背負い投げで終わらせた恋
県立高校柔道部。
三年生の椎名 葵は、女子部の絶対的エースだった。
最近までは、同じ三年生の男子部エース・神崎 悠真と付き合っていた。
部活帰りに手を繋いで帰ったり、休みの日に二人で練習したり……周囲から羨ましがられるほど幸せだった。
しかし卒業を目前にしたある雨の日、悠真は突然別れを告げた。
「他に好きな子ができた」
理由もまともに説明せず、逃げるように去っていった。
浮気相手は同じ学年の一般クラスの女子だと、すぐに噂で知れた。
葵は泣かなかった。
代わりに、怒りと悔しさを全て畳の上に叩きつけた。
朝5時の自主練、放課後の死ぬような猛練習、週末の個人トレ。
体重を落とし、技のキレを極限まで磨き上げた。
失恋の痛みは、全て力に変えた。
そして卒業式の三日前。
柔道場の中央で、葵は悠真の前に立った。
「神崎。私と試合してくれない?」
悠真は馬鹿にしたように笑った。
「女相手に本気でやるわけねーだろ」
「女だから何なの?」
葵の目は真っ直ぐに悠真を捉えていた。
「あなたは私を裏切った。
大好きだったのに、突然捨てて他の子に行った。
許せない。
だから——全力で、私を倒してみせてよ」
周りの女子部員たちが一斉に声を上げた。
「神崎! 逃げるなよ!」
「葵がどれだけ練習してきたか、知ってるくせに!」
悠真は舌打ちし、道着の袖を乱暴にまくった。
「……上等だ。やってやるよ。泣くなよ?」
試合開始。
悠真の第一撃は容赦なかった。
強烈な大内刈りから巴投げへ。葵の体が畳に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
立てばすぐに追い打ち。
悠真のパワーとリーチの差は明らかだった。
何度も投げられ、何度も押さえ込まれ、息が上がる。
(やっぱり……強い……)
それでも葵は立ち上がった。
目が燃えていた。
悠真がまた仕掛けてくる。
今度は小外刈り。葵は耐え、必死に体をひねって脱出。
カウンターで一本背負いを狙うが、悠真に簡単に潰された。
「ははっ、遅いよ葵」
悠真の余裕の笑いが葵の神経を逆なでた。
さらに二分が経過。
葵はすでに汗だくで、左肩が痛む。悠真はまだ余裕を見せている。
(このままじゃ……本当に負ける)
しかしその時、悠真が少し大きく踏み込みすぎた。
わずかな隙。
葵はそれを逃さなかった。
払い巻き込み!
「うおっ!?」
悠真の体勢が一瞬崩れる。
そこから葵は素早く距離を詰め、内股を仕掛けた!
「ぐあっ……!」
今度は悠真が畳に叩きつけられた。
道場がどよめく。
しかし悠真はすぐに起き上がり、苛立った顔で突進してきた。
強引な肩車で葵を投げ飛ばす。
「まだまだだ!」
葵は激しく転がり、呼吸が乱れる。
体中が痛い。
でも、悔しさは痛みを上回っていた。
(もう……我慢の限界)
悠真が勝ち誇った顔で近づいてきた瞬間——
葵は低い姿勢から一気に飛び込んだ。
背負い投げ——!!
「てりゃぁぁぁぁ!」
悠真の大きな体が綺麗に弧を描き、凄まじい音を立てて畳に叩きつけられた。
「ぐぉぉ、、この俺が、、女に負けただと、、」
勝負ありの1本だった。
でも、私の怒りはまだまだ治らない。
「勝負はまだよ!絶対に許さないんだから!」
すかさず、素早く体を回転させ、脚を悠真の首と右腕にがっちりと絡める。
トドメの三角締め。
「ぐっ……!? う、うわぁぁっ……!」
容赦ない締め上げ。
悠真の顔がみるみる赤紫に染まっていく。
「苦しい……! 離せ……助けて……!」
悠真の手が必死に葵の脚を掴もうとするが、力が入らない。
葵は歯を食いしばり、さらに腰を落として締めを深めた。
「これが……私の怒りよ!
私を捨てた代償……ちゃんと受け取りなさい。」
「ぎょぇぇぇぇ、許してくれぇぇぇ……!!」
悠真の顔が苦痛に歪み、手が畳を弱々しく三度叩いた。
タップアウト。
道場が一瞬の静寂の後、女子部員たちの大歓声に包まれた。
「葵ぃぃぃ!!」
「やったー!! 逆転勝ち!!」
「神崎完敗じゃん! 最高!!」
葵はゆっくりと脚をほどき、立ち上がった。
全身が痛み、息も上がっていた。
それでも彼女の表情は晴れやかだった。
悠真は畳の上に倒れたまま、荒い息を吐きながら天井を見つめていた。
もう彼女の顔を見ることができなかった。
葵は悠真を見下ろし、静かに言った。
「2度と女を舐めんなよ!」
彼女は道着の襟を直し、深く息を吸った。
胸の奥にずっとこびりついていた重い澱が、完全に消えていた。
代わりに湧き上がってきたのは、清々しい解放感と新しい自分への期待だった。
(私はもう、あんな男に縛られない)
卒業まであと三日。
葵は柔道着姿のまま、力強く微笑んだ。
これからは、自分の道を全力で走る。
誰かに依存せず、誰かに裏切られることも恐れず。
背負い投げ一つで、過去を全部、綺麗に投げ捨てた。




