気に入らない女がお祖父様の嫁に来たから、代わりに「お前なんて白い結婚だ!」と言いに行った結果
人間の国と犬獣人の国の5年に渡る争いが終結した。
元々は国交もあった両国は争いを望まない人々も多く、和平交渉が成立したと聞いた時には犬獣人の国中に喜びの遠吠えがこだました。
ヤンだって遠吠えして、尻尾を追いかけてクルクル回った位、嬉しかったのだ。
もし平和になったなら、軍部で将軍として指揮を取っているお祖父様はもう戦場に行かなくていい。「どうかご無事で」と祈りながら眠る夜を迎えなくていいのだから。
--だけど、なんで和平項目の一つにお祖父様と人間の女の結婚が入っているんだよ!
ヤンには全く受け入れられなかった。
ヤンの家は代々軍人を輩出してきたジャーマンシェパード獣人家系だ。
お祖父様は、ぴんっと立った耳と黒々とした精悍なお顔がとても格好いい。ヘーゼルナッツ色の目は優しい色をしているけれど、それを上回る威厳があって、孫であっても馴れ馴れしく近寄れない雰囲気があった。
隣に立つお祖母様も同じように、ぴんっと立った耳に優しい茶色のお顔している。二つの見通すような聡明な目で、いつだって自分達家族全員の事をよく見てくれる。
いつまでも若く、凛々しい雰囲気のお二人は家族から見ても大変お似合いの二人だった。
お母さまだって、たまに屋敷に帰ってくるお祖父様とお祖母様が、お庭の東屋でお茶をしているの時は『邪魔してはいけません。お二人は番なんですから。』と言っていたじゃないか。
一夫多妻制の犬獣人の国だけれど、番が見つかった場合、複数の妻を娶る事はまずない。
やっと離れ離れだった番のお二人が、平和になった国で水入らずに暮らせる日々が来るっていうのに、わざわざ邪魔しに来る人間。そんなのお二人の、いや、我が家の敵でしかない。
なのに、お祖母様はその話を誰かから聞かれる度、まだ産まれて半年の一番下の弟が家具を噛んだのを見た時みたいな顔をして『仕方がないわね。』と言うだけだ。
そもそも本家は純血を保つんじゃなかったのか?それが他の犬種どころか人間と結婚するだなんて。
ヤンには何もかもが、全く受け入れられなかった。
だけど、ヤンがいくら受け入れ難いと駄々をこねていたところで、国と国の約束は粛々と進んで行き、和平式典の日取りが決まった。
それど同時に、人間の女が嫁いでくる日も和平式典と同日と決まった。
和平は、両国の国王が平和協定書にサインを取り交わす事で正式に成立する。
和平式典の会場となったのは、犬獣人国の宮殿前に広がる石造りの広場だった。
この日の為に磨かれた白い石畳は太陽の光を跳ね返し、普段は敷かれない赤い絨毯が広々と敷かれた。
宮殿を背にして中央に組まれた舞台には、両国王のための長机と椅子が並べられ、広場の右側には人間の、左側には犬獣人の列席者の席が向かい合うように、ずらっと配置された。
お祖父様は関係者席の一番前、将軍として席に座っている。黒い詰襟にモールや勲章が沢山ついた将軍の礼服を着たお祖父様は、厳格な将軍の顔をしていて、いつもに増して近寄りがたかった。
ヤンも正装した家族と一緒に犬獣人側の後ろの席から、一番前の席に座るお祖父様の広い背中を見つめていたが、ふと軍服からのぞく尻尾が目に入った。
パタパタ、パタパタとせわしなく左右に振れる尻尾。
それは苛立ちじゃなく、紛れもなく喜びを表していた。
ヤンの尻尾が無意識にイライラと振れ、椅子の脚を叩いた。
それを見たお母さまに「みっともない。ちゃんとしなさい。」と小さく鋭い声で注意されたけれど、ヤンにはお祖父様の方がよっぽどみっともないように思えた。
両国王が平和協定書にサインした書類を交換し、握手する。それを会場は拍手で称えた。
サインのあとのスピーチが終わると、いよいよお祖父様と人間の花嫁の結婚が発表される。
