画面越しの君と、いつか隣で。
第一章 九十九宝花1日目
八時
「『今日は通話できる?』っと。まあ、送ってもどうせ返ってくるのは深夜だろうけど」
私はスマホを見ながら呟いた。
送信したメッセージの横には、いつものように小さな表示がついている。たった一文なのに、送る前には何度も読み返してしまった。変な言い方じゃないかな。急かしているように見えないかな。そんなことを気にして、結局は一番簡単な言葉に落ち着いた。
スマホを机に置いて、制服の袖を整える。返事が来るまで待とうと思ったのに、数秒後にはまた画面を見ていた。自分でも、ちょっと気にしすぎだと思う。けれど、月麦ちゃんとのやり取りは、私にとって一日の楽しみのひとつだった。
私のネッ友の月麦つむぎちゃんは夜行性で、深夜にならないと返信してくれない。そのうえ、超がつくほどのロングスリーパーなので、起きているのは基本的に一時から五時の間だけ。それ以外の時間は、ほとんど寝ている。
ちなみに「ちゃん」付けをしているが、彼は男だ。声や言動が可愛らしいので、私はちゃん付けで呼んでいる。
「今日は月麦ちゃんと通話できるといいな」
昨日は月麦ちゃんの家の用事があったため、通話できなかった。
「宝花~、早く学校行かないと遅刻するよ~」
そんなことを考えていると、幼馴染の千夏に呼ばれた。
千夏とは、三歳くらいからの付き合いだ。
「てか、あの漫画の続き読んだ?」
「まだ読んでないや」
「今回もちょ~おもしろかったよ~」
千夏とそんな話をしながら歩いていると、学校に着いた。
「じゃあ、またあとでね~」
千夏とはクラスが違うので、そこで別れた。
私は自分の教室に入り、席に座って必要なものを取り出した。
少しして、一時間目の授業が始まった。
先生が黒板に文字を書き始め、教室にはチョークの音が響く。私はノートを開き、日付を書いた。ちゃんと授業を聞こう。そう思って顔を上げたのに、机の中のスマホが気になってしまう。
もちろん、授業中に確認するつもりはない。通知が鳴ったとしても、休み時間まで我慢する。それくらいは分かっている。分かっているのに、画面が光るところを想像してしまうのだ。
ノートの端に、意味もなく小さな丸をいくつか描いた。いけない、集中しないと。私はシャーペンを持ち直し、先生の説明を聞き直した。
一時間目は国語だったが、私にとってはそんなことはどうでもよかった。
なぜなら、月麦ちゃんからいつ返信が来るのか、そわそわしていたからだ。
月麦ちゃんは基本的に夜行性だが、たまに昼間に起きていることもある。
返信が来たら、すぐに反応したい。
だから私は、授業中だというのに、スマホの通知が来ないか気になって仕方がなかった。
十二時半
通知は来ないまま、昼休みになった。
今は千夏と一緒にお弁当を食べている。
「そういえば、例の夜行性のネッ友とはどうなの?」
口の中にあった卵焼きを飲み込んでから、私は答えた。
「別に、特に喧嘩とかはしてないよ」
「宝花って、その子のこと好きなの?」
「ハァ!? 別に、そんなんじゃないよ!」
「宝花って分かりやすいよね~」
千夏はきんぴらごぼうを食べながら、そう言った。
「食べるか、しゃべるか、どっちかにしたら?」
「話を逸らしたな」
千夏はそう言いながら、私の卵焼きを一つ取って食べた。
「私の卵焼き……」
「相変わらず、宝花の卵焼きは美味しいな~。自分で作ってるんでしょ?」
「一応ね」
「しかも一人暮らしなんてすごいな~。私じゃ絶対無理だわ~」
私は両親を病気で亡くしている。
そのため、今は一人暮らしをしている。
以前は親戚の家で暮らしていたが、中学に上がる頃、これ以上迷惑をかけたくないと思い、一人暮らしを始めた。
「もうすぐ昼休み終わるから、教室に戻ろ」
「うん、そうだね」
千夏と私はそう言って、教室へ戻った。
千夏は、私が落ち込んでいるときも、無理に理由を聞き出そうとはしない。くだらない話で笑わせてくれたり、何も言わず隣にいてくれたりする。昔からそうだった。
小さい頃、私が転んで泣いたときも、千夏は大げさに騒ぐのではなく、手を差し出して「立てる?」と聞いてくれた。あのときのことを、今でもなんとなく覚えている。
だからこそ、月麦ちゃんのことを千夏にからかわれると恥ずかしいけれど、嫌ではなかった。私の変化に気づいてくれる人が、近くにいてくれる。それはきっと、ありがたいことなのだと思う。
五時間目の授業が始まって少しした頃、通知音が鳴った。
すぐにスマホを確認する。
しかし、その通知は広告だった。
「……なんだ、広告か」
少しほっとしたような気持ちになったが、それと同時に、どこか寂しい気持ちもあった。
十四時
今日は先生たちの用事があるらしく、五時間授業だった。
そのため、家に帰る前に書店へ寄り、漫画を何冊か買った。
月麦ちゃんにおすすめされた漫画も買ったため、いつもより荷物が多くなった。
「重いな……」
私は重い荷物を抱えながら、家に着いた。
「疲れた~」
そのままベッドに横になり、スマホを開いて、いくつか来ている通知を確認する。
「まだ、月麦ちゃんから返信来てないな~」
少し悲しくなった。
返信が来るまでに、明日の準備や夕食の支度をすることにした。
今日の夕食は、豚の生姜焼きだ。
冷蔵庫から豚肉を取り出し、生姜をすりおろす。醤油やみりんを混ぜ合わせ、タレを作っていく。
「こんな感じかな」
フライパンを火にかけ、豚肉を焼き始める。
ジュウゥ……。
「お~、いい匂い」
焼けていく豚肉を眺めながら、ふと今日買った漫画が入った袋を見る。
「結構買っちゃったな……」
何冊も買ったせいで、帰ってくるときはかなり重かった。
「まあ、読むの楽しみだし」
そう呟きながら、焼けた豚肉にタレをかける。
甘辛い匂いが部屋に広がっていく。
夕食を作り終え、机に料理を並べる。
「いただきます」
一口食べる。
「……うん、おいしい」
自分で作ったにしては、なかなか上手くできた。
食べ終わったあと、食器を片付けてからソファに座る。
「今日は疲れたな~」
ソファの背もたれに体を預けると、部屋の静けさが急に大きく感じられた。冷蔵庫の低い音と、壁の時計が時を刻む音。誰かが帰ってくる気配も、廊下から声が聞こえることもない。
一人暮らしは、自分の好きなように過ごせる。そのぶん、具合が悪い日も、嫌なことがあった日も、自分で何とかしなければならない。最初の頃は、夜になると家の広さが心細く感じられた。
