第69話「呪いの鼓動」
かちゃり。
かちゃり。
剣が鳴っている。
レオンの剣が——鞘の中で鳴っている。金属が金属を叩く音。規則的な間隔。脈拍のリズム。心臓が一回打つたびに、剣が一回鳴る。
レオンは壁にもたれていた。背中を壁面に押し付けて。肩甲骨が石に食い込むほど強く。両足を踏ん張って。壁に自分を縛り付けている。
右手が——剣の柄にある。
離せない。
離そうとしている。指を開こうとしている。柄から手を引き剥がそうとしている。しかし指が動かない。関節が硬直している。握った形のまま。石のように。
手が自分のものではなくなっていた。
声が聞こえる。
耳からではない。血の中から聞こえる。血管を通って、心臓から全身に送り出される血液の一滴一滴に、声が溶けている。
——殺せ。
低い声。男の声。レオンの声ではない。もっと古い声。もっと深い声。何世代も前の——血の中に刻まれた声。
——殺せ。聖女の力が尽きた。役目は終わった。介錯を行え。それがお前の血の定めだ。
介錯強制呪い。
処刑騎士の家系に代々刻まれた呪い。聖女の力が尽きたとき——聖女が「光」を失ったとき——介錯の衝動が発動する。身体が勝手に動く。剣を抜き、聖女に向かい、一刀のもとに。苦しませず。慈悲として。
カイルも——こうだったのか。
ユウの護衛騎士。介錯の剣を握って泣いた男。カイルもこの声を聞いたのか。血の中で「殺せ」と囁く声を。カイルも壁に背中を押し付けて、自分の手を止めようとして——止められなかったのか。
ユウは光になった。カイルが介錯したのか、それとも儀式が先に終わったのか。その詳細は知らない。しかしカイルの目を見たことがある。レオンがまだ訓練生だった頃。教団の回廊で、すれ違った男の目。空洞だった。何も映していなかった。剣を振ることしか知らない男の目が、剣を振った後に——空になっていた。
あの目になるのか。
——殺せ。
声が大きくなっている。血が脈打つたびに声が増幅される。心臓のポンプが呪いを全身に送り出している。腕に。指に。剣を握る手に。
力が入っていく。握力が上がっていく。自分の意志ではない。呪いが筋肉を支配している。柄の革巻きが手の中で軋んだ。
「……来るな」
声を絞り出した。
誰に向けた言葉かわからなかった。呪いに? 自分の手に? アカリに?
「来るな……!」
アカリが——こちらを見ている。暗闇の中で。蹲ったまま。ティックが肩に止まっている。涙の跡がある顔で。
あの女を殺せ、と声が言っている。
あの女を守ると誓った、とレオンの声が言っている。
二つの声が——血の中でぶつかっている。
足が動いた。
一歩。壁から離れた。レオンの意志ではない。足が勝手に動いた。アカリの方向に。
「——っ」
歯を食いしばった。足を止めようとした。止まった。しかし体が前に傾いている。重心がアカリの方向に向かっている。次の一歩を踏み出そうとしている。
足が——震えていた。
震え。
この震えを知っている。
聖都に戻る帰路。中継ノードから三日かけて歩いた街道。アカリの後ろを歩いていた。アカリはザインの羊皮紙を読み返していた。バルトロメイが隣にいた。イレーネが手帳を抱えていた。
あの三日間——レオンの手は、何度も剣の柄に触れていた。
触れては離した。触れては離した。無意識に。歩きながら、何度も。柄に触れるたびに、指先が微かに痺れた。痺れを振り払うように手を離した。また触れた。また痺れた。
何だと思っていた。
疲労だと思っていた。三日間の強行軍の疲れ。中継ノードの戦闘の後の筋肉痛。そう思い込もうとしていた。
違った。
あれは——呪いの前兆だった。
バイパスが焼けた夜。聖女の力が大きく失われた夜。あの瞬間から——呪いは目覚め始めていた。まだ完全には発動していなかった。しかし血の中で、何かが蠢き始めていた。帰路の三日間、レオンの手が何度も柄に触れたのは、呪いが剣を探していたからだ。
そして今——聖女の「光」が完全に消えた。スマホが死に、LEDが死に、全ての光が消えた。呪いのシステムが「聖女は終わった」と判定した。
完全発動。
「レオン」
バルトロメイの声が聞こえた。
低い。深い。地面から響くような声。師匠の声。
「レオン。お前——呪いが——」
バルトロメイは知っている。処刑騎士の家系の呪い。カイルの家系にもあった。バルトロメイはカイルの上官だった。カイルの呪いの発動を——見たことがある。ユウが光になった夜。カイルの手が、意志に反して剣を握りしめた夜。
「……師匠」
レオンの声が掠れた。
「手が……止まらない。俺の手が……」
バルトロメイが一歩前に出た。レオンとアカリの間に。大きな体が壁になった。
「堪えろ、レオン」
「堪え……て、いる。でも——」
かちゃり。
剣が鳴った。鞘の中で。一際強く。手が——柄を引いた。鞘から、三センチ。刃が三センチだけ——露出した。
三センチ。
ザインがマナの数式に見つけた「三センチ」の誤差と同じ長さ。偶然だ。しかし暗闇の中で、三センチの刃が壁面の自発光を反射して——鈍く光った。
アカリが見ている。
蹲ったまま。ティックが肩に止まったまま。レオンの剣が——光っているのを。暗闇の中で唯一の金属光。壁面の回路の青い光を受けて、銀色に。
レオンの目がアカリに向いた。
灰色の目。大聖堂で「指一本触れさせない」と言った目。聖都の門を出て「戻る場所はいらない」と言った目。手を取って走った目。
その目が——歪んでいた。
苦痛で。恐怖で。自分の手が自分のものではなくなっていく恐怖で。
「……逃げろ」
小さな声が漏れた。
「逃げろ……アカリ。俺の手が……もう……」
アカリは逃げなかった。
逃げなかったのは——勇気ではなかった。足が動かなかったのだ。台詞が出ないのと同じだ。体が動かない。蹲ったまま。膝が石の床に張り付いている。
暗闇の中で、レオンの剣が三センチ抜けている。バルトロメイが間に立っている。ザインが壁際から動かずに見ている。イレーネが手帳を胸に抱いている。ティックがアカリの肩で翅を震わせている。
殺せ、と声が言っている。
殺せ、殺せ、殺せ。レオンの血の中で、何世代もの処刑騎士の血が脈打っている。
レオンの手が——もう三センチ、剣を引いた。
六センチ。
鞘から六センチ。刃が露出している。暗闇の中で光っている。
殺せ、という声が——レオンの血の中で鳴っている。