司会が「続きましては」と言う声に混じり、誰かの鼻が「キューン、キューン」と鳴る音が聞こえた。
感情が抑えきれない時になってしまうあの音。漏れ出した愛しさが周りに伝播していく。
厳格なこの場に場違いな音は、静まり返った会場によく響いた。
ヤンは思わず耳をぴくりと動かした。
音のした方へ視線を向けると、舞台の一番前で背筋を伸ばして座るお祖父様の鼻先が、かすかに震えているのが見えた。
もう一度、「キューン」と小さな音が漏れる。
それがお祖父様のものだと気づいた瞬間、ヤンの胸の奥がぐらりと揺れた。
「ヴィルヘルム将軍」
名前を呼ばれお祖父様が立ち上がり、赤い絨毯をゆっくり踏みしめるように歩くと、舞台の丁度真ん中に立った。ピンと伸ばした背はさすが軍人といった姿勢で、揺れていた尻尾も先ほどまで鳴っていた鼻も、なりを潜めていた。
「リナ公爵令嬢」
反対側からも名前を呼ばれた、白いドレスを着た人間の女が、侍女に手を引かれ、頭を垂れながら静々と登場した。
立ち止まる場所まで後10歩程度のところまで来たところで、女は顔を上げると侍女の手を振り払い、待ちきれないといった様子でお祖父様に駆け寄った。
「ヴィル!」
と叫ぶように名前を呼びお祖父様の胸に飛び込むと、ぎゅっと抱きしめ、とても令嬢とは思えない大きな泣き声をあげて泣き出した。
お祖父様も愛しい人に会えた喜びを隠そうともせず、千切れるじゃないかと思うほど尻尾を揺らし、鼻からは甘えた音を出し、頬を擦り合わせては少女の涙を拭うように顔にキスをする。
誓いの言葉なんて必要ない光景に、会場はさっきの拍手とは違う、熱狂的な祝福の拍手に包まれた。
ヤンはこんなデレたお祖父様なんて見たことがなかった。
その光景は自分達家族に対しての、裏切りそのものに見えた。
戸惑うように隣を見れば、お父様もお母様も、お祖母様まで感動したように泣いているではないか。
--番であり家族であるはずのお祖父様が、他所の女にあんなベロベロになっているのに、なんで祝福しているんだよ。
ヴィルヘルム将軍とリナ令嬢の婚姻が和平の象徴として会場中が感動に包まれるなか、ヤンだけがやり場のない怒りに満たされていた。
そして、この後我が家に来るあの女には一言言ってやらねばならないと決意した。
式典が終わると一足先にヤン一家は屋敷へ帰り、お祖父様とあの少女が屋敷に着いたと聞いたのは夜遅くなってからだった。
あの少女は今、客間に一人でいるらしい。
メイドからその事を聞いたヤンは、自慢の俊足で客間に急いだ。後ろからメイドの制止する声が聞こえるけれど、止まるわけがない。
ガシャンと乱暴に客間のドアを開けると、ソファに座るリナが目に入った。
「おい!お前!お祖父様とどんな関係か知らないが、お祖父様の番はお祖母様なんだ! お前なんて白い結婚だ!3年後には離婚してこの家から出ていくんだ。覚悟しておけ!」
低い唸り声と共に言い切ってやったが、リナはビックリした顔をした後、馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「番、番ってあなた達はそればっかり。何も聞いてないの?」
軽く顎を上げるように首をかしげるしぐさが癇に障る。
「ヴィルはね、1歳から5歳まで我が家に留学していたのよ。最初は子ども同士だから一緒に遊んで駆け回って、しばらくしてからは一緒に訓練して。私たちはかけがえのないパートナーだったの。あなた達の言う番じゃないわ。」
初めて聞くパートナーという言葉にヤンは戸惑った。
「ヴィルからハンナが番だと紹介された時も、ハンナは私たちの仲を随分心配していたわ。だけどね、私もヴィルも恋愛対象は同種族よ。」
「じゃあなんで、結婚するんだよ!」
ヤンはぎゃんぎゃんと吠え散らかした。開けたままのドアの向こうから人が駆け寄ってくる音が聞こえるが関係なかった。
