表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/88

第67話「口が動くが音にならない」

 回路を読めることがわかった。


 指で。耳で。目で。スマホがなくても、アナログの感覚でストレージの回路を読める。接地点の位置もわかった。三センチずらすべき場所もわかった。


 しかし——。


 「で、どうする」


 ザインの声が暗闇の中から落ちてきた。


 「回路は読めた。接地点は見つけた。だが実際にバイパスを組むには素材がいる。道具がいる。導線を削るための刃物。溝を掘るための工具。接合部を繋ぐための——」


 ハンダ。


 ハンダごてがいる。あるいはそれに代わるもの。金属を溶かして導線同士を接合する道具。ポーチに入っていたハンダごてはコンセントがなければ使えない。この世界にコンセントはない。


 「……わかってます」


 声が小さかった。


 わかっている。回路が読めても、道具がなければ直せない。読めることと直せることの間には、まだ距離がある。


 「今すぐは無理だ。まず休め。全員、限界に近い」


 ザインが言った。珍しく——休めと言った。理論家が。止まらない男が。「まず休め」と言った。


 円形の部屋の壁際に、全員が座った。石の床。冷たい。背中を壁につけた。導線の微かな振動が背中に伝わってくる。50Hzの唸り。ここではもう慣れた。BGMのように鳴り続けている。


 ティックが肩の上で動いた。


 いつもの動きではなかった。落ち着きがない。翅が開いたり閉じたりしている。小さな足がアカリの肩を踏んでいる。爪先が布を引っ掻いている。


 「ティック?」


 返事がなかった。


 ティックが翅を広げた。肩から飛び立った。暗闹の中で、翅の燐光が弧を描いて移動した。アカリの肩から離れて——三歩先の石の床に降りた。


 「ティック」


 「…………」


 返事がない。


 暗闇の中で、ティックの翅の光だけが見えている。小さな光が石の床の上にある。アカリの肩の上ではなく。三歩離れた場所。


 「……光、ないね」


 ティックの声が聞こえた。小さい。いつもの語尾の伸びがない。


 「LEDも。フラッシュも。画面も。全部、消えちゃった」


 「……うん」


 「ティックは、光が好きだった」


 過去形だった。


 好きだった。好きだ、ではなく。


 「みんな光ってたよ。マナも。サキも。ユウも。光ってて、きれいで、ティックはそばにいた。みんな最後に——すっごく光って、消えた。光の中に消えた。きれいだった」


 ティックの声が、平坦だった。いつもの声ではなかった。語尾が伸びない。抑揚が薄い。何百年分の記憶を、感情を殺して語っている。


 「アカリちゃんは——もっと光ってた。LEDがきれいだった。フラッシュが明るかった。画面が白くて、いろんな色が出て、ティック見たことないくらい光ってた」


 「…………」


 「でも全部消えた」


 ティックの翅が動いた。石の床の上で。光が揺れた。


 「ティック——光がないところには、いられない」


 心臓が冷えた。


 「ティック……?」


 「ごめんね。ティック、光がないとだめなの。ずっとそうだった。何百年もそうだった。光があるところに行く。光がなくなったら——次の光を探す」


 次の光を探す。


 次の聖女を探す。


 マナの光が消えたとき、サキの光を見つけた。サキの光が消えたとき、ユウの光を見つけた。ユウの光が消えたとき——アカリの光を見つけた。


 そしてアカリの光が消えたから——次の光を探す。


 「待って——」


 声が出た。掠れていた。


 「待って、ティック。行かないで」


 ティックの翅の光が——揺れた。


 何か言わなきゃ。何か言えば——ティックは残ってくれるかもしれない。何か——。


 ベルの台詞。


 ベルが仲間を引き止めるとき、何て言ったっけ。アイアン・ベルの三十二話。「一人で抱え込まないで。ここにいるよ」。——違う。これはアカリが言う台詞じゃない。言われる側の台詞だ。


 アイアン・ベルの十九話。「信じて。私を信じて。まだ——」。——まだ、何? 何ができる? 何を信じさせる? 光がもうない。LEDもフラッシュもスマホも全部死んだ。信じてと言って、何を見せられる?


