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■市長

挿絵のガーベラは恋雪姫さまからの頂き物です。

※著作権は恋雪姫さまに帰属します。

無断転載・トレス・自作発言・保存・加工等「見る」以外の行為は一切禁止します。

 港街カーツ。多くの人が行き来するこの場所は、いつも活気づいている。

 港から少し離れた区画には、酒場や娼館などが立ち並んでいた。朝でも少し薄暗い雰囲気で、客足は夜にこそ増える。それでも、酒を四六時中飲むことが出来るので、地方から出稼ぎに来た者の多くは一息つくとここへ立ち寄った。

 娼館“マリーゴールド”は、人気店の一つ。

 娼婦の質は勿論のこと、部屋の清掃や内装は華美ではないが客をもてなすために徹底している。その為、この場所を居心地がよいと感じた客は、ついつい二度三度と脚を運んだ。一見の客を取り込み、逃がさない経営方針である。

 この店の人気娼婦こそ、ガーベラだった。


『高級娼館にいるような、所作も見目も麗しい女を比較的手ごろな価格で抱ける』


 この噂を流したのは店の()()()だったが、大当たりだった。一度火が付けば、あとは容易い。そして、噂は広まっていった。

 ガーベラは、捨て子だった。

 店先で泣いているのを、館の主人が見つけた。薄布一枚に包まれ、他に何も所持しているものはなく、花壇の中にいた。

 当時、そこで咲いていた花はガーベラ。手入れが比較的簡単で、冬の間は枯れていても春になれば再び咲き誇る。明るい雰囲気があるので、娼婦にも人気だった。切って部屋に飾ったり、髪に刺したり。色も様々で匂いが優しく、万人受けする。

 館の主人は赤子を抱き上げ、迷うことなく“ガーベラ”と名付けた。

 安直といえばそうなるが、花のように誰からも好かれる、明るい存在であれと。そして、“手間がかからない”ように、とも。


「しかし、赤子とは珍しい」


 娼館には、金に困って娘を売る親がやって来る。大体五か六の娘を買い入れるが、そこまで育てる余力がなかったのだろうか。“貴重な財源”であっただろうに手放したことを館の主人は呆れもした。

 それとも、産まれてはならぬ子だったのか。


「よく稼ぐ子になって、恩を返しておくれ」

 

 娼館の主人にしては、善寄りの男だったことが幸いした。赤子であれ、店の商品。丁重に扱い、すぐに温かな毛布と乳を与えるように指示を出した。


「こんな小さい時から……。養育費とて馬鹿にならぬというのに」

「育ててみなければ、分からぬよ。どうする、その子一人の稼ぎで全従業員の給料が払えたら」

「またそんな夢見事を。これだから男は、現実を見ようとしない」

「ハハ、これは手厳しい」


 泣く事しか出来ぬガーベラを疎ましく思う娼婦らもいた。だが、純真無垢な赤子の笑い声は徐々に皆を明るくしていった。

 暫くすると、皆はこぞってガーベラをあやすようになっていた。


「アンタは運がいい。親の、せめてもの情けだったのかもね。この娼館は、娼婦に優しいのさ。食事もあるし、きちんと眠れる。普通に生きていけるよ、嫌な客との行為に目を瞑ればね」


 まだ幼いガーベラに、娼婦たちはしんみりと話しかけた。それは、自分に言い聞かせているようでもあった。ここに籍を置く者の末路である。

 親に売られた者もいれば、親から逃げ出し自ら志願した者も、夫や姑の暴力に耐え切れず飛び出してここへ来た者もいた。

 彼女らにしたら、ここは天国だ。普通に息をして、食事をとり、布団で眠って、皆と話しながら生きていける。自分の存在を認めてもらえるし、仕事に対しきちんと報酬も支払われる。

 努力した分だけ、報われる。

 太陽が顔を出さぬうちから畑仕事をし、家族が起きる前に朝食の用意をして、洗濯物を干し、残飯を食べたら再び畑に出る。夜はほつれた服の修繕を囲炉裏の前で行って、少し眠ったらもう朝。そんな生活を繰り返していた女は、待遇の良さにさめざめと泣いていた。

 ガーベラは、娼婦になる為に幼い頃から娼館で過ごした。幼い頃は掃除と洗濯が仕事で、暫くすると食事当番や買い出し係も務めた。外の世界を知らぬので、それが当然のことだと思っていた。