「ヴィルは今10歳。犬獣人としては、もう老齢でしょう? 私はどうしてももう一度ヴィルに会いたかった。できるならパートナーとして最期を看取りたかった。それには結婚するのが一番手っ取り早かったの。」
「ヤン!」
お祖父様が息を切らせて走りこんできた。
ヤンはその声に思わず尻尾を丸めてしゃがみこんでしまう。
「怒らないで。ヴィルがちゃんと説明しないのが悪いのよ。」
お祖父様の耳がしゅんとしたように折れる。
それを見てリナはお祖父様に優しく言った。
「おいで。」
リナが令嬢とは思えないほどガバッっと膝を開き、自分の太ももをポンポンとたたくと、お祖父様は驚く事にソファには座らず、リナの両足の間の床に腰を下ろすと顎をリナの膝に乗せた。
「明日ちゃんと伝えてね。」
キューンの鼻の鳴る音がした。
翌朝、ヤンはいつもなら朝の鍛錬をしている時間に、お庭の東屋でお祖父様とお祖母様からリナの事を聞いた。
争いが始まる前の時代には、犬獣人国と人間の国の間に留学制度があった事。
リナの実家である公爵家は留学生の受け入れに積極的で、お祖父様は1歳から5歳まで公爵家に滞在して、人間と犬獣人と協力するパートナープロジェクトに参加していた事。
「最初に会った時、リナは10才だった。『耳触らせて』とか失礼な奴でな。それと同時に犬獣人のちょっとした動きから、状態を察するのにとても長けていた。」
最初はただの遊び相手でしかなかった。人間の10才は訓練に参加できる年齢じゃない。だけどリナ以上にヴィルヘルムの意図を感じ、的確な指示やサポートができる人間はいなかった。
「リナはわたしの足音と呼吸の変化で状態を見抜いた。それを踏まえての指示は的確だった。パートナーはリナしかありえなかった。」
リナに対しての絶対的な信頼をお祖父様は語った。その後目の奥に穏やかな光を湛えながら続けた。
「血液のすべてが沸き立つような狂おしい愛はハンナにしか感じない。そしてそんなハンナから繋がる家族すべてが同じように愛おしい。もちろんヤン。お前もだ。だけど、人間とのパートナーの絆も同じように大切な私の一部なんだ。」
まだ納得がいかないといった顔のヤンの頭をお祖父様は優しく撫でた。
「ヤン。リナに白い結婚で3年後には出ていけと言っていたが、たぶん3年以内に私は寿命が来る。私にお迎えが来たらリナは国に帰って人間の恋人と結婚するよ。」
それを聞いて、耐えきれず泣き出したヤンをお祖父様はもう一度優しく撫でた。
「ヤン。番に出逢えることは獣人にとってとんでもなく幸運で幸せなことだ。だけど、人間でも獣人とでもいい。心から信頼できるパートナーに出会えることも幸せな事なんだ。わたしはヤンがそんな縁に巡り合って欲しいと願っているよ。」
ヴィルヘルムのお迎えは2年後に訪れた。
2年の間に徐々に身体が動きにくくなったヴィルヘルムのちょっとした耳の動きやアイコンタクトで、「寒いの?」とか、「右足が痛いのね。」とか、あの時聞いた通り、リナは状態把握に長けていた。
お祖父様の身体がすっかり動かなくなった頃、リナは最初に見た時と同じように膝を大きく開き、お祖父様を仰向けにして抱きかかえるようになった。
リナに抱えられながら、お祖母様とお話ししているお祖父様は、生涯で手にした絆と愛情に包まれているようだった。
その風景を見るとヤンは、教科書で見た人間の国の聖母が死にゆく息子を抱く絵が思い出された。
「番に逢えることは幸せ、だけどパートナーの絆も大事」
そう言ったお祖父様の言葉が頭の奥にこだまする。
自分もお祖父様のように大切な人が見つかるといいな。
葬儀が終わるとリナは予定通り帰国する事になった。
出発する前にリナはヤンにささやいた。
「ヤン。人間の国に来てみない?」