今はだいぶ慣れた。それでも、楽しかったことを誰かに話したいと思う夜はある。月麦ちゃんに漫画の感想を伝えたいと思ったのも、きっとそれと似ている。誰かと気持ちを分け合えるだけで、いつもの部屋が少し明るくなる気がした。
スマホを見ると、まだ新しい通知は来ていなかった。
少しだけ寂しさを感じながらも、私は買ってきた漫画の袋に手を伸ばした。
「一冊だけ読もうかな」
明日も学校があることを思い出しながら、私は漫画を一冊取り出した。
一時半
一冊だけ読もうとしたら面白くて何冊も読んでしまい、気づけば一時半になっていた。
「そろそろお風呂入らないとな~」
そう思ったと同時に、月麦ちゃんから返信が来た。
『今起きてん』
そんなメッセージが届いた。
嬉しくなって、すぐに返信する。
『おはよう! よく寝れた?』
『うん! めっさぐっすり寝れた』
『それは良かった。ところで今日は通話できる?』
『今日は大丈夫やで』
『じゃあ、今からしよ』
今日は月麦ちゃんと通話できる。
通話の約束ができただけなのに、さっきまで眠かったことも、明日の準備が残っていることも、少しだけ軽くなったように思えた。
私はイヤホンを探し、机の上を片付けた。別に顔を見せるわけではないし、部屋を見せるわけでもない。それでも、通話をするときは何となく身の回りを整えたくなる。
何を話そう。今日買った漫画のことは絶対に話したい。学校であったことも話せるかもしれない。けれど、いざつながったら、きっといつもどおりのくだらない話で時間が過ぎていくのだろう。それが楽しみだった。
そう分かっただけで、とても嬉しくなった。
「二回目のおはよう」
『おはようさん』
「今日はおすすめされた漫画買ったよ~」
『買ぉたん! で、どうやった?』
「めちゃおもろかった」
『てか聞いて~、こはうちゃ~ん。昨日さ、母親に色々と言われてんで~。マジめんどい』
こはうは、私のネットでの名前だ。
「それは大変だったね~」
『僕、母親のことあんま好きじゃあれへんねんな』
月麦ちゃんは、母親と仲が悪い。
母親と話したくないから、寝ていることも多いらしい。
一応、部屋のドアには勝手に鍵をつけているようだが、ドア越しに話しかけてくるので、それも鬱陶しいらしい。
「月麦ちゃんも大変だね~」
『はぁ、はよ一人暮らしした~い』
「じゃあ、一人暮らしできるようになったら一緒に住も」
『それって一人暮らしって言わんくない?』
『でも、一緒には暮らしたいな』
月麦ちゃんは、少し嬉しそうにそう言った。
「じゃあ、二人でいつか一緒に住も!」
『うん!』
月麦ちゃんは嬉しそうに答えた。
それから、私たちは色んな話をした。
『ふぁ~……』
「眠いの?」
『うん、昨日はあんまり寝れへんかったから』
「大丈夫? 寝る?」
『今日はもう寝る』
「わかった。おやすみ」
『おやすみ~』
そう言って、通話を切った。
時計を見ると、もう四時になっていた。
「ヤベ、まだお風呂入ってないんだった。お風呂入ってから寝ないと、朝は時間なくて入れないし」
私は急いで服を脱ぎ、お風呂場に入ってシャワーを出した。
「テーブルマナーブック~、開けばそこには知らないせか~い♪」
私は最近、シャワーを浴びながら歌を歌うのにハマっている。
シャワーを終えて体を拭き、パジャマに着替える。
そのまま髪も乾かさずにベッドに入り、すぐに眠りについた。
第二章 十八女つむぎ(さかりつむぎ)1日目
七時半
「……まだ眠い……」
朝は好かん。
ちゅうより、朝に起きてること自体が苦手や。
カーテンの隙間から入ってくる光が眩しい。目ぇ開けてるだけで疲れる。
スマホを手に取って、画面を見る。
通知は特にあれへん。
まあ、こんな時間に誰かから連絡が来るわけもあれへんか。
そもそも、わしの友達はみんな、わしがこの時間寝てることを知ってる。
まあ、一人だけ例外はいるけど。
こはうちゃん。
その名前が画面にあるだけで、気持ちが少し明るくなる。ネットで知り合った相手やから、最初はこんなふうになるとは思ってへんかった。漫画の話ができる人がほしい。それくらいの気持ちで話し始めたはずや。
けど、こはうちゃんは、僕が何気なく話したことも覚えてくれる。すすめた漫画を読んでくれるし、嫌なことを話したら、すぐに否定せず聞いてくれる。特別なことをしてくれるわけやない。それでも、僕にはそれが嬉しかった。
自分の気持ちを説明するのは苦手や。嬉しいとか、寂しいとか、そんな簡単な言葉でも、誰かに伝えるとなると急に難しくなる。だから、こはうちゃんと話す時間が増えるほど、自分の中にある気持ちを少しずつ知っていくような気がしていた。昨日は母親に無理やり連れ出されて、通話できへんかった。
せっかく話せる思うとったのにな。
今日は話せるかいな。
せやけど、こはうちゃんは学校がある。
今ごろ学校に向かってる頃やろな。
もっぺんスマホを見る。
やっぱなんもあれへん。
当たり前か。
「……あとちょっとだけ」
もう少し寝よか。
どうせ昼まで寝るんやし。
そう思て目ぇ閉じる。
こはうちゃんと話す夢でも見られたらええのにな。
そんなんを考えながら、また眠りについた。
一時半
「……ん?」
もう一時半か。
ぼちぼち起きやで。
昨日あまり寝られへんかったから、今日は特に眠い。
「スマホ確認しよ」
こはうちゃんからなんか来てへんかな。
通知。
「こはうちゃんや!」
嬉しい。
昨日話されへんかったから、余計に嬉しい。
メッセージを開く。
『今日は通話できる?』
そんなん、できるに決まってるやん。
むしろ僕も話したかった。
『今起きてん』
送信。
すぐに返信が来る。
『おはよう! よく寝れた?』
おはようって。
もう一時半やで。
せやけど、なんか嬉しい。
こはうちゃんからのおはようって、なんかええな。
『うん! めっさぐっすり寝れた』
『それは良かった。ところで今日は通話できる?』
もちろん。
『今日は大丈夫やで』
『じゃあ、今からしよ』
やった。
今日は話せる。
それだけで、なんか一日の嫌なこと全部どうでもようなった気ぃする。
通話ボタンを押す。
『二回目のおはよう』
「おはようさん」
こはうちゃんの声が聞こえる。
やっぱ、この声好きやな。
落ち着く。
『今日はおすすめされた漫画買ったよ~』
え。
買うてくれたん?
