表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/88

第48話「アドリブ」

 朝になっても、銀色の少女は消えていなかった。


 施設の前の空き地。焚き火の残り灰。その向こうに、アカリと同じ顔をした銀色の影が立っている。夜通し同じ場所に。動かない。息をしない。ただ——アカリを見ている。


 アカリが起き上がると、銀色の少女も起き上がる動作をした。アカリがメガネをかけると、銀色の少女もメガネをかける仕草をした。鏡。まだ続いている。


 「解決策は」


 ザインが焚き火の跡を挟んで座っていた。一晩中起きていたらしい。羊皮紙に何か書いている。


 「あの存在は、お前の行動パターンを完全に模倣している。しかし模倣には原理的な限界がある」


 「限界?」


 「模倣は参照元がなければ成立しない。お前がまだやっていないことは、コピーできない」


 昨夜、アカリ自身が気づいたことだった。「明日、何をするか。あんたには予測できない」。しかしそれは一瞬の空白を作っただけで、アリアを崩壊させるには至らなかった。


 「問題は」ザインが続けた。「お前が何かを『する』瞬間、それは即座にコピー可能になる。行動は見えるからだ。発話も聞こえる。つまり——」


 「やった瞬間にコピーされる」


 「そうだ。先手を打っても、次の瞬間には追いつかれる。お前が勝つには——模倣そのものが成立しない行為が必要だ」


 模倣が成立しない行為。コピーできない何か。


 アカリはスマホを確認した。50%。考える時間にもバッテリーは減る。


          ◇


 銀色の少女の前に立った。


 三歩の距離。同じ顔が向かい合っている。銀色の少女はアカリが立つと同時に立った。同時に三歩歩いた。鏡像。


 「ねえ」


 銀色の少女が言った。アカリが言う前に。


 「また考えてたでしょ。『ベルならどうする』って」


 心臓が跳ねた。言い当てられた。——いや、コピーなのだから当然だ。アカリの思考パターンを模倣している。ピンチになると「ベルならどうする」と考える。それはもう何度も繰り返したパターン。


 「第二話の影の魔獣は光に弱い。第七話の氷の結界は歌で溶かせる。第十二話の——」


 銀色の少女がベルのエピソードを列挙し始めた。アカリの記憶にあるベルの全話を。


 「全部知ってるよ。あなたが知ってることは、全部。ベルの台詞も、ベルの戦い方も、ベルの決め台詞も」


 銀色の少女が右手を伸ばした。ステッキを握る仕草。手の中には何もない。でも構えだけは完璧。アカリがいつもやる、ステッキを前に突き出す構え。


 「ロードアウト——」


 アカリの声で。アカリの抑揚で。変身シークエンスの掛け声。


 「——アイアン・ブート」


 完璧なコピー。声の震え方まで同じ。第五話でお披露目のとき叫んだあの声と、同じ。


 アカリは黙って聞いていた。


 「ね。全部できるよ。あなたがやることは全部。だって全部、台本があるもの。ベルっていう台本が」


 台本。


 その言葉が、胸のどこかに刺さった。


 ——本当にそうだ。


 影狼のとき、「ベルなら第二話」と思った。スライムのとき、「ベルなら第七話」と思った。サキのガラケーを蘇生するとき、「ベルなら道具を使う」と思った。全部——ベルの台本をなぞっていた。


 ベルが言った台詞を借りた。ベルが取った行動を真似た。ベルが着ていた衣装を着た。


 コスプレ。


 最初から最後まで、コスプレだ。


 銀色の少女が微笑んだ。アカリの顔で。しかしアカリが今浮かべていない笑顔を。


 「だからさ。私がいれば十分でしょ? 台本通りにやるなら、コピーで——」


 「——台本にないこと、言ってみようか」


 声が出た。


 自分の声だった。震えていた。でも——銀色の少女より先だった。


 銀色の少女の口が止まった。


 「台本にないこと」


 オウム返し。でも一拍遅れた。アカリが言った後の、コピー。


 アカリは一歩前に出た。銀色の少女も一歩前に出た。二歩の距離。


 スマホを取り出した。画面を見た。ユウの写真が表示されたままだった。七百十三枚目。ピースサイン。


 ベルはこの写真を知らない。


 ベルはマナを知らない。サキを知らない。ユウを知らない。ベルは異世界の魔法少女だけど、現実の異世界で死んだ現実の女の子のことは知らない。ベルの台本には、関数電卓の裏のプリクラシールも、塗装の剥げたキャラストラップも、カメラバッグの奥のアクキーも、書かれていない。


 ベルが言わなかったことを、言う。


 口を開いた。


 何を言えばいいかわからなかった。台本がないのだから。ベルの台詞を引用できない。自分の言葉を——持っていない。十七年間、推しの言葉を借りて生きてきた女の子に、オリジナルの台詞なんかない。


