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第41話「外套」

 夜。


 焚き火が弱くなっていた。


 薪が足りない。この辺りは荒れ地で、木が少ない。拾える枝も細いものばかりで、すぐに燃え尽きる。炎が膝丈まで落ちている。橙色の光の輪が狭くなって、闇が一歩近づいている。


 レオンは木の幹に背を預けていた。


 いつもの姿勢。膝を立てて、右手を剣の柄に添えて。目を閉じている——ように見える。薄目だ。睫毛の隙間から、焚き火の向こう側を見ている。


 アカリが眠っていた。


 旅装束のマントを顔のあたりまで引き上げて、体を丸くしている。小さい。百五十五センチ。マントからはみ出た足先が見えている。靴を脱いでいる。靴の中が蒸れるから、と数日前に言っていた。メガネが地面に置いてある。メガネを外した顔は知らない。見たことがない。寝るときだけ外すらしい。


 寒そうだった。


 気温が下がっている。荒れ地の夜は冷える。丘陵地帯を抜けてから、朝晩の冷え込みが厳しくなった。マントは薄い。旅装束の布地では、この寒さには足りない。


 アカリの肩が微かに震えていた。寝ている。でも体が冷えを感じている。マントを引き寄せる手が、無意識に布を掴んでいる。指先が白い。


 レオンは目をそらした。


 膝の上の剣を見た。


 鞘に収まっている。黒い鞘。革で巻かれている。柄の部分だけが露出している。柄の革は新しい。半年前に巻き直した。教団を出発する前に。この任務のために。


 鞘から少しだけ抜いた。


 刃が見えた。焚き火の光を受けて、赤く光った。鋼の表面に、波紋のような模様がある。鍛造の跡。良い剣だ。切れ味は申し分ない。刃こぼれは一度もない。影狼戦で鎧の獣を斬ったときも、刃は無傷だった。


 介錯の剣。


 この剣は護衛のためではない。聖女を守るための剣ではない。


 聖女が儀式の途中で壊れたとき——恐怖で逃げ出そうとしたとき——暴走したとき——この剣で、一太刀で、終わらせる。苦しみを長引かせないために。慈悲として。


 慈悲。


 教団はそう呼ぶ。介錯は慈悲だと。聖女が光に焼かれて苦しむくらいなら、一瞬で終わらせてやるほうが情けだと。だから処刑騎士は聖女の最も近くに立つ。護衛のふりをして。最後の瞬間まで、隣にいて。


 剣を鞘に戻した。かちん、と鍔が鳴った。


 焚き火の向こうで、アカリが寝返りを打った。マントが肩からずれた。首筋が見えた。細い首。マナと同じ——いや、マナのことは知らない。知っているのは、この首が細くて、この剣なら一太刀で断てるということだけだ。


 目をそらした。


 焚き火を見た。炎がまた小さくなっている。薪を足さなければ消える。消えたら、暗くなる。暗くなったら——寒くなる。


 レオンの手が、自分の外套に触れた。


 革の外套。裏地に毛皮がついている。騎士の防寒具。重い。厚い。温かい。


 この外套をかければ、あの女は震えなくなる。マントの上からかければ。肩から足先まで覆えば。


 手が外套の留め金に触れた。外しかけた。肩から外套を持ち上げて——。


 止まった。


 手が凍った。留め金に指をかけたまま、動けなくなった。


 ——いずれ殺す相手に情をかけてどうする。


 声が頭の中で響いた。自分の声だ。低い声。処刑騎士の声。


 外套をかける。温める。震えを止める。それは——何だ。護衛の任務か。違う。護衛ではない。護衛は物理的な安全を確保する行為だ。外套をかけるのは——。


 情だ。


 それ以外の言葉がない。


 情をかけたら、剣が振れなくなる。温めた体を斬れなくなる。外套をかけた肩を断てなくなる。処刑騎士が処刑を遂行できなくなる。


 指が留め金から離れた。外套が肩に戻った。重い。厚い。温かい。自分だけが。


 焚き火が、また一段小さくなった。


 アカリの肩がまた震えた。マントの中で身を縮めている。足先が丸まっている。


 レオンは焚き火を見ていた。


 炎が弱い。薪が足りない。あと一本足せば、もう少し持つ。あと一本。


 立ち上がった。


 音を立てないように。焚き火の脇に積んであった枝の束から、一番太い一本を取った。焚き火に差し入れた。


 枝が炎に触れた。ぱちん。火の粉が散った。炎が一回り大きくなった。橙色の光の輪が広がった。闇が一歩後退した。


 温度が上がった。微かに。焚き火から三歩先にいるアカリのところまで届くかどうか、わからない。でも——届くかもしれない。


 レオンは元の場所に戻った。木の幹に背を預けた。膝を立てた。剣の柄に手を添えた。目を閉じた。


 外套はかけなかった。薪を足しただけだ。直接ではない。間接的な。名前のつけようがない行為。


          ◇


 少し離れた場所で、バルトロメイが目を開けていた。


 鼾をかいていたはずだった。規則正しい鼾。でもそれは——演技だった。いつから起きていたのか。おそらくレオンが剣を抜いたときから。弟子の気配の変化を、師匠は寝ていても感じ取る。


 バルトロメイは全部見ていた。


 レオンが剣を見つめた。レオンがアカリの震えを見た。レオンが外套に手をかけた。レオンが止まった。レオンが薪を足した。


 全部。


 バルトロメイの手が、自分の胸元に触れた。鎧の下。革紐。ガラケー。サキの遺品。二十年前のもう一人の聖女の遺品。


 二十年前にも、同じ光景を見た。


 別の焚き火。別の騎士。別の聖女。でも——同じだった。同じ葛藤。同じ手の震え。同じ外套。


 あのときは——外套をかけた。


 若かったから。まだ、情と任務の境界線を知らなかったから。サキの肩に外套をかけて、サキが目を覚まして、「あったかい」と笑って。その笑顔が——。


 バルトロメイは目を閉じた。


 鼾を再開した。規則正しく。演技の鼾を。


 レオンは外套をかけなかった。まだ境界線の内側にいる。ぎりぎりだが、内側にいる。


 薪を足した。その一本の薪が、境界線をどれだけ侵食したか——レオン自身はまだ気づいていない。


 バルトロメイは知っている。あの一本が、始まりだということを。

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