なんか嬉しい。
僕がすすめた漫画を、こはうちゃんが買って読んでくれた。
『めちゃおもろかった』
よかった。
僕がおすすめしたものを気に入ってもらえるのって、こないに嬉しいんやな。
もっと色んな漫画を教えたなる。
「てか聞いて~、こはうちゃ~ん」
今日はこれ話したかった。
昨日、母親に色々言われたこと。
僕は母親のことあまり好きやない。
せやけど、それをこはうちゃんに話すと、ちゃんと聞いてくれる。
「昨日さ、母親に色々言われてんで~。マジめんどい」
『それは大変だったね~』
やっぱ優しい。
こういうところが好きや。
「僕、母親のことあんま好きじゃあれへんねんな」
『月麦ちゃんも大変だね~』
なんや、安心する。
否定せんと聞いてくれる。
それだけで十分や。
「はぁ、はよ一人暮らしした~い」
本音が出る。
すると、こはうちゃんが言うた。
『じゃあ、一人暮らしできるようになったら一緒に住も』
え?
一緒に?
こはうちゃんと?
頭の中で、その言葉がなんべんも繰り返される。
一緒に住む。
毎日こはうちゃんと会える。
朝はわしが寝てるから無理か。
せやけど、起きたらこはうちゃんがおる。
一緒にご飯食べて。
一緒に漫画を読んで。
夜はずっと話して。
めっちゃええやん。
せやけど、そないに嬉しいって思てるのを悟られんのは恥ずかしい。
そやさかい、ちょいだけ冗談っぽう返す。
「それって一人暮らしって言わんくない?」
すると、
『でも、一緒には暮らしたいな』
今の、ずるいやろ。
そんなん言われたら、嬉しいに決まってる。
胸が変にドキドキする。
顔が熱なってへんかな。
電話やから、見られへんけど。
一緒に住みたい。
僕も。
「……ほな、二人でいつか一緒に住も!」
『うん!』
約束や。
いつか、ほんまに一緒に暮らせたらええな。
そのときは、今よりもっとようさん話せる。
今みたいに通話するんちゃうくて、隣におるこはうちゃんと直接話せる。
四時
それからずっと話しとった。
漫画のこと。
学校のこと。
しょうもないこと。
ほんまに色んな話をした。
楽しい時間は早い。
気づいたら、もう四時。
ぼちぼち眠い。
昨日あまり寝てへんから、今日は特に眠い。
せやけど、まだ話していたい。
もっとこはうちゃんの声を聞いていたい。
「ふぁ~……」
『眠いの?』
「うん、昨日はあんまり寝れへんかったから」
『大丈夫? 寝る?』
優しいな。
わしが眠いって言うたら、ちゃんと心配してくれる。
「今日はもう寝る」
『わかった。おやすみ』
「おやすみ~」
通話が切れる。
静かになった。
さっきまで聞こえとったこはうちゃんの声がのうなって、少し寂しい。
せやけど、今日は話せた。
昨日でけへんかった分、今日はちゃんと話せた。
それに。
一緒に住もうって約束もした。
ほんまに実現したらええな。
「……楽しかったな」
ベッドに横になる。
目ぇ閉じる。
今日の会話を思い出す。
『でも、一緒には暮らしたいな』
あれ、嬉しかったな。
もしかしたら、僕は思てる以上にこはうちゃんのこと好きなのかもわかれへん。
友達として。
たぶん。
まだ、よう分からへん。
せやけど、こはうちゃんから連絡が来ると嬉しい。
こはうちゃんと話すと楽しい。
こはうちゃんに嫌なことを聞いてもらうと安心する。
一緒に住めたらええ思う。
これって、なんなんやろ。
まあ、今は考えんでええか。
眠いし。
こはうちゃんはもう寝たかな。
明日起きたら、またなんか話せたらええな。
そんなんを考えながら、僕はゆっくり眠りについた。
第三章 水無月千夏1日目
八時
「宝花~、早く学校に行かないと遅刻するよ~」
私は幼馴染の宝花にそう声をかけた。
「てか、あの漫画の続き読んだ?」
「まだ読んでないや」
「今回もちょ~面白かったよ~」
いつも私は、宝花とくだらない話をしながら登校している。
私は、こういう何気ない時間が好きだ。
特に理由があるわけではないけれど、宝花と話していると楽しい。
そんなことを話しているうちに、学校に着いた。
「じゃあ、またあとでね~」
そう言って宝花と別れ、自分の教室へ向かった。
「一時間目は数学か。やべぇ、教科書忘れた」
隣の席に座っている五織が、私の声を聞いて言った。
「僕の教科書、見せてあげるよ」
「マジ!? ありがとう!」
「じゃあ、机」
「ん?」
「くっつけるんだよ。そのほうが見やすいでしょ?」
「ああ、なるほどね」
そんな会話をしながら机をくっつけていると、チャイムが鳴った。
キーンコーンカーンコーン。
「それじゃ、ホームルームを始めるぞ~……って、水無月と五織、なんでお前ら机をくっつけてるんだ?」
「数学の教科書を忘れたからです!」
私がそう答えると、先生は呆れたように言った。
「ホームルームが終わってからでもいいだろ。まあ、そのままがいいなら別にいいけどな」
言われてみれば確かにそうだった。
でも、今さら机を離すのも面倒だったので、そのままホームルームを受けることにした。
そして、ホームルームが終わり、一時間目の数学が始まった。
「ねぇ、千夏。帰りにカラオケ行かね?」
五織が小声で話しかけてきた。
「行きたい!」
私はすぐにそう答えた。
「水無月、五織、真面目に授業を聞けよ~」
話していたところを先生に注意されてしまった。
「は~い」
私たちは返事をして、前を向いた。
「じゃあ、帰りに行こうな」
五織が小声でそう言った。
十二時半
昼休み。
私はいつも、宝花と一緒に昼ご飯を食べている。
「そういえば、例の夜行性のネッ友とはどうなの?」
私は宝花に尋ねた。
「別に。特に喧嘩とかはしてないよ」
「宝花って、その子のこと好きなの?」
「はぁ!? 別に、そんなんじゃないよ!」
「宝花って分かりやすいよね~」
私はきんぴらごぼうを食べながら、そう言った。
宝花は昔から嘘をつくのが下手だ。
嘘をつくときは「わ、私じゃないよ!」といった感じで、すぐに分かってしまう。
「食べるか、しゃべるか、どっちかにしたら?」
「話を逸らしたな」
私は宝花の卵焼きをひとつ取りながら、そう言った。
「私の卵焼き……」
「相変わらず、宝花の卵焼きは美味しいな~。自分で作ってるんでしょ?」
「一応ね」
「しかも一人暮らしなんてすごいな~。私じゃ絶対無理だわ~」
私は昔から親に甘やかされて育ったので、料理はほとんどできない。
自分でも、少しは料理ができるようになったほうがいいと思っている。
「もうすぐ昼休みが終わるから、教室に戻ろ」
「うん、そうだね」
そう言って、私たちは教室に戻ることにした。
廊下を歩いていると、五織が話しかけてきた。
「ねぇ、千夏。五時間目って何だっけ?」
「確か、音楽だったよ~」
「音楽か~。僕、苦手なんだよね~」
「なんで?」
「楽譜が読めないから」
「え、楽譜が読めないの?」
「うん」
