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第29話「中継塔」

 それから数日、何事もなく歩いた。


 五人になった。アカリ、レオン、イレーネ、ティック、バルトロメイ。馬が一頭増えた。バルトロメイの馬。老いた栗毛。主人に似て、静かで、頑丈だった。


 バルトロメイとレオンが並んで歩くと、似ていた。歩幅。背筋。剣に手を添える癖。師匠と弟子。二十年の隔たりがあるのに、所作が同じ。


 バルトロメイはアカリに多くを語らなかった。サキのことも、封印の儀式のことも、聞けば答えてくれるのだろうけど——まだ聞けなかった。聞く準備ができていなかった。


 ガラケーはバルトロメイの首に戻った。革紐をほどいて見せてくれた夜の翌朝、アカリが「返します」と差し出したら、バルトロメイは黙って受け取って、また首にかけた。二十年の重さが、また首に戻った。


 スマホ、78%。数日で2%減った。画面の明るさ確認と、たまに時計を見るだけでも減る。節約しても、減る。でもモバイルバッテリーがない今、減る速度を少しでも遅らせるしかない。


 街道が丘陵地帯を抜けて、荒れ地に差しかかった頃だった。


 「あれは何だ」


 バルトロメイが立ち止まった。前方を指している。


 丘の上に、塔が立っていた。


 石造り。高さは十メートルほど。細い。煙突のように真っすぐ伸びている。壁面に蔦が絡みついている。てっぺんに金属の棒が突き出していて、先端が緑青で覆われている。窓は一つもない。入口は——根元に、低いアーチ型の穴が開いている。


 「中継塔だ」


 レオンが言った。


 「魔力回路の中継施設。封印の力を聖都から各地に分配するための——まだ機能しているかは知らない」


 レオンにしては長い説明だった。バルトロメイの前だから、少し丁寧になっている。


 「中に入れるのー?」


 ティックがアカリの肩から飛び立って、塔の周りをくるくる旋回した。戻ってきた。


 「中あったかいよー。ぴりぴりするけどー」


 ぴりぴり。ティックが言う「ぴりぴり」は魔力の気配だ。黒い森でも、井戸の前でも、ティックはぴりぴりすると言った。


 アーチ型の入口をくぐった。


 暗かった。外の光がアーチの穴から差し込んでいるだけ。空気が変わった。湿っている。でも森の湿気とは違う。金属の匂いがする。錆と、石と、それからもう一つ——何か甘い匂い。井戸の粘液に似ている。でもあれほど強くない。かすかに。


 目が慣れてきた。


 塔の内壁に、何かが走っていた。


 溝。壁面に彫られた溝が、縦横に走っている。幅は指一本分。深さも指一本分。溝の中に、鈍い金属色の線が埋め込まれている。上から下まで、壁全面に。規則的なパターンで分岐し、合流し、ときどき円形の結節点を作っている。


 回路だ。


 魔力回路。サキが動画の中で「聖陣」と呼んでいたもの。「電子回路と同じ構造」と言っていたもの。


 手を伸ばした。


 指先が金属の線に触れた。


 冷たかった。


 石壁と同じ冷たさ。でも違う。石は均一に冷たい。この金属は——ムラがある。指を滑らせると、冷たい部分と、ほんのわずかに温かい部分がある。温かい部分は導線が太い場所。何かが流れている場所。


 かすかに、振動していた。


 指の腹が感じる微細な振動。触覚の限界ぎりぎり。でも確かにある。導線の中を、何かが流れている。電流じゃない。魔力。でも流れ方は同じだ。高い方から低い方へ。圧力差に従って。


 「……生きてる」


 呟いた。


 「この回路、まだ生きてる」


 お父さんの作業場を思い出した。


 電気工事士のお父さん。家の向かいの作業場。配電盤の前に立って、指で端子を確認しているお父さんの手。「アカリ、ここ触ってみ。わかるか? 電気が通ってるとこと通ってないとこ、指でわかるようになったら一人前だ」。


 五歳のときに教わった。配電盤の端子に指を当てて、導通を感じる練習。テスターを使う前に、まず指で。「機械に頼る前に、自分の指を信じろ」。お父さんの口癖。


 同じだ。あのときと同じ感覚が、指先にある。


 回路を辿った。指を導線に沿わせて、上から下へ。分岐点で止まる。左右に分かれている。右の導線は温かい。左の導線は冷たい。


 左に進む。冷たい導線を辿る。冷たいということは、流れが滞っている。どこかで止まっている。


 三メートルほど辿ったところで、指が止まった。


 導線の表面が変わった。滑らかだった金属が、ざらざらしている。粒子状の凹凸。緑がかった色。


 腐食だ。


 金属の表面が酸化して、導通が失われている。導線の断面が細くなって、抵抗が上がって、最終的に——。


 スマホを取り出した。78%。カメラを起動。フラッシュで照らしながら、腐食部分を接写した。画面を拡大する。


 はっきり見えた。導線が緑色の酸化物で覆われている。一番ひどい箇所は、導線が完全に切れていた。断面が酸化物で埋まっている。


 「……接触不良だ」


 声が出た。自分でも驚くくらい、はっきりした声だった。


 「ここ、導線が腐食してる。接点が酸化して導通が切れてる。だから左側の回路に魔力が流れてない。完全に、接触不良」


 振り返った。


 入口のアーチの光を背にして、五つの影が立っていた。レオン。イレーネ。バルトロメイ。ティック。そしてもう一人。


 知らない人がいた。


 白髪。長い。背は低い。痩せている。白い外套を羽織っている。外套の裾が地面に触れそうなほど長い。顔は皺が深いが、バルトロメイとは違う種類の皺。日焼けではなく、室内で年を重ねた人の皺。目が鋭い。細い目の奥に、光がある。


 アカリの指先を見ていた。壁の導線に触れている指先を。


 「何をしている、聖女よ」


 低い声。バルトロメイやレオンとも違う低さ。乾いている。紙を破くような声。


 「……あ、えっと——」


 「千年の聖陣に、素手で触れるとは。正気か」


 目が細くなった。怒りではない。もっと冷たいもの。


 バルトロメイが一歩前に出た。「ザイン殿。お久しぶりだ」


 「バルトロメイか。引退したはずだが」


 「風の向くまま足の向くままだ」


 「……相変わらず中身のないことを言う」


 二人の間に、旧知の空気があった。敵ではない。でも味方でもない。


 ザイン。白い外套。宮廷魔術師。中継塔の定期点検に来ていたのか。


 ザインの目がアカリに戻った。


 「聖女。もう一度聞く。千年の聖陣に、何をした」


 「……接触不良を見つけました」


 ザインの眉が、ぴくりと動いた。

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