ワイバーンの卵
目の前のワイバーンと、会話する。
ガーベラは引き攣った笑みを浮かべ、目の前の二人を見つめた。正気の沙汰ではないと、心の中で嵐のような罵倒を続ける。
「……殺気立っておりますので、会話不能です。申し訳ありません」
「デズデモーナ、ありがとう。私が会話してみます」
言うなり、手にしていた剣を下げる。
ガーベラは、ギョッとした。容姿は美しいが、頭の発達が幼稚な残念な娘なのだと白ける。
再度、死を覚悟した。救世主ではないと。
「こんにちは。初めまして、私はアサギといいます。教えていただきたいことがあるのですが、よろしいですか? あなたたちに危害を加えないと誓いますので、どうか落ち着いて話を聞いてください」
アサギと名乗った娘は、本当に対話を試みた。
その場の誰もが無謀だと顔を蒼褪める中、ガーベラはあまりの怒りから逆に冷静さを取り戻していた。この娘を囮にして、今なら隙をついて逃げられるのではないかと算段する。
ニキたちが蒼褪めてこちらを見ていたので、息を殺してそちらへ這った。
「ギ、ギギギ、ギギョゲ」
「大変! そうでしたか、解りました。私が取り戻すのでワイバーンさんは上空へお願いします。大丈夫です、必ずお届けします」
ガーベラは、細い瞳を見開いて耳を疑った。
「ゲギョ」
「よかった、信用してくださってありがとうございます!」
茶番ではと思ったが、会話しているように思える。あれほど騒いでいたワイバーンが、今は大人しい。吼える事もせず、ただこちらを見ている。
そんな馬鹿な。
ガーベラは身震いした。異形に物怖じしないどころか、手懐けた娘に恐怖を覚える。
彼女が、人間の姿をした魔物に見えた。
「あの、すみません」
アサギという名の娘が振り返る。
大きな深緑の瞳は星が宿っているかのようで、底知れぬ美しさがあった。
ガーベラは畏怖の念を抱き俯いたままだったが、グランディーナがアサギに応じた。盗み見れば、誰もここまで神経が凝結したような気味悪さを感じていないらしい。
「…………」
普通に会話をしている彼女らを見て、ガーベラは唇を知らず噛んでいた。今も、背中に冷たい風が通り抜けるような感じで全身が凍りそうだ。
漠然と、怖い。
普通に接する事が出来る彼女らと自分の、何が違うのか。
「ま、まさかお父様がこの間旅の商人から買った、珍しい宝石のこと!?」
グランディーナの素っ頓狂な声に、思い悩んでいたガーベラは弾かれて顔をあげた。話は進んでいたらしいが、聞いていなかったので惑乱する。
「大丈夫? 私に掴まって」
知らぬ間に駆け付けてくれたニキとエミィに支えられ、ガーベラはふらつきながら立ち上がる。慣れ親しんだ人の温もりに触れ、安堵の溜息がもれた。ようやく、生きていることを実感できた気がする。
困惑している表情で察したニキが、耳打ちで簡単に説明をしてくれた。
「あの魔物は、どうやら盗まれた卵を捜してここまで来たらしい。それは市長の館にあるみたい。つまり、街を襲いに来たわけではないんだって」
卵さえ戻れば、ワイバーンは立ち去ると。
茶番ではないのかと、ガーベラは勘ぐった。何もかもが信じられなくて、考えが混沌としている。だが、ニキもエミィもアサギを信じているように見える。
得体がしれないのは、ワイバーンもアサギも同じなのに。
そして、渦中のグランディーナは酷く動揺していた。もし宝石ではなく卵だとしたら、父は商人に騙されたことになる。
「珍しい宝石だって……お父様、とても喜んでいたのに……」
グランディーナも見せてもらっていたので知っている。それは、卵とはとても思えぬ、美しい球体だった。脚の痛みを忘れるくらいに、様々な感情が錯綜していた。
「た、確かに最初に狙われたのは。ガーベラじゃなくて……グランディーナだった」
ニキが、迷いを振り払うかのように呟いた。
思い返せば、ワイバーンはグランディーナに狙いを定めていたように見えた。あれは、卵の匂いを嗅ぎつけていたのだろうか。
「卵だとしたら、知らなかったとはいえ本当に酷い事だわ。大事な子供を盗まれて親が怒るのは当然だもの」
グランディーナは吹っ切ったように告げる。
言葉を全て理解していたように、一斉にワイバーンたちが羽根を広げて上昇した。
その姿に、もう恐怖は感じなかった。危害を加える気配はない、危機は去ったのだと思うと少女らは腰が抜けてその場に倒れこむ。張り詰めていた糸が切れ、全員泣き出した。助かった安心感で気が緩み、涙と一緒に嗚咽が漏れる。
そして、互いに照れたように微笑みを交わした。
「では、行きましょう。卵のもとへ」
落ち着いた様子の彼女らに、アサギは柔らかく微笑むと手を差し伸べた。