そんな会話をしながら教室で必要なものを取って、音楽室へ向かった。
「五織は、なんで楽譜が読めないのに器楽を選択したの? 鑑賞にすればよかったのに」
「秘密~」
「なにそれ」
本当に、なんで器楽を選んだんだろう。
まあ、本人が秘密と言っているのだから、考えても仕方がないか。
私はそれ以上考えるのをやめた。
十四時
「今日は五時間授業で楽だったな~」
放課後、五織がそう言った。
「五時間授業なんて、なかなかないからねぇ。さっさとカラオケ行こ~」
「行くぞ~」
そうして私たちは、くだらない話をしながらカラオケへ向かった。
「さっそく歌お~。僕からでいい?」
「いいよ」
「じゃあ、歌うわ」
五織が歌い始めた。
「テーブルマナーブック~、開けばそこには知らないせか~い♪」
歌が特別うまいというわけではないけれど、下手でもない。むしろ、普通より少しうまいくらいだ。
それにしても、本当になんで器楽を選択したんだろう。
楽譜が読めないのと、歌がうまいのとでは、また別の話なのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は五織の歌を聴いていた。
十九時半
「結構歌ったね~」
「もう十九時半だもんな~」
時計を見ると、いつの間にかそんな時間になっていた。
「あ、僕こっちだから。じゃあな~」
「うん、また明日ね~」
そう言って、私たちは別れた。
さて、家に帰ったら何をしよう。
特にやることもないし、勉強でもするか。
そんなことを考えながら歩いているうちに、家に着いた。
「ただいま~」
「おかえり~」
家に帰ると、母親が居間でテレビを見ていた。
「なに見てるの~?」
「アニメ」
「へ~」
「あんたは手を洗って、夕食を食べなさい」
「は~い」
私は手を洗い、夕食を食べた。
そのあと、お風呂に入って自室に戻った。
特にやることもなかったので、スマホを少し見てから眠りについた。
第四章 九十九宝花2日目
五時
「背中イタ……」
もっとちゃんとしたシーツを買った方がいいのかな。
安いからっていう理由で買ったけど、ちょっと失敗だったかもしれない。
そんなことより、朝ごはんとお弁当を作ろう。
今日の朝ごはんはお茶漬けとお味噌汁。
「やっぱ美味しいなぁ」
あったかいお味噌汁がお腹を通っているのが分かる。
ご飯を食べ終わったあと、お弁当を作り、着替えをして家を出た。
家を出ると、朝の湿った空気が肌にまとわりついた。
「……朝なのに暑い」
まだ五時半を少し過ぎたくらいなのに、外はすでに蒸し暑い。空は明るくなり始めていて、遠くから蝉の鳴き声が聞こえてくる。
私は額に浮かんだ汗を拭い、鞄を持ち直した。
今日も一日が始まる。
昨日から始まった新しい生活。まだ慣れないことばかりだけど、思っていたよりはなんとかなっている気がする。
……背中は痛いけど。
「帰りにシーツ見に行こうかな」
そう呟きながら、駅へと向かった。
日差しが強くなる前の時間帯とはいえ、歩いているだけでじんわりと汗がにじんでくる。
夏って、こんなに暑かったっけ。
そんなことを考えながら駅に着き、電車に乗り込んだ。
冷房の効いた車内は涼しくて、思わずほっと息が漏れる。
「生き返る……」
空いている席に座り、鞄からスマホを取り出した。
特に通知はない。
月麦ちゃんに連絡を送ろう。
『おはよう、今日も通話できる?』
そう月麦ちゃんに連絡を送ってから少しして、電車を降りた。
駅の外に出ると、さっきまでの涼しさが嘘みたいに、むわっとした熱気が身体を包み込む。
「うわ、暑っ……!」
私は思わず顔をしかめながら、学校へと歩き出した。
まだ朝なのに、今日も暑くなりそうだ。
八時
「宝花~、おはよ~」
「おはよう、千夏」
駅から学校までの道を歩いていると、いつものように千夏が声をかけてきた。
「今日も暑いね~。まだ朝なのに、もう帰りたいんだけど」
「それは私も同じ」
「だよね~。てか、宝花、今日なんか眠そうじゃない?」
「えっ、そう?」
「うん。目ぇ半分くらいしか開いてないよ?」
「昨日、ちょっと夜更かししちゃって」
本当は夜更かしというより、月麦ちゃんと通話したあと、すぐに寝たせいで髪を乾かさず、朝早く起きたからだ。
……いや、昨日も四時に寝たんだから、普通に夜更かしか。
「また漫画読んでたの?」
「まあ、そんなところ」
「ほどほどにしなよ~。宝花が寝不足で倒れたら困るし」
「大丈夫だよ」
そう答えると、千夏は少しだけ安心したように笑った。
「ならいいけどさ」
千夏と話していると、あっという間に学校に着いた。
教室に入って席に座ると、私はすぐにスマホを取り出した。
昨日送ったメッセージに返信はない。
まあ、月麦ちゃんはまだ寝ている時間だろう。
そう思っていると、ふと新しい通知が表示された。
『おはよ~』
月麦ちゃんからだった。
思わず口元が緩む。
『おはよう! 今起きたの?』
『せやで~。まだ眠い』
『昨日、何時に寝たの?』
『四時くらいやったかな』
『えっ、私と通話したあとすぐ寝たんじゃないの?』
『いや、ちょっと漫画読んでもうてん』
私と同じじゃん。
なんだか嬉しくなって、思わず笑ってしまった。
『月麦ちゃんも夜更かしするんだね』
『僕はいつも夜更かしやで?』
『それは知ってる』
そんなやり取りをしていると、チャイムが鳴った。
慌ててスマホをしまう。
……もう少し話したかったな。
でも、今日は通話できるかもしれない。
そう考えるだけで、一時間目の授業も頑張れそうな気がした。
十二時半
「ねえ、宝花」
昼休み。
千夏がにやにやしながらこちらを見てきた。
「今日も例のネッ友と連絡してるの?」
「なんで分かるの!?」
「朝からずっとスマホ見てたじゃん」
「そ、そんなに見てないよ!」
「はいはい」
千夏は笑いながら、私のお弁当を覗き込んだ。
「今日も卵焼きあるじゃん。一個ちょうだい」
「自分のお弁当食べなよ!」
「え~、宝花の卵焼きがいい~」
「もう……一個だけだからね」
「やった~!」
千夏は嬉しそうに卵焼きを食べた。
「ん~、やっぱりおいしい!」
「はいはい」
「それで、今日は通話するの?」
「……できたら、したいな」
思わず本音が出てしまった。
千夏は一瞬きょとんとしたあと、にやっと笑った。
「やっぱり好きなんじゃん」
「だから違うって!」
「じゃあ、なんでそんなに嬉しそうなの?」
「そ、それは……」
言い返せなかった。
月麦ちゃんと話せると嬉しい。
メッセージが来ると、すぐに返したくなる。
おすすめされた漫画を読んだら、感想を伝えたくなる。
嫌なことがあったら、話を聞いてほしいと思う。
そして、月麦ちゃんが楽しそうに笑ってくれると、私まで嬉しくなる。
……これって、なんなんだろう。
「宝花?」
「な、何でもない!」
千夏はそれ以上追及してこなかった。