 自分と同じ年頃の娘は、場所は違えどこうして生きているのだと。学校に通い、友人たちと走って遊ぶなど考えもしなかった。

 八歳を過ぎた頃から、客の了承を得られた場合娼婦に同伴した。それは、閨事の観察。間近で見て、彼女らの技術を学ぶように告げられた。気前のよい客は珍しがって、ガーベラによく見えるように行為に及んだりもした。

 ガーベラは、何の疑問も抱かずに始終を見ていた。大きくなったら、これが仕事になるのだと理解していた。

 そして、子供ながらに艶めいた娼婦らの表情を“美しい”と感じていた。


 初めて客をとったのは、十一だった。

 以前から、「この子の()()()はいつだい?」と多くの客に訊かれていたし、金を出すから是非自分を初夜の相手として欲しいと名乗り出る者もいた。

 男たちは躍起になっていたが、ガーベラにとっては誰でもよかった。初めての男の顔など、憶えていない。ただ、高齢で紳士的であった気がする。よって、痛みはなく、気づいたら終わっていた。行為より、会話していた時間が長かった気がした。

 後で聞かされたことだが、馴染みの常連客であり、気に入った娘の水揚げはほとんど彼がしているらしい。それほどまでに懇意にしているのだろう。


「この子は、大物になる。大事に育てなさい」


 主人にそう告げ、気前よく二倍ほど金を払ったという。

 よって、翌日はガーベラが好む食事がずらりと並んでいた。イヌビワにたっぷりのチーズを絡め、白ワインと共にいただく。林檎を焼いて、たっぷりのシナモンとクローブ、それに蜂蜜をふりかけパンに乗せて食べる。そして、野草と共に蒸された子羊の肉がたっぷり。

 娼婦仲間も大喜びで食べ、皆が“女になったこと”を祝ってくれた。自分が、善行をしたのだと思う程に。

 しかしガーベラは、自分は先輩娼婦らと同じように艶やかだったろうかと、そんなことを考えていた。褒めてもらえたらしいが、実感がない。そもそも、自分の()()好かったのだろう。


 産まれた時からここにいたガーベラは、娼婦になったとしても皆と仲良くやっていた。娘や妹のように可愛がられてきたことは、昔も今も同じ。美しいが、人気が出ても嫌味な態度はなく、言葉にも出さない。誰にでも平等に接する姿には、好感がもてた。

 暫くすると、何れは看板を背負う娼婦になるだろうと期待もかけられた。その為、どうしても嫉んで嫌がらせをする娼婦も出てしまった。特に、後からやって来た者たちはこの親し気な雰囲気に馴染めず、嫌がらせをする事でしか鬱憤を晴らせなかった。娼婦は、互いの客を奪い合う敵でしかないと。

 しかし、質の良い場所を目指している館の主人がそれを赦さず、足並みが揃わない娼婦には即刻辞めてもらった。

 これは、ガーベラだからではない。ずっと、そのようにしてこの場所を護ってきた。居心地がよいからこそ、娼婦たちは仕事に励んでいる。主人はそれを理解していた。

 職場の良さとは環境だと、この男は知っていたのだ。

 成長するにつれ、自分が置かれている場所が特殊だということはガーベラも理解した。だが、屋根がある場所で眠れ、温かな食事を口にでき、仕事もあるという状況に感謝しかなく、捨てられた事を嘆く事は一切なかった。

 そうして、親友と呼べる友人が二人できた。

 エミィとニキは、ガーベラが人気娼婦となる前にやって来た。二人共沈んだ顔をしており、最初は話すこともなかった。それどころか、こんなところは嫌だと泣いていた。

 しかし、娼婦たちの優しさと暖かさに徐々に心を許していった。人の温もりに、飢えていた。心に余裕があると、人は丸くなる。一旦打ち解けてしまえば、あとは簡単だ。

 

 雲の隙間から、時折月が顔を覗かせている。淡い光が地上に零れる夜は、どことなく寂しい。


「今日、貴方の娘さんに街で御会いしました。とても可愛らしい子ですね」

挿絵(By みてみん)

