく。普段通りだった、数人の男が待ち構えていたこと以外は。
彼らに気づき、硬直する。目の前の男たちは、泥酔している。まだ距離があるのに、酒の臭いがここまで届いた。男らが手にしている灯りで、下卑た笑みが浮かび上がる。
「ヒッ」
逃げなければ。
ガーベラは、店主に助けを求めるため身を翻した。しかし、呆気なく腕を掴まれる。
「アンタ、海の向こうで娼婦だったって?」
「隣街では、売春もしていたそうじゃないか」
良くも悪くも、ガーベラは目立ち過ぎた。隣町から来た客の中に、知っている男が混ざっていたのだろう。
せめて、名を変えればよかったと後悔した。歌声は褒められる、だが、過去の汚れた自分が足を引っ張る。ここまで生きる為には、必要だったことなのに。
「離してください、私は唄う者です」
「いいじゃないか、奮発するよ」
「金額の問題ではありません、私は娼婦でも売春婦でもないっ」
気丈に暴れるが、男たちは薄笑いを浮かべている。
「以前はヤっていたんだろ、誰とでも」
身体中が怒りに震えた。
それは大間違いだ。仕事で、きちんと金を払う客と身体を重ねたが、その後は単に犯されただけ。
「勝手な事を……!」
「娼婦だった頃のほうが、皆に愛されていただろう?」
「歌声など二の次だ、お前は足を広げ微笑んでいればそれでいい」
好きで相手をしていると思っているのか。もし力があるのならば、この男らの大事な部分を切り落としている。
ふと、勇者アサギが浮かんだ。
貧弱に見える彼女だが、魔王を倒すくらいには強いらしい。賢者アーサーからも一目置かれ、強そうな竜を従えている。この場にいたのが彼女であれば、下劣な男を叩きのめしているに違いない。
腕が何本も伸びてきた、汗臭い男の体臭に胃酸がせり上がる。
「離しなさい!」
髪を捕まれ、服を破られ、口に布を詰められ、ガーベラの身体は路地へと消えた。
肌を這う無骨な手に寒気がする。過去に娼婦だったという事実が、唄うことに支障をきたすなど知らなかった。
悔しくて涙が溢れる。折角見つけた居場所だが、また別の土地へ移らねばならない。
けれども、何処へ行っても過去を知る者が現れそうで怖い。何時まで経っても、“唄う娼婦”という肩書きのまま、逃げ続けるしかないのだろうか。
瞳を硬く閉じ、歯を食いしばってやり過ごそうとした。朝には解放されるはずだ、大人しくしていようと。無駄な体力を使うこともない、明日になったら逃げねばならないのだから。明日唄うための試練だと思い込み、精一杯の強がりを見せる。
「グヘェ」
その時、蛙が潰れたような醜い声が聞こえた。
「な、なんだテメェ、オブッ」
「ゲフッ」
間抜けた声が幾つも聞こえ、骨が砕けるような鈍い音や、何かが落下する音が響く。
「……何をやっているんだか」
恐る恐る瞳を開いたガーベラは、見事な紫銀の髪をなびかせていた見知った男の姿を見た。忘れるはずも、見間違えるはずもない。美しい髪が揺れ、全身からことごとく異性を陶酔させるほど匂やかなものを発する男などそういない。
「トビィ」
口に詰められていた布を引き出し、名を呼んだ。
舌打ちしたトビィは転がっている男たちを踏みつけ、ガーベラの手首を掴むと路地から連れ出す。
「助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「……詮索しないのね」
「興味がない」
瞬きしているガーベラを見下ろし、眉間に皺を寄せたトビィは肩を竦める。自身の外套を羽織らせ、露出していた乳房や太腿を隠した。
「あの、ありがとう」
恐怖から解放され、ようやくガーベラは安堵する。見知らぬ男の匂いがついた外套は新鮮で、妙な気持ちになった。顔を上げると、近くにもう一人男が立っている。