けれど、その顔は完全に何かを察しているようだった。
十四時
放課後。
今日は帰りにシーツを買いに行く予定だった。
昨日から背中が痛くて仕方がない。
スマホで近くのお店を調べながら歩いていると、通知音が鳴った。
『今日、通話できる?』
月麦ちゃんからだった。
『できるよ! 家に帰ったら連絡するね』
『やった!』
その短い返事を見ただけで、自然と笑顔になる。
『ところで、今日は何してたの?』
『ずっと寝てた』
『ええっ!?』
『嘘やで。昼過ぎに起きて、漫画読んどった』
『もう! びっくりしたじゃん!』
『あはは、ごめんな~』
月麦ちゃんが笑っている姿を想像すると、こちらまで楽しくなった。
そのあと、私は予定どおりお店に寄ってシーツを買った。
店にはいろいろな色や柄のシーツが並んでいた。白いもの、淡い青のもの、小さな花柄のもの。私はしばらく迷ってから、肌触りのいい落ち着いた色を選んだ。
誰かに相談することもなく、自分で選んで、自分で持ち帰る。そんな小さなことにも、一人暮らしをしている実感があった。以前なら、買い物のあとに家族へ見せたり、感想を聞いたりしたのかもしれない。
帰ったら月麦ちゃんに話してみよう。そう考えると、ただのシーツ選びまで、今日の出来事のひとつになった気がした。
肌触りのいいものを選んだので、昨日のものよりは快適に眠れるはずだ。
帰宅してから洗濯機を回し、夕食の準備を済ませた。
そして、時計を見る。
二十一時。
まだ少し早い。
月麦ちゃんが起きているのは、だいたいこの時間よりもっと遅い。
私は買ってきた漫画を読みながら、のんびりと待つことにした。
一時半
「……あ、来た!」
スマホに通知が表示された。
『こはうちゃ~ん』
『月麦ちゃん! こんばんは!』
『こんばんは~。何しとったん?』
『漫画読んでたよ。今、ちょうど読み終わったところ』
『おお! どうやった?』
『今回もすごく面白かった! 特に最後のところ!』
『せやろ!? あそこ、めっちゃええよな!』
メッセージを何往復かしたあと、月麦ちゃんから通話の誘いが来た。
もちろん、断る理由なんてない。
「もしもし、月麦ちゃん?」
『もしもし~、こはうちゃん!』
いつもの声。
聞くだけで、心が落ち着く。
『今日は何してたん?』
「学校に行って、帰りにシーツ買ってきたよ」
『シーツ?』
「うん。昨日、背中が痛くなっちゃって」
『えっ、大丈夫なん!?』
「大丈夫だよ。安いシーツを使ってたから、ちょっと合わなかったみたい」
『そっかぁ。あんまり無理したらあかんで?』
「ありがとう」
何気ない言葉なのに、胸の奥が温かくなった。
『そういえば、今日な、面白い漫画見つけてん』
「えっ、何それ! 教えて!」
『ええで! あのな……』
月麦ちゃんは、楽しそうに漫画の内容を話してくれた。
私は相槌を打ちながら、時々笑った。
気がつけば、時計は三時を過ぎていた。
「もう三時だね」
『ほんまやな~』
「月麦ちゃん、眠くない?」
『ちょっと眠いかも』
「じゃあ、そろそろ寝る?」
『……うん』
少しだけ、寂しそうな声だった。
私も、もう少し話していたい。
でも、月麦ちゃんにはちゃんと寝てほしい。
「また明日も話そうね」
『ええの?』
「もちろん!」
『……やった』
その声が、いつもより嬉しそうに聞こえた。
『ほな、おやすみ、こはうちゃん』
「おやすみ、月麦ちゃん」
通話が切れる。
静かになった部屋で、私はスマホを胸に抱えた。
明日も話せる。
明後日も、その先も。
そんな日々がずっと続けばいいのに。
「……私、やっぱり月麦ちゃんのこと……」
言葉にしかけて、私は口を閉じた。部屋には誰もいないのに、声に出した途端、自分の気持ちがはっきりしてしまいそうで恥ずかしかった。
好き、という言葉は簡単だ。友達が好き、漫画が好き、食べ物が好き。普段から何度も使っている。それなのに、月麦ちゃんに向けて考えると、急に意味が変わる気がした。
声を聞きたい。話したい。何かあったら教えてほしい。自分のことも知ってほしい。会ったこともない相手なのに、こんなに考えてしまうなんて不思議だった。
私は枕に顔を埋め、しばらくじっとしていた。今すぐ答えを出さなくてもいい。そう自分に言い聞かせる。明日もきっと、いつものようにメッセージを送る。そのときの自分が何を感じるのか、少しずつ確かめていけばいい。
そこまで言って、口を閉じた。
まだ、分からない。
でも、一つだけ確かなことがある。
私は、月麦ちゃんと話す時間が大好きだ。
第五章 十八女つむぎ(さかりつむぎ)2日目
十三時
「……んん」
目を開けると、カーテンの隙間から強い日差しが差し込んでいた。
スマホを手に取り、時間を見る。
十三時。
「うわ、寝すぎた……」
まあ、いつものことやけど。
昨日はこはうちゃんと話したあと、漫画を読もうと思っていたのに、眠気に負けてそのまま寝てもうた。
……いや、ちょっとだけ漫画も読んだか。
そんなことを考えながらスマホを見ると、こはうちゃんからメッセージが来ていた。
『おはよう! 今日も暑いね~』
送信された時間は、朝の八時。
もう五時間も前や。
『おはよ~! 今起きた』
すぐに返信する。
すると、思ったより早く返事が来た。
『おはよう! よく寝れた?』
『めっちゃ寝れたで!』
『よかった!』
その短い言葉を見て、自然と頬が緩んだ。
僕が寝ている間も、こはうちゃんは学校で頑張っている。
僕も、そろそろ何かせなあかんな。
……まあ、何をするかは考えてへんけど。
そう思いながらベッドから起き上がった。
十五時
昼ご飯を食べ終え、部屋に戻る。
スマホを開くと、こはうちゃんからメッセージが届いていた。
『今日も通話できそう?』
もちろんや。
『できるで!』
そう返信すると、すぐに通話が始まった。
「もしもし~!」
『月麦ちゃん、こんにちは!』
「こんにちは~。今日も暑いなぁ」
『本当にね。学校、暑くて大変だったよ』
「ええなぁ、学校」
『えっ?』
思わず口に出してしまった。
学校がええなんて、普段なら絶対に思わへん。
言ってから、自分でも変なことを言うたと思った。学校は朝早いし、決まりごとも多いし、好きになれへんところが山ほどある。それでも、こはうちゃんの話を聞くと、教室で誰かと顔を合わせることや、帰り道にくだらない話をすることが、少しだけ眩しく思えた。
もちろん、学校に行けば全部が楽しいわけやない。人と一緒におるからこそ疲れることもあるやろうし、僕には僕の苦手なことがある。それでも、誰かと同じ時間を過ごせるというのは、ええことなんかもしれへん。
僕はスマホを握り直した。こはうちゃんに会いたい。そう思う気持ちは、前よりもはっきりしていた。けど、会いたいと思うことと、実際に会う勇気を持つことは、同じやない。焦らず、少しずつ考えていこうと思った。
