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類は友を呼ぶ

 翌日、ガーベラは宿から一歩も出なかった。

 宿での仕事は初日だったが、体調不良だと説明し寝込んでしまった。迷惑をかけられたというのに、心配した主人は野菜たっぷりのスープを運んできた。それが逆に申し訳なくて、情けなくて涙が出る。

 確かに気分は優れない、身体も重い。だが動こうと思えば動く事が出来る、風邪ではない。

 病は気から、とはよく言ったものだと薄く笑う。

 丸一日寝台の上で眠っていたガーベラだが、翌日は起床し宿の仕事を開始した。こうでもしなければ、二度と立ち上がることが出来ない気がして。

 窓から入り込む光は、眩しい。

 外に出たいのに、知らない男が怖いと思い始める。躊躇したが、部屋にこもっていては主人に心配されるだろう。


「全員、善人ではない。そんなこと、知っている」


 昨晩は、運が悪かったのだ。

 深い溜息を吐き、外出を決意した。下衆な男に出遭わぬよう、人が多く助けを呼びやすい大通りを歩く事にする。

 宿で昼食を願い出ると、今日は魚を丸ごと一匹油で揚げたものだった。付け合わせの芋の塩気が絶妙で、元気が湧いてくる。


「いってきます」

「気を付けるんだよ、顔色がよくない」

「お気遣いに感謝します。そうだ、帰りに花を買ってきますね。生けて踊り場に飾りましょう」

「おお、ありがたい! そういう華やかなことに疎いから、助かるよ」


 歩いていると、老婆が数本の薔薇を手にして立っているのを見かけた。花売りだろう、僅かの金で生き永らえているのだ。相手にされなくとも、震えながら人々に差し出している。

 ガーベラは()()()()()、全て買い取った。どのみち何処かで花を調達する予定だったので、善い事をしたと思えた。

 多少萎れているが、蕾もある。早めに帰って生ければ、明日も咲き誇るだろう。

 真紅の花を見つめ、鼻孔をくすぐる薔薇の香りに気丈な自分を取り戻す。思い切り吸い込むと、クラッとするほどに強い。だが、今は甘さよりもこの強烈さが心地良い。


「そうよ、しゃんとせねば」


 公園に辿り着くと、海を見渡せる長椅子に腰掛ける。 

 潮風と薔薇が混ざり合い、何とも奇妙な香りになった。まるで、今の自分の心のようだった。


「私は、何がしたかったのだろう」


 ぼんやりと呟いた。唄を褒められ、その気になってしまったことは認める。

 あまりにも、浅はかだった。


「唄を仕事にするって、難しいのね……」


 今になって、後悔の波が押し寄せる。勢いで飛び出したが、帰りたい。外へ出て、始めて娼館の良さを実感した。


「私は、全てにおいて弱かった」


 項垂れて瞳を伏せる。


「……甘えて戻ったほうが、自分の為かしら。気分転換の小旅行だったと、無様な言い訳をして」


 戻れば、皆は笑顔で迎えてくれることは分かっている。しかし、指で数えられる日数しか離れていない。

 今帰ることは、自尊心が許さなかった。

 考えていたら気分が悪くなってきて、頭痛がする。花もあるので帰ろうと、立ち上がった。今日も売り込みはやめ、早々に眠ることを決意する。

 沈みかけの夕陽を一瞥し、静かに公園の出口へ向かう。色とりどりの屋台も、店じまいを始めていた。


「雪が降る、降って積もって凍えてしまった

 強かに雪は降り積もった、儚げに見えて牙を剥いた

 温かさで解ける雪、空から舞い降りる小さきもの

 けれども、地面に降り積もった雪は狡猾で

 緑の息吹を、その純白で覆い隠す

 息が出来ぬようにと覆い被さり、緑を凍えさせた

 美しき白は、何れ泥に塗れて見苦しく

 雪が降る、降って積もって凍えた緑

 雪が解け、息を吹き返すために待ち侘びる

 暖かな太陽が降りそそぐ時まで、凍えながら耐え続ける」

「あら、綺麗な声ね」


 知らず、唄いながら歩いていた。

 声をかけられ、我に返る。周囲には子供連れの女性が数人集まっていた。妊婦や、幼子を抱いた母が、聴いていたらしい。

 ガーベラは気まずくて、小さく会釈した。


「ねぇ、子守唄をお願いしても?」

「え……」


 まさか、そんな事を言われると思わなかった。

 呆然と突っ立っていたが、期待の視線に負けた。控え目に会釈をすると、姿勢を正す。大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出した。


