表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/88

第26話「途切れた言葉」

 再生ボタンを押した。


 ノイズ。砂嵐。


 映像が出た。


 サキだった。同じカメラ。同じQVGA。同じ粗い画質。


 でも目が赤かった。


 泣いた跡だった。目の周りが腫れている。鼻が赤い。唇が荒れている。二本目の隈がさらに深くなって、顔全体が一回り小さく見える。


 背景は一本目と同じ屋外。でも光が違う。夕暮れだ。空がオレンジ色に染まっている。サキの顔の半分が影になっている。


 しばらく何も言わなかった。


 五秒。十秒。カメラの前で、サキが口を開けて、閉じて、また開ける。何か言おうとして、言葉が出てこない。喉が動いている。飲み込んでいる。言葉を飲み込んでいる。


 スピーカーから聞こえるのは、風の音と、サキの呼吸だけだった。


 「……バルトロメイさん」


 名前だった。最初の言葉が、名前だった。


 声が震えていた。一本目の弾むような声でも、二本目の怒りに燃える声でもない。何も纏っていない、裸の声。


 「ごめんね」


 顔が歪んだ。泣きそうになって、堪えて、それでも歪んでいる。QVGAの粗い画質でも、顔の筋肉が全部下を向いているのがわかる。


 「冷却系のバグ、直せなかった。時間が足りなかった。計算は途中まではできたの。バイパス回路の設計図も途中まで描いた。でも検証ができなかった。教団の人たちは聖陣に触らせてくれないし、あたし一人じゃ——」


 声が切れた。息を吸う音。深い。震えている。


 「一人じゃ、無理だった」


 その一言に、三ヶ月分の孤独が詰まっていた。


 「明日、儀式がある。教団の人たちが言うには、聖女が聖陣の中心に立って、魔力の余剰を体で受け止めて、封印を更新する。それが儀式。あたしの体が冷却フィンの代わりになるの。前にも言ったよね。おかしいって。バグだって」


 サキの手が画面の外に伸びた。何かを掴もうとしている。画面に映らない誰かに向かって。


 掴めなかったらしい。手が戻ってきた。膝の上に落ちた。


 「バルトロメイさんには言えなかった。ずっと言えなかった。心配させたくなくて。あの人、あたしのこと守ろうとしてくれてるの知ってる。でも、これは——守れないよ。教団の決定だから。聖騎士団長でも、止められないでしょ」


 涙が一筋、サキの頬を伝った。カメラのピントがぼやけて、涙の筋が光の線になった。


 「あたし、たぶん明日の儀式で——」


 画面にノイズが走った。


 映像が乱れた。色が飛んだ。サキの顔がブロックノイズに分解される。


 声が途切れた。「で——」の後が来ない。


 画面が暗くなった。


 真っ暗。


 ガラケーの液晶が消えていた。メーカーロゴも出ない。バックライトも消えている。完全に落ちた。


 銅線は押さえたままだ。左手に力を込める。押し当て直す。接点がずれたのか。角度を変える。


 点かない。


 もう一度。接点を擦る。銅線の先端を当て直す。


 点かない。


 モバイルバッテリーのインジケーターを見た。


 LEDが全部消えていた。


 ゼロだ。モバイルバッテリーが空になった。二十年前のガラケーに、全部吸い取られた。抵抗損失と旧式バッテリーの充電効率の悪さで、電気が熱に変わって逃げて、残りがゼロになった。


 サキの言葉の続きを再生する電力が、もうない。


 「で——」の後に、何を言おうとしたのか。


 「たぶん明日の儀式で」——死ぬ。それを言おうとしたのか。それとも別の何かを。バイパス回路のことを。不完全な理論のことを。バルトロメイへの最後の言葉を。


 わからない。もう聞けない。


 「……サキ」


 バルトロメイの声が聞こえた。


 嗚咽だった。一本目のときの静かな涙とは違う。胸の底から絞り出されるような、壊れたような音。大きな体が前に倒れかかっている。地面に両手をついて、額を土につけている。


 「続きを……続きを聞かせてくれ……」


 声が割れていた。六十を超えた元聖騎士団長が、地面に額をつけて、二十年前の死者に語りかけている。


 「サキ……何を言おうとした……お前は何を……」


 答えはなかった。ガラケーの画面は真っ暗だった。サキの声は戻らなかった。


 アカリは銅線を握りしめたまま動けなかった。左手が白くなっている。力を入れすぎて、指の関節が痛い。でも離せなかった。離したら、本当に終わる気がして。


 もう終わっているのに。


 右手でスマホを確認した。80%。スマホは生きている。でもモバイルバッテリーは死んだ。昨夜、スマホの充電に使って75%まで減った。残りの75%を全部、ガラケーに注ぎ込んだ。


 二十年前の死んだ携帯に——最後のバックアップを、全部使ってしまった。


 これからは80%だけで魔王城まで行く。モバイルバッテリーなし。補充なし。減るだけ。


 後悔はない。


 ……ないよ。たぶん。


 銅線をゆっくり離した。指の跡が、銅線に残っていた。


 ガラケーをバルトロメイに返そうとした。差し出した。


 バルトロメイは顔を上げなかった。地面に額をつけたまま。肩が震えている。


 アカリはガラケーを膝の上に戻した。サキの端末を、両手で包むように持った。もう温かくない。バルトロメイの体温も、電気の熱も、全部消えていた。


 冷たいプラスチックの箱。中に声が閉じ込められている。途切れた言葉が、永遠に途切れたまま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