恐怖の対象
港街カーツに竜が舞い降りた。
その姿に人々は悲鳴を上げ恐れ戦いたが、滞在していたアーサーは笑顔で彼らを出迎えた。その為、大事にはならずに済んだ。
竜がやって来た事は、ガーベラたち娼婦も気づいていた。上空に現れた二つの大きな影に、瞳を細める。
「あれって」
眩しい日差しに顔を顰めながら、ガーベラは胸が跳ね上がる音を聞いた。
間違いない、先日やって来た黒い竜だ。
「あの子と一緒にいた竜よね」
「勇者様でしょ? なんの御用かしら」
「賢者殿が呼んだとか」
話は盛り上がったが、所詮雲の上のこと。ここにはこないだろうと、普段通り過ごしていた。
ところが、暫くすると黄色い声が徐々に近づいてきた。
金髪を風になびかせ裏庭で洗濯物を取り込んでいたガーベラは、訪ねて来た二人に目を丸くする。
「貴女、あの時の」
艶やかな緑色の髪を、忘れることはない。彼女は勇者アサギ。
そして、黄色い声の原因が隣でしかめっ面をしている男だと分かった。均整のとれた長身に、眩い紫銀の髪、端正な顔立ちが娼婦らの心を鷲掴みにしたようだ。
二人揃って、滅多にお目にかかれない美形である。
「こんにちは! グランディーナさんにお会いしたので、教えてもらいました」
「……律儀な子」
周囲は、まだ若いのに随分と色香が漂う男に釘付けになっている。凡人には出せない雰囲気が、より女たちを色めかせた。
ガーベラは、険しい顔をしている男に軽く頷いた。彼は気づいているようだが、ここは娼館が並ぶ夜の街。目の前にいる純真無垢な勇者とは程遠い場所である。
早くその子を連れて去りなさい。
そう瞳で訴えた。生きる場所が違い過ぎて、傍にいるだけで息苦しさを感じる。汚れた川で生きる魚が、清冽な水に耐えられないように。
「トビィお兄様、ガーベラさんです。お美しい方でしょう?」
アサギは弾んだ声でそう言うが、二人は警戒した顔つきで軽く会釈をする。
「どうも」
「初めまして、ガーベラです」
間近で見ると、トビィは息を呑むほどに美しい。職業柄多くの男を見てきたが、その頂点に立つ容姿をしている。
だが、ガーベラにとって男など客かそうでないかの二通りしかない。トビィを“客ではない”と判断し、営業用の笑みを止める。
互いに値踏みするように見据えると、何処か似ているような気がして背筋を正した。似すぎて、近寄ってはならない気がする。
同族嫌悪、とでもいうのだろうか。自分の嫌な部分が、鏡に映ってしまいそうで恐ろしい。
「そうだな、アサギが言う通り確かに“綺麗な”女だ」
「あら、貴方のような素敵な男性にそう言っていただけて嬉しいですわ」
感情が籠っていない、白々しい世辞を互いに告げる。猜疑心に満ちた瞳は、今から戦争を始めるかのように冷たい空気を醸していた。
しかし、相反する空気の中、アサギだけは朗らかに微笑む。
「早々に立ち去ってしまったので、確認が出来なくて。あの、お怪我はありませんでしたか? 来るのが遅くなってしまってごめんなさい」
「大丈夫よ。怪我などしていないわ」
「そうですか、ならよかったです。……ちょっと、心配していたので」
「心配?」
翳った表情のアサギに、ガーベラは何故か背筋が凍った。
美しい少女は、十代前半。だが妙に色香がある。ただ、見た目以前に彼女を取り巻く”空気”が妙だ。ガーベラは魔法と無縁だが、アサギの周囲に何かが張り巡らされている気がして仕方がない。
何より深緑色の大きな瞳で見つめられると、心の奥底を見られているようで怖く感じた。
「とても、綺麗な方ですけど。……何処か、死を覚悟されていたみたいで。何か、あったのかと」
新鮮なものに心を乱され、狂いそうで怖い。ガーベラの目が若干開く。
「……そう。でも、見当違いよ。私はこの場所で気の知れた仲間と共に過ごしているの」
「そうですか、失礼なことを言ってしまってごめんなさい。なら、よいのです」
曇りなく笑ったアサギに微笑み返すが、身体が小刻みに震えた。間違ってなどいない、確かにあの時、死んでもよいと思った。
穢れのないアサギの真っ直ぐな瞳は、全てを見透かしている。隠そうにも、彼女への劣等感も気づかれているような。
心を抉られた気がした。