第51話「3秒」
光った。
壁面の導線が、入力点から出力点に向かって、青い光を帯びた。バイパスの銅線を通って魔力が流れている。通電。成功——。
スマホのマイクが波形を拾った。画面にうねりが出た。フラットラインが動き始めた。振幅が小さい。安定している。
——心電図みたいだ。規則正しい脈。回路が生きている脈。
「通ってる……」
声が裏返った。
回路が光っている。銅線が光っている。アルミ片が光っている。三つの素材を繋いだバイパスの一本の線が、青い光を帯びて脈打っている。
一秒。
安定している。波形が乱れない。導線の溝を流れる魔力が、バイパスを通って迂回し、腐食した結節点を避けて出力点に到達している。マナの理論通り。サキのデータ通り。ユウの写真通り。
二秒。
ザインが目を見開いていた。羊皮紙を握る手が白い。理論が現実になる瞬間を見ている。
レオンの肩の力が、ほんの少し抜けた。バルトロメイが息を吐いた。ティックが天井から「おおー」と声を上げた。
三秒——。
波形が跳ねた。
スマホの画面の波形が暴れた。規則正しかった脈が、一瞬で乱れた。心電図が不整脈を起こしたように——ギザギザの、不規則な線に変わった。
同時に——手が熱くなった。
バイパスの銅線に触れている右手の指先が。じわりとではない。一瞬で。金属が急速に加熱されている。電流が逆流している。出力点から入力点に向かって、魔力が逆方向に流れ始めた。
「逆流——!」
叫んだ。
叫んだ瞬間、火花が散った。
バイパスの接続点——銅線とアルミ片の接合部から、白い火花が噴いた。スパーク。金属同士の接触不良が、逆流する大電流で一気に焼けた。パチン。パチパチパチ。短い連続音。火花が顔に向かって飛んだ。目を閉じた。熱い粒が頬に当たった。
ショート。
銅線が赤熱した。一瞬で赤くなり、オレンジになり、白くなった。アルミ片が溶けた。融点六百六十度。銅線の接合部が焼け焦げた。黒い煙が上がった。
匂い。
焦げた匂い。
知っている匂いだった。お父さんの作業場で嗅いだ匂い。ハンダごてを当てすぎたとき。基板のパターンが焼き切れたとき。銅線の被覆が溶けたとき。
失敗の匂い。
スマホが悲鳴を上げた。
画面に赤い警告が出た。「高温注意」。筐体の温度が限界を超えている。画面がフリーズした。タッチに反応しない。回路のショートの衝撃が、SDカードリーダーを通じてスマホの中まで波及したのだ。
「熱いっ——!」
スマホを落としそうになった。落とさなかった。落としたらガラスが割れる。割れたら終わりだ。両手で持ち替えた。熱い。火傷するほどではないが、握り続けられない熱さ。
電源を切らなければ。
サイドボタンを長押しした。画面がフリーズしていて反応しない。もう一度。長押し。五秒。十秒。
強制シャットダウン。
画面が暗くなった。スマホが沈黙した。熱だけが残っている。
洞穴の中が暗くなった。スマホの画面光がなくなったから。壁面の回路の光も消えていた。バイパスが焼き切れて、通電が止まった。残っているのは焚き火の名残と、焦げた銅線の赤い余熱だけ。
暗闇の中で、煙が昇っている。焦げた匂いが充満している。
「……アカリ」
レオンの声。近い。すぐ隣にいる。いつ近づいたのかわからない。
「怪我は」
「……大丈夫」
大丈夫じゃなかった。右手の人差し指と中指の先に、小さな火傷。赤い。水ぶくれにはなっていない。一度火傷。軽傷。でも——痛い。
スマホを再起動しなければ。
サイドボタンを長押しした。五秒。十秒。リンゴのマークが出た。起動シークエンス。長い。熱暴走後の再起動は時間がかかる。
画面が点いた。
ロック画面。スワイプした。ホーム画面。バッテリー表示。
18%。
十八。
さっきまで33%だった。通電前の最終確認で30%。そこから——18%。
12%が、一瞬で消えた。
全機能フル稼働の消費。逆流によるバッテリーへの過負荷。熱暴走中の異常消費。強制シャットダウンの処理。再起動のブートシークエンス。
全部合わせて、12%。
三十年と二十年と十年の遺産を統合したバイパスが——三秒で焼け切れた。
「……なんで」
声が出た。自分の声かどうかわからなかった。
「理論は合ってた。数値も合ってた。角度も合ってた。素材も——なんで逆流した」
ザインが壁面に張りつくように顔を近づけていた。焼け焦げたバイパスの跡を見ている。銅線の残骸。溶けたアルミ片。黒く変色した導線の溝。
「……わからない」
ザインが言った。
初めてだった。ザインが「わからない」と言ったのは。理論家が、理論で説明できない現象の前で、その三文字を口にした。
「理論は整合している。パラメータも範囲内だ。通電の最初の三秒間は設計通りに動作した。三秒目に何かが起きて、電流の方向が反転した。なぜ反転したのか——わからない」
三秒。
たった三秒。成功の三秒間。希望の三秒間。そして——崩壊の瞬間。
アカリはスマホを両手で握った。18%。熱がまだ残っている。指先の火傷が、スマホの残熱と重なって、じんじんと脈打っている。
壁面の回路は暗かった。バイパスは死んでいた。焦げた匂いが洞穴に籠もっている。
18%。
この数字で、何ができる。
もう一度試す素材がない。銅線は焼き切れた。アルミ片は溶けた。ステッキのパイプからもう一片切り出す余裕はあるが、銅線の残りが足りない。
もう一度試すバッテリーがない。18%でもう一度全機能フル稼働したら——次のショートで、スマホが死ぬ。
失敗した。
三人の聖女の三十年分の遺産を使って、一本のバイパスを組んで、三秒で焼いた。
「…………」
声が出なかった。何を言えばいいかわからなかった。ベルの台詞を探す余裕もなかった。アドリブの力も残っていなかった。
ただ、焦げた匂いの中で、18%のスマホを握りしめていた。
指先が、じんじんと痛かった。