 ゆったりとそう告げ、ガーベラは微笑む。

 今夜の客は他でもない、昼間遭遇したグランディーナの父親。市長である彼は、上顧客の一人だった。たまに娘の話をしていたので、一度見てみたいとは思っていた。ニキは買い出しの際に会ったことがあり、顔を覚えた。その時は、警護の者らが共にいたという。見事な赤髪は目立つので、忘れないだろう。

 市長の髪も赤いが、ほぼ抜けており貧相だ。しかし、見た目など何になるというのだろう。男の容姿を気にしてこなかったので、誰でも同じに思えた。つまり、ガーベラは興味がないのだ。

 グラスに、愛飲している酒を丁寧に注ぐ。狼狽する市長に気づきながらも、そ知らぬふりをした。


「む、娘には」

「何も話しておりません。お客様の情報は、秘密厳守でございます」

「そ、そうか、そうだな。すまない」

「いいえ、お気になさらず」


 ガーベラは同情するような瞳で、優雅にグラスを差し出した。

 娘に知られていない、と解ると市長は途端に上機嫌になり一気に酒を飲み干す。


「そこそこ可愛いだろう?」

「とても愛らしいお嬢様でしたわ」

「ガーベラには敵わぬよ」

「そんなことはございません」


 鳥肌がたった。

 娘が一番可愛いと言って欲しかった。『ガーベラは二番目に美しいな』そう言われた方が、どれだけ楽だったろう。笑いながら抱き寄せる中年太りのこの男に、唇を噛む。

 自分を褒められ昂揚する女は多々いる。それこそ、「妻より」「娘より」「今まで出逢ったどの女より」などと言われなければ不機嫌になる者もいる。

 だが、ガーベラは違った。仲間との結束が固いので、身近な者こそ尊いと思っている。身分を隠し、周囲を気にしてコソコソと時偶会いに行くだけの女を一番だと言われても鼻白む。

 

「お前は今宵も美しい」

 

 太腿を撫でまわされ、耳元でねっとりと囁かれた。


「私を愉しませておくれ、この間のように」


 市長は懐から数枚の金を取り出すと、衣服から零れそうになっていた胸の谷間に押し込む。

 ガーベラは嫣然と微笑み、()()()を思い出した。ガーベラが人気娼婦となった理由の一つが、客の好みの掌握だ。その為、何をしたのか、何を求められているのか間違えない。


「まぁ、可愛らしい御方」


 この男は赤ん坊になりきることが好きだった。


「おなかちゅいたんですねー、いらっしゃい、ぼうや」


 そう言って腕を広げると、瞳を輝かせて胸に飛び込んでくる。


「ばぶばぶ」


 こんな大きな赤ん坊がいてたまるか、と言い出したいのを堪え、ガーベラは母親になりきった。とはいえ、母など知らないので年配の娼婦仲間が手本である。頭を撫で、優しく話しかけるだけで男は満悦だ。

 これで市長というから驚きだ。しかし、市長なりに闇を抱えているのかもしれないと思い、気の毒でもある。

 夢中で乳房を吸っている男を複雑な気持ちで見つめつつ、ガーベラは溜息を吐いた。仕事なので拒否はしないが、自分の娘と同じ年頃の女を抱くのはいかがなものか。

 その娘は、昼間に罵声を浴びせた娼婦と自分の父親が繋がっているだなんて、夢にも思わないだろう。真実を知ったら、卒倒するだろう。

 酷く憐れだ。

 窓から外を見やり、月を仰ぐ。丸くて淡く光を放つ月が、物悲しそうにこちらを見た気がした。 

 この仕事が嫌いなわけではない。ここまで育ててくれた恩がある。他にやりたいことがあるわけでもない。そもそも、身体以外に何もない。


「おかぁさぁん、ばぶばぶ」


 甘える市長をあやすように抱き締め、ガーベラは唇を噛んだ。

 皮肉なものだ、真似ごとで客の母になれるのに、子を産む事は出来ない。以前熱を出して医者にかかった際に、そう宣告されている。

 だから、ここに居る。

 生涯ずっと、娼婦として生きていく。


「いやぁ、よかった。また来るよ、ガーベラ」

「えぇ、いつでもお待ちしておりますわ。……私の可愛い坊や」


 夜更け過ぎ、市長は慊焉とせぬ面持ちのまま深く帽子を被り去っていった。最近、頻繁に持参してくれる『娘が好きな焼き菓子』を置いて。

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