でも、こはうちゃんの話を聞いていると、少しだけ羨ましくなる。
『月麦ちゃん、学校好きなの?』
「いや、全然」
『じゃあ、なんで?』
「……こはうちゃんみたいに、毎日誰かと会って話せるんは、ちょっとええなって思っただけ」
電話の向こうが静かになった。
言いすぎたやろか。
そう思っていると、こはうちゃんが口を開いた。
『じゃあ、私が月麦ちゃんのところに遊びに行こうか?』
「……え?」
『だって、いつも通話してるだけじゃん。実際に会ってみたいなって』
心臓が、どくんと鳴った。
会う。
こはうちゃんと、実際に会う。
ずっと想像していたことやった。
けど、いざ本人から言われると、何を言えばええのか分からへん。
「……僕も、会いたい」
気づいたら、そう答えていた。
『本当!?』
「うん」
『やった! じゃあ、いつか会おうね!』
「……せやな」
いつか。
その言葉が、少しだけ遠く感じた。
けど、今はそれでええ。
焦らんでも、いつか会えるかもしれへん。
『そういえば、月麦ちゃんって、普段どんな服着てるの?』
「えっ、急になんやねん」
『気になるじゃん!』
「普通の服やで、普通の!」
『絶対かわいい服着てるでしょ!』
「僕、男やで!?」
『知ってるよ~』
「ほんまに分かっとるんか!?」
こはうちゃんが楽しそうに笑う。
その笑い声を聞いて、僕も笑った。
ああ、やっぱり好きやな。
……好き?
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
僕は、こはうちゃんのことが好きなんやろか。
友達として。
それとも、もっと別の意味で。
考えようとしたけれど、答えは出なかった。
十八時
通話を終えたあと、僕はベッドに寝転がった。
今日は、いつもよりたくさん話せた。
実際に会いたいとも言えた。
それだけで、十分嬉しかった。
けれど、同時に少し怖くもなった。
今はネットの友達やから、気軽に話せる。
でも、実際に会ったらどうなるんやろ。
僕は人と話すのが得意なほうやない。
画面を消して、天井を見つめる。外からは車が通る音が聞こえてきた。昼間の街は動いているのに、自分だけが部屋の中に取り残されているような気分になることがある。
学校に行けば、同じ年頃の人たちが当たり前のように話して、笑って、次の予定を決めているのだろう。そういう毎日を想像すると、少し羨ましい。でも、実際に自分がその中に入るところを考えると、うまくできる気がしなかった。
だからといって、ずっとこのままでいいとも思っていない。何かを変えるのは怖い。けれど、こはうちゃんと話していると、少しだけ外の世界に手を伸ばしてみてもいいのかもしれないと思える。今すぐ何かを決めなくてもいい。まずは、明日も連絡を返す。それくらいからでいい。
それに、学校にもあまり行けていない。
そんな僕を、こはうちゃんはどう思うんやろ。
「……考えすぎやな」
スマホを手に取る。
こはうちゃんのプロフィール画面を開いた。
アイコンは、かわいらしい花のイラスト。
名前は「こはう」。
この名前を見るだけで、自然と笑顔になれる。
「……会いたいなぁ」
小さく呟いた。
実際に会って、隣に座って、一緒に漫画を読んで。
くだらない話をして、笑い合って。
そんな日々が送れたら、どれだけ幸せやろ。
そのとき、スマホが震えた。
『月麦ちゃん、今日はありがとう! すごく楽しかった!』
『僕も楽しかったで!』
それだけ送って、少し考えたあと、もう一度メッセージを打った。
『……なあ、こはうちゃん』
『ん?』
『いつか会うとき、僕と会っても後悔せん?』
送信してから、しまったと思った。
なんやねん、このメッセージ。
重いやろ。
取り消そうか迷っていると、返信が届いた。
『どうして後悔するの?』
『僕、あんまり外に出えへんし、学校も苦手やし……』
『そんなの、会ってみないと分からないじゃん』
画面を見つめる。
『私は、月麦ちゃんと話すのが好きだよ』
胸が熱くなった。
『だから、会ってもきっと楽しいと思う!』
しばらく、返信ができなかった。
嬉しい。
ほんまに、嬉しい。
『……ありがとう』
送信したあと、僕はスマホを伏せた。たった一言しか返せへんかったけど、それ以上の言葉がすぐには見つからなかった。
自分の苦手なところを話すのは、思っていたより勇気がいる。相手にどう思われるか分からへんし、気を遣わせてしまうかもしれへん。けど、こはうちゃんは、僕のことを決めつけずに返事をしてくれた。
それがどれだけ嬉しかったか、ちゃんと伝えられたらええのに。僕はもう一度メッセージ画面を開き、何か付け足そうとして、結局やめた。今は「ありがとう」で十分なのかもしれへん。いつか会えたときに、今日のことも笑って話せたらええな。
やっと、それだけ送った。
すると、こはうちゃんからスタンプが届いた。
笑顔の猫が、両手を上げているスタンプ。
それを見て、僕は声を出して笑った。
「……ほんま、ずるいわ」
こんなん、もっと好きになってまうやん。
スマホを胸に抱きしめる。
まだ、はっきりとは分からない。
けど、こはうちゃんが特別な存在になっていることだけは、もう誤魔化せそうになかった。
第六章 九十九宝花と十八女つむぎ(さかりつむぎ)3日目
八時
「宝花~、今日も暑いね~」
「うん、暑いね」
学校へ向かう途中、千夏が隣で手をぱたぱたと動かしている。
「夏ってさ、なんでこんなに暑いんだろうね」
「夏だからじゃない?」
「正論すぎる!」
千夏が大げさに叫ぶ。
思わず笑ってしまった。
いつもと変わらない朝。
いつもと変わらない登校時間。
でも、今日は少しだけ違った。
私は昨日、月麦ちゃんに「実際に会いたい」と伝えた。
月麦ちゃんも、会いたいと言ってくれた。
それを思い出すだけで、胸がどきどきする。
「……宝花?」
「えっ、何?」
「また顔がにやけてるよ」
「にやけてない!」
「はいはい。例のネッ友?」
「……うん」
小さく答えると、千夏が目を丸くした。
「えっ、認めた!?」
「ち、違う! そういう意味じゃなくて!」
「ふふ~ん。なるほどねぇ」
千夏は楽しそうに笑った。
「まあ、いいんじゃない? 好きな人がいるって、楽しそうだし」
「……好きな人、か」
思わず呟く。
私は月麦ちゃんのことが好きなんだろうか。
まだ、よく分からない。
でも、月麦ちゃんと話したい。
会ってみたい。
これからも、ずっと仲良くしていたい。
その気持ちだけは、確かだった。
十二時半
昼休み。
お弁当を食べながら、私はスマホを確認した。
月麦ちゃんからメッセージが届いている。
『こはうちゃん、今日も通話できる?』
『もちろん!』
すぐに返信した。
すると、少ししてから新しいメッセージが届いた。
『……あと、ちょっと話したいことがあるねん』
話したいこと?
