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第61話「最後のハッタリ」

 ステッキを握り直した。


 グリップの中に、クラッカーの引き金がある。人差し指の腹に、小さな金属のリングが触れている。引けば——火薬が弾けて、グリップの先端からメタリックテープが飛び出す。コスプレ用の小道具。ステージ映え用の。文化祭の体育館で一回使って、予備のカートリッジに交換して以来、一度も使っていない。


 一発だけ。


 これが最後の道具だった。LEDは死んだ。スピーカーは沈黙した。ボタン電池は空。モバイルバッテリーは空。スマホは10%。光の粉はティックの体力が持たない。


 残っているのは、この一発だけ。


 「……証拠を見せろ、ですか」


 声が、自分でも驚くほど静かだった。


 グレゴリウスが見ている。青い目。三十年分の重さを持つ目。「証明しろ」と言っている目。「もう二度と壁に名前を増やさないと証明しろ」と。


 証明はできない。理論はある。修正案はある。しかし「絶対に失敗しない」とは言えない。それはサキと同じ嘘になる。


 だから——ハッタリしかない。


 証明できないなら、信じさせるしかない。


 アカリはステッキを持ち上げた。


 右手。まっすぐ前に。グレゴリウスに向かって。ステッキの先端が、大司教の胸の高さに来る。歯車のエンブレムが、ステンドグラスの光を受けて銀色に光った。


 「——見てください」


 グレゴリウスの目が、ステッキの先端に止まった。LEDが死んでいることは見えているはずだ。光っていないステッキ。ただのプラスチック。


 僧侶たちがざわめいた。騎士たちが身構えた。エミルが一歩前に出た——いや、半歩。迷っている。聖女の味方をしたいのに、大司教の命に逆らえない。


 アカリは深呼吸した。


 最後のハッタリ。


 コスプレイヤーの最後の持ち芸。文化祭のステージで覚えた、たった一つの演出技術。タイミングが全て。ステンドグラスの光の角度。メタリックテープの反射率。大聖堂の天井の高さ。全てが揃っている。このために——この場所のために——残しておいたわけではない。でも今、ここにある。


 人差し指がリングにかかった。


 引いた。


 パン。


 乾いた破裂音が大聖堂に響いた。石壁に反射して、二度、三度と跳ね返った。パン。パン。パン。一発の音が、大聖堂の音響で増幅されて連鎖した。


 ステッキの先端から、メタリックテープが噴き出した。


 金と銀の細いテープが、螺旋を描いて飛び散った。天井に向かって。放物線を描いて。重力に逆らって。一瞬だけ——宙に浮いた。


 ステンドグラスの光が、テープに当たった。


 金色のテープが赤い光を受けて——赤金に輝いた。銀色のテープが青い光を受けて——青銀に輝いた。金色のテープが紫の光を通過して——紫金に変わった。何十本ものメタリックテープが、何色もの光を反射して、大聖堂の空間を——。


 光の洪水が、起きた。


 天井から降り注ぐステンドグラスの光を、メタリックテープが四方八方に乱反射した。壁に。柱に。床に。人の顔に。色とりどりの光の断片が、大聖堂の全ての表面を覆った。一瞬だけ。テープが落ち始めるまでの、二秒か三秒の間だけ。


 大聖堂が——光に包まれた。


 「——聖女の奇跡だ!」


 僧侶の一人が叫んだ。膝をついた。


 「聖女様が——光を!」


 「奇跡だ! 聖女様の奇跡だ!」


 連鎖した。一人が膝をつくと、隣も膝をついた。その隣も。騎士たちが兜を脱いだ。修道士たちが手を組んだ。


 メタリックテープが、ゆっくりと落ちていく。金と銀の細い帯が、ステンドグラスの光の中をひらひらと舞いながら。石の床に降り積もっていく。


 エミルが——動いた。


 若い騎士が、剣を鞘に戻した。腰の剣。抜きかけていたのか、あるいは最初から握っていたのか。剣が鞘に収まる、かちゃりという音が、静かな大聖堂に響いた。


 「聖女様は……本物だ」


 エミルの声。十七歳の見習い騎士の声。アカリと同い年。素朴な判断。理論も証拠も関係ない。光を見た。だから本物だ。


 十七歳の少年の判断は、単純で、浅くて、何の根拠もなかった。


 でも——真っ直ぐだった。


 メタリックテープが床に散らばっている。金と銀の細い帯。ステンドグラスの光がまだテープの表面で揺れている。しかし光の洪水は終わった。二秒か三秒の奇跡は終わった。


 残ったのは、石の床に散らばった玩具の残骸。


 アカリは知っていた。


 これが最後だった。


 LEDは死んだ。スピーカーは壊れた。ボタン電池は空。クラッカーは撃った。モバイルバッテリーは空。アジシオは使い果たした。光の粉はティックの体力が持たない。


 ハッタリの道具が——全部、なくなった。


 第一話からずっと持ち歩いてきた、コスプレ用の小道具。この世界に来たときバックパックに入っていた全て。一つずつ使って、一つずつ壊れて、一つずつなくなっていった。


 最後の一発を——今、撃った。


 ステッキはただのプラスチックの棒になった。歯車のエンブレムだけが残っている。それだけ。


 スマホを確認した。7%。クラッカーの音に反応してスリープが解除されていた。画面が点いている。ロック画面。アイアン・ベルの壁紙。メガネをかけた変身前のベルが、いつも通りちょっと不安そうな目で笑っている。


 7%。


 大聖堂に、メタリックテープが散らばっている。僧侶たちが膝をついている。エミルが「本物だ」と言っている。


 しかしグレゴリウスは——立っていた。


 膝をついていなかった。


 青い目が、床に散らばったメタリックテープを見ていた。金と銀の細い帯を。玩具の残骸を。


 グレゴリウスは——見抜いていた。


 奇跡ではないことを。光の仕掛けであることを。マナの数式が理解できなくても、サキの理論が読めなくても、玩具が玩具であることくらいは——三十年の経験で、わかる。


 グレゴリウスの目が、床のテープからアカリに戻った。


 「——終わったか」


 静かな声だった。


 終わった。全部終わった。道具が全部なくなった。


 「証明がない以上——予定通り、封印の儀式を執り行う」


 大司教の宣告。


 アカリの膝が——震えた。

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