第27話「来て、泣いて、光になるの」
ティックが飛んできた。
いつの間にかどこかに行っていたティックが、ふわりとアカリの肩に降りてきた。翅が耳元で鳴っている。
「なにー? みんなどうしたのー? 泣いてるー?」
バルトロメイの背中を見ている。まだ地面に額をつけている大きな背中を。ティックは首を傾げた。小さな顔が不思議そうに歪んでいる。
アカリの膝の上のガラケーに、ティックの視線が落ちた。
「あ」
翅の音が止まった。
ティックの大きな瞳が、さらに大きくなった。ガラケーの画面——真っ暗な画面を、食い入るように見つめている。
「この子知ってるー」
心臓が跳ねた。
「昔来た子だよー。ティック覚えてるー」
「……ティック。この端末を持ってた子のこと、知ってるの?」
「端末? ……んー、この四角いやつ? うん、持ってたー。光らせてたー。ティックの粉と一緒にきれいだったよー」
サキもティックの光の粉と一緒に何かをしていた。アカリがLEDと光の粉で影狼を散らしたように。同じことを、二十年前にもやっていた。
「この子ねー、最初は笑ってたよー。ティックと遊んでくれたー。花をくれたー」
花。紫色の花。電池カバーに挟まれていた押し花。あれはサキがティックにあげた花だったのか。それともティックがサキにあげた花だったのか。
「でもねー、だんだん泣くようになったのー」
ティックの声が、少しだけ落ちた。いつもの語尾はそのまま。でもテンポが遅くなっている。
「夜にねー、一人で泣いてたー。ティックが横にいても泣いてたー。涙がぽろぽろしてたー」
ぽろぽろ。ティックの語彙で言う涙。ぽろぽろ。その音の軽さが、余計に重い。
「ティック、えらい人に言ったよー。この子泣いてるよー、って。でもえらい人、なんにも言わなかったー。笑って『聖女様は大丈夫です』って」
えらい人。教団の誰か。グレゴリウスか、その前の時代の権力者か。サキが泣いているのを報告しても、「大丈夫です」で片付けた。ティックの言葉を、誰もまともに聞かなかった。
「ティック」
声が震えた。聞きたくない。でも聞かなきゃいけない。
「この子に何があったか、知ってるの」
ティックがアカリの肩の上で、小さく首を傾げた。
「んー。光になって消えたよー」
光に。
「みんなそうだよー」
みんな。
「来て、泣いて、光になるの」
空気が凍った。
来て。この世界に召喚されて。
泣いて。孤立して、怖くて、誰にも助けてもらえなくて。
光になるの。封印の儀式で、燃え尽きて。
みんなそう。みんな。サキだけじゃない。サキの前にも、その前にも、何百年も——。
「みんなって……何人?」
「んー、わかんないー。ティック数えてないー。でもいっぱいだよー。いーっぱい。ティックが生まれてからだけでも、いっぱい」
ティックが生まれてから。妖精の寿命がどれくらいかは知らない。でも「いっぱい」。数えきれないほどの聖女が、この世界に召喚されて、泣いて、光になった。
「みんな優しかったよー。ティックと遊んでくれたー。花くれたり、歌歌ってくれたり。でもみんな最後は泣くのー。泣いて、光になって、消えちゃうの」
ティックの大きな瞳が、きらきら光っていた。光の粉だ。泣いているのかもしれない。影狼の前で泣いたときと同じ。でもティックの声は変わらない。いつもの声。いつもの語尾。残酷なほどいつも通り。
この子にとって、聖女が来て泣いて消えるのは——当たり前のことなのだ。
季節が巡るように。花が咲いて散るように。聖女は来て、泣いて、光になる。ティックはそれを何度も見てきた。悲しいけど、不思議じゃない。そういうものだと思っている。
バルトロメイが顔を上げていた。いつの間にか。ティックの言葉を聞いていた。目が赤い。でも涙は止まっている。代わりに、別のものが目に浮かんでいる。怒りでも悲しみでもない。もっと古い、もっと深い何か。自分がその歴史の中にいたことへの——。
バルトロメイの目が遠くなった。二十年前を見ている目だった。
サキが暴走を起こした夜。聖堂が崩れた夜。三十七人が死んだ夜。サキは泣きながら叫んでいた。「ごめんなさい」と。「止めて」と。「私を止めて」と。自分の体から溢れ出る魔力を制御できず、人を殺していく自分を——止めてくれと叫んでいた。バルトロメイはサキの前に立った。盾を構えた。盾は砕けた。腕が折れた。それでもサキの前に立ち続けた。サキの最後の言葉は「ごめんね」だった。護れなかったのはバルトロメイの方なのに。サキは——三十七人の全員に、一人ずつ謝りたかったのだろう。しかし光になるまでの時間は「ごめんね」の一言しか許さなかった。
レオンは木の幹に手をついていた。顔が白い。師匠の泣き顔にも動揺していたが、今は別の理由で白くなっている。「みんなそう」。レオンが護衛している聖女——アカリも、「みんな」の中に入っている。
イレーネだけが、微動だにしなかった。
知っていたのだ。最初から。
聖女が来て、泣いて、光になること。それが何百年も繰り返されてきたこと。自分の役割が何なのか。お世話係が何のためにいるのか。全部知っていて、微笑んで、記録していた。
アカリの手が、膝の上のガラケーを握りしめていた。冷たいプラスチック。サキの端末。サキも「みんな」の一人だった。
そして私も——。
「封印の儀式って」
声が出た。自分の声が、自分のものじゃないみたいだった。遠い。耳の奥で鳴っている。
「聖女が、死ぬんですか」
バルトロメイに向かって言った。でもバルトロメイは答えなかった。目を伏せた。
レオンに向かって言った。レオンは目を逸らした。木の幹についた手の指が白くなっている。
イレーネに向かって言った。イレーネは微笑んだ。何も言わなかった。
三人とも、答えなかった。
沈黙が、答えだった。
聞いてない。
そんなの——聞いてない。
推しのコスプレで異世界に来た。聖女として召喚された。魔王城に行けと言われた。封印を直せと言われた。
でも——魔法少女が生贄だなんて、聞いてない。
誰も言わなかった。グレゴリウスも。イレーネも。バルトロメイも。レオンも。
誰も——教えてくれなかった。




