第32話「無意識の盾」
ザインの質問は、翌日も続いた。
街道を歩きながら。休憩のたびに。食事の最中にも。ザインは白い外套を翻して早足でアカリの横に並び、前触れなく問いを投げてくる。
「お前の世界の『電気』と、この世界の魔力の関係を述べよ」
「え、えっと……似てるところと違うところがあって——」
「似ているとは何だ。具体的に」
「流れる方向がある。抵抗がある。高い方から低い方に流れる。でも魔力には方向の整流性があって電気にはない——いや、電気にもダイオードっていう——」
「それは何だ」
「一方向にしか電流を通さない素子で——」
「素子とは」
「部品です。回路を構成する最小単位の——」
「つまりお前の世界では、整流性を人工的に付与するのか。この世界では導体自体に内在するが」
「……はい、たぶんそうです」
ザインが羊皮紙に何か書きつけた。歩きながら書く。字が読めないくらい崩れているが、本人は気にしていない。
「次。光の粉の導電性。お前はなぜ接点に粉を振りかけた」
「直感です」
「直感に根拠はあるか」
「……井戸のとき、光の粉でストロボの光が増幅されました。増幅されるってことは、光の粉が魔力——いやエネルギーを伝える性質がある。なら接点にも使えるかなって」
「推論としては粗い。だが方向は正しい」
朝から昼まで。質問。回答。質問。回答。ザインの問いはどんどん深くなる。アカリが答えられる領域を超え始めた。
「封印の聖陣において、冷却系の導体はどの材質で構成されている」
「……わかりません」
「冷却系の設計思想は」
「サキの動画では、余剰熱を逃がすラインだと——」
「サキ」
ザインの目が鋭くなった。
「その名を、どこで聞いた」
空気が変わった。
サキの名前を出してしまった。二十年前の聖女。ガラケーの持ち主。バルトロメイの——。
「あ、いや、それは——」
「二十年前の聖女の名だ。お前がなぜその名と、冷却系の情報を知っている」
ザインが歩みを止めた。正面からアカリを見ている。細い目の奥の光が、朝の問答とは質が変わった。学問の光ではない。尋問の光。
「先代の聖女の情報を持っているということは、教団内部に情報源があるか、あるいは——」
「ザイン殿」
声が割って入った。
レオンだった。
いつの間にか、レオンがアカリとザインの間に立っていた。半歩前。アカリの斜め前に。体がアカリを遮る位置。手は剣の柄にはない。でも肩が壁になっている。
「聖女への尋問は許可されていない」
低い声。焚き火の夜に「俺に嘘をつくな」と言ったときと同じ静かさ。でもあのときより硬い。
ザインが目を細めた。
「尋問ではない。学術的な確認だ」
「名目はどうあれ、聖女を追い詰める行為は看過できない」
「追い詰める? 私は質問をしただけだ」
「聖女の顔が強張っている。それは追い詰めているということだ」
アカリはレオンの背中を見ていた。広い背中。革の鎧。ほんの半歩前にある壁。
この人、いつ割って入った。気づかなかった。自分がサキの名前を口にした瞬間に、もうここにいた。
ザインがレオンを見上げた。背の高いレオンを、背の低いザインが見上げている。でも気圧されてはいない。
「処刑騎士。お前は聖女の護衛か」
レオンの肩が、ほんの一瞬だけ固まった。一瞬。まばたきより短い。でもアカリの位置からは見えた。
「……そうだ」
声が、ほんのわずかに遅れた。
ザインは何も言わなかった。目を細めたまま、数秒アカリとレオンを交互に見て、踵を返した。「今日の問答はここまでだ」。白い外套の裾を引きずって、バルトロメイのほうに歩いていった。
残されたレオンが、半歩前の位置から動かなかった。
「……レオン」
「……何だ」
「ありがとう」
レオンは振り返らなかった。背中だけがそこにあった。
「……礼はいらない。任務だ」
それだけ言って、前方に歩き出した。歩幅が、少し広い。いつもの歩幅に戻っている。アカリとの距離が、また開く。
◇
夜。
焚き火が燃えている。全員が寝静まった。ティックはアカリの肩で丸くなっている。イレーネは向かいで目を閉じている——閉じているように見える。この人が本当に寝ているかは、永遠にわからない。
バルトロメイが大きな鼾をかいている。ザインが少し離れた場所で、また羊皮紙に向かっている。計算をしている。
レオンは木の幹に背を預けていた。目を閉じている。でも寝ていない。
レオンの頭の中で、声がしていた。
——なぜ割って入った。
考える。答えが出ない。考える。
ザインの質問は学術的なものだった。危害を加えようとしていたわけではない。聖女が追い詰められていた——本当か。顔が強張っていた。それは事実だ。だからなんだ。聖女が不快な質問を受けることを、なぜ俺が止める。
任務。護衛。
——護衛ではない。
その声は、バルトロメイの声で再生された。焚き火の夜。「お前の『任務』の正体を、儂は知っている」。「護衛ではないな」。
護衛ではない。レオンの任務は護衛ではない。
聖女を魔王城まで送り届けること。それは本当だ。しかし「送り届ける」の意味が、護衛とは違う。
封印の儀式。百年に一度。聖女が聖陣の中心に立ち、余剰魔力を体で受け止め、燃え尽きる。冷却フィンの代わりに。——サキの動画の内容は、もう知っている。バルトロメイの嗚咽を聞いた。
聖女は儀式で死ぬ。
では、聖女が逃げたら。聖女が拒否したら。聖女が壊れたら。
そのとき、処刑騎士が——。
レオンの手が、膝の上で拳を握った。
介錯。
聖女が儀式の途中で意識を失ったとき。聖女が恐怖で逃げ出そうとしたとき。聖女が暴走したとき。処刑騎士が、剣で——。
殺す。
それがレオンの任務だった。護衛の皮を被った、処刑人。聖女の最後を看取り、必要ならば自らの手で終わらせる者。だから「処刑騎士」。教団がつけた名前は、最初から正直だった。
あの女を殺すのか。
目を閉じたまま、焚き火の裏に座っている小さな影を思い浮かべた。メガネ。百五十五センチ。回路の前で早口になる女。アジシオを振りかける女。ステッキを握って震える女。「ロードアウト」と叫ぶ女。
銅線で千年の聖陣に穴を開けた女。
——なぜ俺はあの女を庇った。
答えは出ない。任務は変わっていない。教団の命令は撤回されていない。聖女を魔王城に送り届け、儀式に立ち会い、必要ならば介錯する。
なのに体が動いた。ザインとアカリの間に、勝手に立っていた。「聖女の顔が強張っている」——自分の口がそう言っていた。聖女の顔を見ていた。いつから見ていた。いつから、あの女の顔色を気にしていた。
焚き火がぱちんと爆ぜた。
レオンは目を開けなかった。開けたら、焚き火の向こうの小さな影が見えてしまう。
見たくなかった。殺す相手の寝顔を。