何だろう。
昨日のことかな。
それとも、別のこと?
気になって仕方がない。
「宝花、どうしたの?」
千夏がこちらを覗き込んできた。
「えっ、何でもないよ」
「絶対何かあるじゃん」
「……夜、月麦ちゃんと通話する約束した」
「それはいつもじゃない?」
「今日は、ちょっと大事な話があるみたいで……」
私はお弁当箱のふたを閉じ、膝の上で指を組んだ。大事な話、と言われると、どうしても悪い想像と期待が一緒に浮かんでしまう。何か困ったことがあったのかな。私に相談したいことがあるのかな。それとも、昨日の「会いたい」という話の続きだろうか。
聞けば分かる。それだけのことなのに、夜まで待つ時間がいつもより長く感じられた。私はスマホをしまい、千夏の話に耳を傾けようとした。今は目の前の友達との時間も大切にしたい。そう思っているのに、心のどこかでは、もう夜の通話を待ち始めていた。
そう言うと、千夏は少しだけ真面目な顔になった。
「そっか。緊張する?」
「……うん」
「大丈夫だよ。宝花は宝花なんだから」
千夏は笑って言った。
「変にかっこつけなくても、いつもどおり話せばいいんじゃない?」
「……そうだね」
その言葉を聞いて、少しだけ気持ちが楽になった。
いつもどおり。
月麦ちゃんと話すときは、いつも自然体でいられる。
だから、きっと大丈夫。
そう思うことにした。
二十一時
夕食を食べ終え、お風呂にも入った。
明日の準備も終わらせた。
あとは、月麦ちゃんからの連絡を待つだけ。
時計を見る。
二十一時半。
まだ早い。
私はベッドに座り、スマホを眺めた。
何度も画面をつけては消す。
落ち着かない。
どうしよう。
もし、月麦ちゃんが私のことを好きだと言ってきたら?
……いやいや、そんなわけない。
でも、もしそうだったら?
私は、どう答えるんだろう。
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。
「……落ち着け、私」
深呼吸をした、そのとき。
スマホが震えた。
『こはうちゃん、起きてる?』
『起きてるよ!』
『通話、いける?』
『うん!』
すぐに通話ボタンを押した。
「もしもし、月麦ちゃん?」
『もしもし、こはうちゃん』
いつもの声。
でも、今日は少し緊張しているように聞こえた。
「どうしたの? 話したいことって」
『……うん』
少しの沈黙。
そして、月麦ちゃんが口を開いた。
『僕な、こはうちゃんに会いたいねん』
「……うん」
『いつか会おうって言うたやろ? あれ、ほんまに実現させたい』
胸が熱くなる。
「私も、会いたいよ」
『……ほんま?』
「うん。月麦ちゃんと実際に会って、漫画の話とか、いっぱいしたい」
『……よかった』
月麦ちゃんが、ほっとしたように息を吐いた。
『実はな、僕、ちょっと怖かってん』
「怖い?」
『僕、あんまり人と会うの得意ちゃうし……。こはうちゃんに嫌われたらどうしようって』
その言葉を聞いて、胸がぎゅっと締めつけられた。
月麦ちゃんも、同じように不安だったんだ。
私だけじゃなかった。
「……私も、ちょっと怖いよ」
言い終えると、自分の声が思ったより小さかったことに気づいた。会いたい気持ちは本当だ。でも、ネットで話しているときのように自然に笑えるだろうか。沈黙が続いたらどうしよう。相手のことを知っているつもりでも、知らない部分はきっとたくさんある。
それでも、怖いからといって、会いたい気持ちまでなかったことにはしたくなかった。月麦ちゃんも不安を抱えているのなら、私だけが平気なふりをする必要もない。
「だから、会ってみたいんだよ」
そう伝えたとき、少しだけ胸のつかえが取れた気がした。完璧な約束じゃなくてもいい。二人で不安を話しながら、いつかの日を考えていければいいのだ。
『え?』
「会ってみたいけど、今までみたいに仲良くできるかなって。変に緊張しちゃいそうだし」
『……そっか』
「でもね」
私は、ぎゅっとスマホを握った。
「私は、月麦ちゃんとこれからも仲良くしたい。だから、会ってみたいんだよ」
電話の向こうが静かになった。
少しして、小さな声が聞こえた。
『……僕もや』
その声が、いつもより優しく聞こえた。
二十二時
「ねえ、月麦ちゃん」
『ん?』
「会うとしたら、どこがいいかな?」
『えっ、もう場所決めるん!?』
「だって、会うんでしょ?」
『そ、そうやけど……』
月麦ちゃんが慌てているのが分かって、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、冗談だよ」
『もう、びっくりしたやん!』
「でも、いつかは決めようね」
『……うん』
少し間を置いて、月麦ちゃんが言った。
『なあ、こはうちゃん』
「何?」
『僕ら、いつか一緒に住もうって約束したやろ?』
「うん。覚えてるよ」
『あれも、ほんまに叶えたい』
心臓が大きく跳ねた。
一緒に住む。
以前、何気なく口にした言葉。
でも、月麦ちゃんは覚えていてくれた。
『毎日一緒に漫画読んで、ご飯食べて……。そんで、いっぱい話したい』
「……うん」
『僕、こはうちゃんと話す時間が好きやねん』
声が少し震えた。
『こはうちゃんから連絡来たら嬉しいし、通話できる日は楽しみやし。嫌なことがあっても、こはうちゃんに話したら楽になる』
私は、何も言えなかった。
『……これって、友達として好きなんか、それとも別の意味なんか、まだよう分からへん』
胸がどきどきする。
『せやけど、こはうちゃんは、僕にとって特別な人やねん』
その言葉を聞いた瞬間、今まで自分の中にあった気持ちが、少しずつ形になっていく気がした。