 アイアン・ベルの四十五話。「行かないで。お願い。一緒に——」。


 アイアン・ベルの最終話。「リストア・コンプリート。もう、大丈夫だよ」。壊れた世界を修復し終えたベルが、最後に叫んだ台詞。——しかしあれは、全部を直し終えた後の言葉だ。今のアカリは何も直していない。何も終わっていない。


 口が開いた。


 「行か——」


 音にならなかった。


 口が動いた。唇が形を作った。「行かないで」の形。しかし声帯が震えなかった。喉から音が出なかった。


 もう一度。


 「一緒に——」


 音にならない。


 口が動いている。唇が開閉している。台詞の形をなぞっている。しかし声が——出ない。空気だけが漏れている。


 ベルの台詞が——出ない。


 何度口を動かしても。何度唇が形を作っても。三十二話の台詞も、十九話の台詞も、四十五話の台詞も——音にならない。


 口が動くが音にならない。


 なぜ。


 なぜ出ない。


 今まで出ていた。大聖堂で「ロードアウト」と叫べた。村の井戸の前でベルの台詞を借りられた。影狼の前で決め台詞を言えた。ずっと——借り物の言葉で生きてこられた。


 なのに——今、出ない。


 借り物の言葉が——喉を通らない。


 光がないからだ。


 ベルは光の中にいるキャラクターだ。変身すれば光る。LEDが光る。ステッキが光る。光の中でポーズを取って、光の中で台詞を言う。光がベルの文法だ。光がベルの世界だ。


 光が消えた世界では——ベルの台詞は機能しない。


 暗闇の中で「ロードアウト」と叫んでも、何も光らない。暗闇の中で「信じて」と言っても、何も見せられない。暗闘の中で「ここにいるよ」と言っても——ここがどこかも見えない。


 ベルの言葉が通じない世界に——初めて来た。


 膝が崩れた。


 石の床に崩れ落ちた。蹲った。メガネのレンズに涙が溜まっている。拭く手が動かない。スマホを胸に抱いたまま。冷たいスマホ。死んだスマホ。


 泣いていた。


 声を出さずに泣いていた。台詞が出ないのだから、泣き声も出ない。涙だけが流れている。メガネのレンズを伝って、鼻の頭から落ちて、膝の上の手に落ちた。


 ティックの翅の光が——遠ざかっていく。


 三歩が四歩になった。四歩が五歩になった。石の床の上を、小さな光が移動している。アカリから離れていく。


 来て、泣いて、光になった。


 マナもそうだった。サキもそうだった。ユウもそうだった。来て、泣いて、最後に光になった。光になったから——ティックは最後までそばにいられた。光があったから。


 でもアカリは光にならない。


 泣いてる。泣いてるけど——光らない。暗闇の中で蹲って、冷たいスマホを抱いて、声も出せずに涙を流しているだけ。光にならない。


 ティックにとって、アカリは——もう光じゃない。


 翅の光が、さらに遠ざかった。六歩。七歩。円形の部屋の反対側に向かっている。


 「…………」


 声が出ない。台詞が出ない。自分の言葉も出ない。何も出ない。口が動くだけ。


 暗闇の中で、涙だけが流れていた。


          ◇


 ティックは部屋の反対側で止まった。


 壁面の導線の自発光に照らされて、小さな体が青く光っていた。四枚の翅。細い腕。大きな目。


 振り返った。


 アカリが見えた。


 暗闇の中で蹲っている。メガネが涙で光っている。膝を抱えて。死んだスマホを胸に抱えて。声が出なくて。光らなくて。


 何百年と見てきた光景だった。


 聖女が泣いている光景。マナも泣いた。サキも泣いた。ユウも泣いた。みんな泣いた。そして——光になった。泣き終わったら光が来て、光に包まれて、消えた。


 アカリは泣いている。


 でも光が来ない。


 いつもはここで光が来る。台座が光って、回路が光って、聖女の体が光って。泣くのが終わりの合図で、光が始まりの合図だった。何百年も、そうだった。


 光が来ない。


 アカリは泣いたまま、暗闇の中にいる。


 「……いつもと、ちがう」


 ティックが呟いた。


 いつもと違う。


 この子は光にならない。泣いても光にならない。蹲っても光にならない。暗闇の中で、ただ——泣いている。


 何百年の間、ティックは光を追いかけてきた。光があるから側にいた。光が消えたら次の光を探した。それがティックの生き方だった。


 でも——。


 この子は光にならない。


 光にならないのに——泣いている。


 光にならないのに——ここにいる。


 ティックの翅が——止まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