第8話「封印の儀式」
翌朝、レオンは約束通りやってきた。
革靴の音が廊下に響いて、ノックもなしに扉が開く。イレーネが一瞬だけ眉を動かしたけど、何も言わなかった。
レオンは部屋の入口に立ったまま、中に入ってこなかった。腰の剣に手を添えている。癖なんだろう。昨日もそうだった。
「明日、聖都を発つ」
朝の挨拶もない。
「魔王城ケルンシュメルツへの旅路に就く。お前は——聖女として、封印の儀式を執り行う」
封印の儀式。
聞いたことのない単語が二つ並んでいる。魔王城。封印。
「……え、待って。封印の儀式って何?」
レオンの目が一瞬だけ揺れた。ほんの一瞬。メガネ越しでもわかった。
「魔王の封印を更新する儀式だ。百年に一度、聖女が執り行う」
百年に一度。聖女が。
「……それ、具体的には何をするの?」
レオンが黙った。
三秒。五秒。呼吸の音だけが聞こえる。この部屋の石壁は音を吸うから、沈黙がやたら重い。
「……到着すればわかる」
目を逸らした。
逸らした。こっちを見ないで言った。
背中に冷たいものが走る。わからないことが怖いんじゃない。この人が、答えられないことが怖い。
「レオンさん——」
「レオンでいい。敬称はいらない」
そういう話をしてるんじゃないんだけど。
「レオン。封印の儀式って、危ないの?」
レオンの手が剣の柄を握り直した。指の関節が白くなっている。
「……俺がいる。お前は死なせない」
答えになっていない。「危ないの?」に対して「死なせない」って、それ危ないって言ってるのと同じだよ。
でもそれ以上は何も言わなかった。レオンは踵を返して廊下に消えていく。革靴の音が遠ざかる。最後まで、こっちを見なかった。
残されたアカリの手のひらが、じっとり湿っている。
「聖女様」
イレーネの声が、すぐ後ろから聞こえた。
振り返る。イレーネはいつもの微笑みを浮かべていた。手には畳まれた旅装束。新しいもの。いつの間に用意したんだろう。
「旅のご準備をいたしましょう。道中は長うございます」
その手が、てきぱきと動き始める。旅装束を寝台に広げ、革の水筒を並べ、干し肉と保存パンを布に包み、予備の靴紐を揃える。手際が良すぎる。昨日今日で用意した動きじゃない。
……この人、最初からこうなること知ってたんだ。
「あ、あの。イレーネさん」
「はい、聖女様」
「封印の儀式って……イレーネさんは知ってるの? 何をするか」
イレーネの手が一瞬だけ止まった。干し肉を包む布の端を持ったまま。
微笑み。
「聖女様がなさるべきことは、道中でおいおいお伝えいたします。今はまず、お身体の準備を」
はぐらかされた。レオンは目を逸らした。イレーネは微笑んだ。二人とも答えない。方法が違うだけで、同じだ。
ティックが窓辺から飛んできて、旅装束の上に乗った。「おでかけー? ティックもいくー?」
「……うん。ティックも一緒だよ」
「やったー! きれいなもの見れるかなー」
きれいなものが見れるかどうかは、わからない。魔王城って名前からして、きれいではなさそう。
でも一つだけわかったことがある。
聞いても、誰も答えてくれない。
スマホをポケットから出して、画面を確認した。78%。残り11日分。その11日で、魔王城にたどり着いて、誰も教えてくれない「封印の儀式」をやらなきゃいけない。
……ベル。アニメの第五話で知らない街に行ったとき、ベルはどうしたっけ。
——「わからないなら、わかるまで歩く」。
そう言ってた。足を止めなかった。
画面を消す。78%。まだ、78%ある。
旅の支度を、始めた。