 でも——借り物を、組み替えることはできる。


 ベルの言葉と、マナの数式と、サキの涙と、ユウのシャッター音を、まだ誰も組み合わせたことのない順番で並べることはできる。


 「——私は偽物だよ」


 言った。認めた。銀色の少女が同時に口を開いたが——言葉が違った。アカリが自分を「偽物」と呼ぶパターンは、鏡のデータにはあった。でも次の言葉が——。


 「コスプレの聖女。ベルの真似。ステッキの光はもう消えた。全部本当。あんたの言う通り」


 銀色の少女がコピーしようとしている。しかし文の構造が予測できない。アカリ自身が次に何を言うか決めていないから。今この瞬間に、言葉を選んでいるから。台本がないから。


 「でも——三十年前に電卓の裏にプリクラシールを貼った子がいた。二十年前にガラケーにキャラストラップをつけた子がいた。十年前にカメラバッグの奥にアクキーを隠してた子がいた」


 銀色の少女の輪郭が揺らいだ。この情報を持っていない。アカリの「ベルの模倣パターン」にはない言葉。マナとサキとユウの遺品の記憶。鏡が参照できないデータ。


 「全員——魔法少女が好きだった。私と同じ。推しがいた。変身に憧れた。でも、本物の魔法少女にされて、本物の光になって、消えた」


 声が震えていた。泣きそうだった。でも止まらなかった。


 「ベルなら何て言うかわかんない。台本にないから。でも私は——」


 息を吸った。


 「——修理する。この子たちが直そうとして直せなかったバグを。借り物の衣装で、借り物の言葉で、五十パーセントのバッテリーで。かっこ悪いけど。ベルみたいにかっこよくないけど」


 銀色の少女が——崩れ始めた。


 輪郭がぼやけている。顔がアカリの顔を保てなくなっている。目が歪んでいる。口が——言葉を形作ろうとして、できない。コピーする対象がない。アカリが今言っていることは、過去のどの発話パターンにも一致しない。台本にない台詞。即興。アドリブ。


 「偽物でいい。直せるなら。偽物のまま、直す」


 銀色の少女の体が砕けた。


 鏡が割れるように。ぱきん、という乾いた音がして、銀色の破片が散った。光の粒になって、空気に溶けた。アカリの顔が、アカリの声が、アカリの仕草が——全部、破片になって消えた。


 跡形もなかった。


 足元にスマホが落ちている。画面のノイズが消えていた。ユウのピースサインが、きれいに表示されている。


 48%。


 膝から力が抜けた。座り込んだ。地面が冷たかった。


 「……かっこ悪かったな」


 呟いた。ベルの台詞じゃない。自分の感想。


 ティックが肩に降りてきた。


 「かっこよかったよー!」


 「……嘘つき」


 「嘘じゃないよー。ティック、今の全然わかんなかったもん。でもかっこよかったー」


 わかんなかったのにかっこいいのか。それはもう感想であって評価ではない。でも——ティックの言葉は嬉しかった。


 レオンが剣を鞘に戻した。何も言わなかった。しかし目が——少しだけ、違う色をしていた。灰色の中の、何か。


 バルトロメイが太い腕を組んで頷いた。「うむ」。一語。それだけ。


 イレーネが何かを書いていた。いつもの手帳。しかしペンの動きが——いつもより速かった。書くことが多いのか。書かずにいられないのか。


 ザインが立ち上がった。羊皮紙を丸めた。焚き火の跡を踏み越えて、アカリの前に来た。白い外套が視界を塞いだ。見下ろされている。


 「……偽物が、偽物の壁を越えた」


 低い声だった。


 「皮肉なものだ」


 褒めているのか貶しているのかわからなかった。ザインの声にはいつも両方が混ざっている。でも——目は笑っていなかった。笑っていないのに、怒ってもいなかった。何か別の感情。理論家が理論では説明できないものを見たときの——。


 ザインが背を向けた。


 「立て。次がある」


 次。三人の遺産の統合。バイパス回路の設計。実証実験。


 立ち上がった。膝が震えていた。アドリブの余韻が体に残っている。あんなことを言ったのは初めてだった。台本なしで。ベルの言葉を借りずに。


 ——いや、完全に借りずに、ではなかった。「修理する」はベルの第八話の台詞だ。「直す」もベルが使う。語彙の半分はまだベルのものだった。


 でも組み合わせ方は、ベルのものではなかった。


 マナとサキとユウの名前を入れた。プリクラシールとキャラストラップとアクキーを入れた。五十パーセントのバッテリーを入れた。ベルの台本には書かれていない変数を、ベルの文法に代入した。


 アドリブ。


 まだ自分の言葉ではない。借り物の文法に、借り物ではない変数を入れただけ。でも——それが、鏡を割った。


 「偽物のまま、直す」。


 その言葉だけは、ベルのものではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