■剣を携えし美少女
胸がドキドキする。
それでも、妙な事に脳は鎮静していた。ガーベラは素早く周囲を一瞥し、喉を鳴らす。
路地はすぐそこだ、三人を突き飛ばせば彼女たちは助かるかもしれない。額を汗が流れ、口内が急激に乾き、身体が大きく震え出す。
ワイバーン二体は、こちらを値踏みするように見つめていた。まるで咎人を成敗するように。
幾度も崩れ落ちそうになりながらも必死で耐え、息を大きく吐き、吸い込む。
「行って!」
ガーベラは唇を強く噛み締めると、渾身の力で三人を路地の方角へ突き飛ばした。叫び声を上げて三人は倒れたが、路地はすぐそこ。這ってでも行ける距離だ。
家族も恋人もいないガーベラにとって、大事なものは友達だった。善人ぶるつもりも、正義の味方を気取るのも、薄幸美女を演じるつもりもない。
自己犠牲精神を持ち合わせていた自分に驚いたほどだった。
一体のワイバーンが、大きく啼く。
意思を汲み取ったように、もう一体が翼を大きく広げる。そして、立ち尽くしていたガーベラに向かって急降下した。
羽根で建物を薙ぎ倒し、鋭利な嘴を大きく開いて迫る。
「ガーベラ!」
悲痛なニキの声も、ガーベラには届かなかった。迫り来るワイバーンに抵抗する気力はなく、硬直する。そもそも、魔物と戦うことなど出来るわけがない。人相手でも、無理だというのに。
出来れば一瞬で死ねますように。痛いのは嫌だから。
ギュッと、瞳を瞑った。
走馬灯のように、脳裏には様々なことが流れた。仲間たちの笑顔に、歌は自由だと教えてくれた吟遊詩人ルク。
唄えなくなるのは辛いと、そこで初めて死を躊躇った。もし輪廻転生が存在するのであれば、好き勝手に唄い続ける人生を謳歌したいと願う。
「神がいるのであれば、私に唄をください」
「ガーベラ! しっかりして、ガーベラ!」
ワイバーンの啼き声が、急に耳に届く。
ついで、ニキとエミィの自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
怖々と瞳を開くと、目の前に誰かが立っている。唖然として、その娘を見つめた。
「え……私、生きているの?」
「大丈夫です、安心してください。来るのが遅くなってごめんなさい」
その甘く澄み透った高い声に、ガーベラは目を大きく見開く。振り返った少女に圧倒され、固唾を飲んだ。
豊かな新緑色の柔らかく艶やかな髪に、温かみのある光を帯びた大きな瞳、軽く頬を桃色に染めて、熟れたさくらんぼの様な唇を持つ。まるで少女たちの夢物語、御伽噺の中の姫のように愛くるしい顔立ちは、見る者全てを魅了してしまうと言っても過言ではなかった。
細い腰に、華奢な長い手足、こんな女が世の中に存在していたのかと驚愕するほどに愛らしい。ガーベラより幼いだろうに、凛々しく勇敢な雰囲気がある。
少女は、小柄な身体に不釣合いな剣を構えていた。
「え、あ?」
大きく息をすると、ドッと汗が吹き出る。
どうしたって、生きていることを実感した。
「まだ、生きてる」
生きていることを喜ぶのではなく落胆したような声が喉から漏れ、ガーベラは酷薄な笑みを浮かべる。
拍子抜けしたのか、それとも続く恐怖に絶望したのか。
狼狽しながらも状況を確認する為に周囲を見渡すと、今にも噛みつこうと口を開いているワイバーンと視線が交差する。
「ヒ、ヒィッ!」
鋭い悲鳴を上げ、これなら一撃で殺されていたほうがマシだったと思った。五体のワイバーンに囲まれており、一斉に哮りをかく。鋭利な牙が剥き出しになると、眩暈がした。恐怖からの尿意切迫感に腕を掴む。
武器を持っているからといって、目の前の娘がワイバーンを倒せるはずがない。手負いの獣は危険だと聞いたことがあるので、それこそ残忍に嬲り殺されるのだろうと悲観する。
駆け付けてくれたおせっかいな少女を睨みつけた。偽善者のせいで、状況は悪化したのだと。
しかし、少女は忌々しいほど堂々と立っている。
「デズデモーナ、ワイバーンと会話が出来ますか?」
「どうでしょう。……やってはみます」
知らぬ声に目を動かせば、少女の隣に長髪の男が立っている。顔は見えないが、漆黒の髪は宝石のように艶めいて美しい。重低音の声は耳に心地よく、甘い響きすらある。
ただ、彼の頭部から角が二本突き出ていた。ぎょっとして、二人を見上げる。
一体、何者なのか。