「神の御手は この子のゆりかご

 いつもこの子に 祝福を

 ねんねこ ねんねこ

 神の御手に 護られて

 私の瞳に 護られて

 ねんねこ ねんねこ

 大きくおなりよ 愛しい子」


 娼館で覚えた、何処かの地方の唄。

 背後から迫る夕陽が、ガーベラの姿を浮かび上がらせる。


「まぁ、本当に綺麗な声! 助かるわー、この子はグズッて、なかなか眠ってくれないから」

「心が洗われるような、美しい声だわ」


 褒め称える主婦たちの感想を聞きながら、ガーベラは頬を染めて声を張り上げた。

 金は貰えないが満足した。唄を聴きたいと言ってもらえて、心が浄化される。

 人に喜んでもらえると、どうしてこうも幸せなのか。


「ありがとう! またお会いできますように」

「こちらこそ、聴いてくださってありがとうございました」


 上機嫌で去っていく主婦と幼子たちに、ガーベラは深く頭を下げた。

 鼻がツン、として涙が溢れる。

 あぁ、よかった。どうしたって、唄が好きだ。

 歯を食い縛る。泣き笑いで瞬きをすれば、地面に涙が零れ落ちた。

 浅い水底のような碧みを残している夕闇の中、浮き足立って帰路についた。思い切って外出してよかったと、薔薇の香りを嗅ぐ。


「私は、どうしたらよいのかしら」


 ふと、唄の職につかない路もあると思った。質素な生活で構わないので、先程のように無償で唄うのもありだと。早朝と夜に皿洗いなどで銭を稼げば、どうにかなるのではないかと。

 そのほうが、望んだ生活が手に入るのではないか。


「そうよ、お金をもらいたいわけではない。私は、多くの人に唄を聴いてもらいたいだけ」


 すっかり陽が暮れ、辺りを暗闇が覆う。

 何気なく歩いていたら、腕を捕まれ引きずられた。

 驚いて悲鳴を上げようとしたが、口を手で塞がれる。湿った手に、寒気がした。

 ガーベラは、細い路地に連れ込まれた。必死に身を捩るが、抵抗しても無駄だった。耳元に生温い空気がかかり、全身に鳥肌が立つ。臭い口臭は二日前を連想させ、吐き気をもよおす。


「みーつけた。港町カーツの人気娼婦さんじゃねぇか、お代は幾らだい?」


 せせら笑う男に青褪めたガーベラは、片足を上げて蹴りを喰らわせようとした。だが、その脚は難なく掴まれる。目を凝らせば、数人の男に取り囲まれていた。

 身体が硬直し、そして震え出す。顔はよく見えないが、全員下衆だろう。

 荒い呼吸で男たちを睨みつけると、全員が嘲笑する。


「いやさ、あんたと寝たっていう男が酒場で意気揚々と武勇伝を話していたもんで。捜していたんだー」

「港町カーツの有名な娼婦だって? あそこはこの辺りでも有数の歓楽街だが、貧乏人には手が届かねぇ。憧れの地さ」


 腕に、脚に、胸に、腰に、男たちの手が這う。

 助けを呼びたくとも、口を塞がれている。恐怖で顔が引き攣り、皮膚が裂けるくらいに鳥肌がたった。

 それでも、涙は出なかった。


「うはぁ、これが人気娼婦! どこもかしこも香しい」

「綺麗な顔と身体だなー。まさか、こんな場所にいるなんて」

「あんた、唄で稼ぎたいって? 諦めな、このご時世、腹の足しにもならん唄でメシを喰っていこうなんざ無謀さ。後ろ盾があれば別だろうがなぁ」


 身体だけでなく、心まで踏み躙られた。


 青黒い薄明りに、夜が明けることを知る。

 ようやく解放されたガーベラは、ふらつきながら路地から出た。男たちが吐き出した白濁した液を身体に付着させ、ようやく込み上げてきた涙を拭うことなく、覚束無い足取りで宿へ戻る。

 老婆から購入した薔薇は、踏まれて潰れていた。


「…………」


 無理なのだろうか。

 娼婦として囲われた空間で働いていた自分は、外で唄う事が許されないのか。

 不幸中の幸いで、ガーベラは子を宿せない。下劣な男の子を孕むことはないので、その点は安心出来る。 

 身体を汚されたことより、夢を貶されたことが痛手だった。


「ルクの……嘘つき。私と貴方は、違う!」


 もし、彼が生きていて、共に旅に出ていたら。ルクという高名な吟遊詩人が認めた弟子であると紹介され、誰もが聴いてくれただろう。七光であっても。

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