頭部に二本の角がある金髪の男は、竜のクレシダ。デズデモーナの同僚のようなものだ。彼は無表情で、地面に転がっている男たちを見下ろしている。
「クレシダ、見張ってろ。アーサーに突き出す」
「御意に。しかし、これでは逃げられないでしょう」
トビィは、彼らの脚と腕の骨を折った。この状態では動けないだろう。
「アサギがお前を気にしていた。余程気に入ったらしく、会うために出向いたが……。ニキから旅に出たと聞いてね」
「つまり、彼女に頼まれて私を捜していたと」
「いや、頼まれていない。オレの独断だ。見つけたらアサギが喜ぶと思い」
「……そうでしょうね。貴方、アサギを溺愛しているもの」
窮地から救ってくれた美形の王子だが、夢物語を見る歳でも性格でもないことは自分で分かっていた。納得したガーベラは、つまらなそうに唇を尖らせる。
完璧な王子には、完璧な姫が最初から存在するのだと実感した。理不尽だが、そういう世界なのだと。
「なら、私に相応しい王子は何処にいるのかしら」
トビィに聞こえぬよう、他人事のように呟いた。ルクの顔が浮かんだが、彼は故人だ。
「私に王子なんて、いない。きっと、生涯の伴侶は唄だわ」
呻く男たちを縛り上げたトビィは、夜空を見上げ誰かと会話している。すると、すぐに血相を変えた男らがやって来た。彼らは地べたに這い蹲っている男らを縛り上げ、連行していく。
一連の出来事を、舞台の袖から見ているような気分だった。
「トビィ、貴方一体何をしたの?」
「神に連絡をして、アーサーに言伝を頼んだ。強姦魔がいるから引き取りに来いと」
「神?」
訝るガーベラに薄く笑ったトビィは、付近を見渡す。人の気配は少ないが、何処からか声がした。
「まだ空いている店はあるな、来い」
「え?」
歩き出したトビィの後を追い、三人は早朝まで開店しているらしい酒場に入った。
クレシダは帰りたそうに俯いているが、二人は酒と肴を注文する。ひっそりとした店内の奥で、ちびちびと飲み交わした。
こうして誰かと呑み交わすことが久し振りで、ガーベラの気持ちが緩む。酒を呑んでも愚痴を言わない性格だと思っていたが、先程の精神的苦痛が手伝って噛みつくように語り出す。
鬱憤が溜まっていた。
「勇者様に見出されて、私は幸運なのかしら? ……でも、元娼婦の女は、唄で評価してもらえないみたい」
トビィは黙って聞いていた。
「男は同じと思うかもしれないけれど、全然違うわ! 仕事で誰かと寝ることは割り切れても、私事で寝るなら選んだ男しか嫌よ。どうして誰とでも寝られるだなんて思うのかしらっ」
「どちらも嫌々であったとしても、仕事ならば諦めがつく。同じであるわけないだろう。先程絡んできた男どもは、難癖つけたいだけだ。気にするな」
女に困らない男はそうかもしれない、とガーベラはちらりとトビィを盗み見る。
「……何処へ行っても、娼婦ガーベラがまとわりつく。逃げても逃げても影のように追ってきて、捕まってしまう。唄を誉めてくれる人も大勢いた、その度に勇気がわいてくる。愉しくて心地良くて、幸せだった。けれども、男が邪魔をする。幸せを壊す悪魔よ」
「だが、その男がいたから、お前は今まで生きて来られた。……違うのか?」
客は全員男だった。男がいなければ、娼婦でいられなかったのは事実である。ガーベラは血走った瞳でトビィを睨みつける。
「誇ればいい、人目を惹くには十分な容姿だ。それで唄が上手ければ、噂も勝手に広まるさ。後は、邪な男を蹴散らせるくらいに強くなれ」
所詮他人事だと、ガーベラは嘲笑した。この容姿は、どうしたって諸刃の剣なのだ。強くなれるのならば、なってみたい。自分の夢を護るために。
「……何処でもいい、誰もが私の過去を知らない場所へ行きたい。そこでやり直したい」