私も、同じだった。
月麦ちゃんは特別だ。
毎日、連絡を待っている。
声が聞きたくなる。
笑ってほしいと思う。
これからも、ずっとそばにいたい。
「……月麦ちゃん」
『うん』
「私もね、月麦ちゃんは特別だよ」
言ってしまった。
恥ずかしくて、顔が熱くなる。
「月麦ちゃんから連絡が来ると嬉しいし、通話できるとすごく楽しい。おすすめされた漫画を読んだら、すぐに感想を伝えたくなるし……」
一度、息を吸った。
「これからも、ずっと仲良くしたい」
『……うん』
「だから、いつか絶対に会おうね」
『……約束やで』
「約束!」
二人で笑った。
まだ、恋なのかどうかは分からない。
でも、今はそれでいいと思った。
焦って答えを出さなくてもいい。
これから一緒に過ごす時間の中で、少しずつ分かっていけばいいのだから。
二十三時
通話を終えたあと、私はベッドに横になった。
月麦ちゃんと、いつか会う。
そして、いつか一緒に住む。
そんな未来を想像すると、自然と笑顔になった。
そのとき、スマホが震えた。
『こはうちゃん、今日はありがとう』
『こちらこそ! 話せてよかった』
『……明日も話せる?』
私はすぐに返信した。
『もちろん!』
少しして、またメッセージが届く。
『おやすみ、こはうちゃん』
『おやすみ、月麦ちゃん』
スマホを枕元に置く。
窓の外には、夏の夜空が広がっていた。
明日も学校がある。
朝は早い。
それでも、今夜はいつもより幸せな気持ちで眠れそうだった。
「……月麦ちゃん、大好き」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。
そして、慌てて布団を顔まで引き上げた。
「……な、何言ってるんだろ、私!」
一人なのに、恥ずかしい。
でも、口に出してみたら、少しだけすっきりした。
今はまだ、この気持ちを本人に伝える勇気はない。
いつか、ちゃんと伝えられる日が来るだろうか。
そんなことを考えながら、私は目を閉じた。
エピローグ いつか、その先で
それから、何日も過ぎた。
学校がある日も、休みの日も。
宝花とつむぎは、変わらずメッセージを送り合い、夜には通話をした。
宝花はつむぎに教えてもらった漫画を読み、つむぎは宝花が作った料理の話を聞いた。
時にはくだらないことで笑い、時にはお互いの悩みを聞いた。
すぐに会えるわけではない。
一緒に住むことだって、まだまだ先の話だ。
それでも、二人には約束があった。
いつか会うこと。
いつか一緒に暮らすこと。
そして、これからもずっと仲良くいること。
ある夜、宝花は通話の向こうにいるつむぎに尋ねた。
「ねえ、月麦ちゃん」
『ん~?』
「いつか一緒に住んだら、何したい?」
『ん~……。毎日、一緒にご飯食べたい』
「それだけ?」
『あと、漫画読んで、ゲームして、いっぱい話したい』
「ふふっ、いいね」
『こはうちゃんは?』
宝花は少し考えてから、答えた。
「私はね、朝起きたら月麦ちゃんがいて、おかえりって言ったらおかえりって返してくれる。そんな普通の毎日がいいな」
言葉にしてみると、思っていたよりも具体的な未来だった。特別な場所へ旅行したいとか、毎日何かすごいことをしたいとか、そういう願いではない。ただ、朝に顔を合わせて、帰ってきたら声をかけて、同じ食卓でご飯を食べる。そんな当たり前の時間を、一緒に過ごしてみたい。
今の私たちは、通話を終えればそれぞれの部屋に戻る。相手がどんな顔で笑っているのかも、どんな景色を見ているのかも、全部は分からない。それでも、少しずつ相手のことを知っていくのが楽しい。
いつか本当に一緒に暮らせるかどうかは、まだ分からない。先のことを考えれば、簡単ではないこともあるだろう。それでも、未来の話を二人でできること自体が、今の私には嬉しかった。
『……それ、めっちゃええな』
「でしょ?」
『ほな、絶対叶えよな』
「うん。約束!」
二人の声が重なった。
画面の向こうにいる、大切な人。
まだ会ったことはない。
顔も、声以外のすべてを知っているわけでもない。
それでも、二人は確かにつながっていた。
いつか、同じ場所で笑い合える日が来る。
いつか、隣に座って漫画を読める日が来る。
そして、いつか。
「……月麦ちゃん」
『何、こはうちゃん?』
「これからも、よろしくね」
『……うん。こちらこそ、よろしくな』
その言葉を最後に、二人はまた笑った。
通話が終わったあとも、宝花はしばらくスマホを手に持ったままだった。画面には、さっきまで話していた相手の名前が表示されている。ほんの少し前まで聞こえていた声が、今はもう聞こえない。
それでも、不思議と寂しさだけではなかった。明日も話そうと約束したこと。お互いに会いたいと思っていること。まだ曖昧な気持ちを、無理に言葉にしなくてもいいと分かったこと。その一つひとつが、心の中に残っていた。
遠くにいる相手と、同じ景色を見ているわけではない。生活の時間も違うし、知らないこともたくさんある。けれど、今日あったことを伝えたいと思い、相手の話を聞きたいと思う。その積み重ねが、二人の間に少しずつ道を作っているのかもしれない。
宝花はスマホを枕元に置き、明日の予定を思い浮かべた。学校に行って、千夏と話して、帰ってきたら夕食を作る。そして夜になったら、月麦ちゃんから連絡が来るかもしれない。いつもと変わらない一日が、今は少しだけ待ち遠しかった。
今はまだ、画面越しの関係。
けれど、その先に続く未来は、きっと二人で作っていける。
今日も、明日も。
その先も、ずっと。
――完――




