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第25話「冷却系のバグ」

 バルトロメイの涙が止まるまで、二分かかった。


 二分間、モバイルバッテリーのLEDが点滅し続けていた。一つだけの光が、明滅を繰り返している。消えそうで消えない。でもいつ消えてもおかしくない。


 バルトロメイが袖で目を拭った。大きな手が、顔を拭った。何度も。


 「……すまん」


 「謝らないでください」


 アカリの声も掠れていた。泣いてはいない。でも喉が詰まっている。


 「二本目を再生します。……いいですか」


 バルトロメイが頷いた。短く。重く。


 十字キーで二本目のファイルを選択する。日付は一本目から三ヶ月後。再生。


 ノイズ。砂嵐。映像。


 サキが映った。


 一本目と同じ顔。同じカメラ。同じQVGAの粗い画質。でも——違った。


 笑っていなかった。


 目の下に隈がある。頬がこけている。三ヶ月前の映像より、明らかに痩せていた。髪がぼさぼさだ。結んでいた髪が解けかけている。背景が暗い。室内だ。蝋燭の光だけで撮っている。


 「……あのね」


 声も違った。弾みが消えている。一本目の「全っ然」「五回だよ五回」のサキとは別人みたいだった。低い。疲れている。でも目だけが光っている。何かに取り憑かれたみたいに。


 「封印の儀式について調べた。教団の図書室にある聖典の写本。設計図みたいなやつ。あたし最初、読めなかったんだけど、イレ——お世話係の人に文字を教えてもらって、三ヶ月かかって全部読んだ」


 イレ。イレーネ? いや、二十年前だ。別の人だろう。でも「お世話係」という言い方が同じだった。


 「あの儀式の回路——こっちの人たちは『聖陣』って呼んでるけど、あたしにはどう見ても回路なの。魔力の経路図。入力と出力があって、中間にフィルタリング機構があって、熱を逃がす冷却系がある。回路だよ。電子回路と同じ構造」


 アカリの背筋が伸びた。回路。サキもそう見えたのか。魔法の術式を、回路として。


 「で、この回路にバグがある」


 サキの目がカメラを射抜いた。画質が粗いのに、目の力だけは鮮明だった。


 「冷却系。魔力が封印陣を通過するときに発生する余剰熱を逃がすラインなんだけど、このラインの容量が足りない。設計上は足りてるように見える。でも実際に回路を動かすと、定常状態で微量の熱が漏れ続ける。漏れる量はごくわずか。でもゼロじゃない」


 定常リーク。


 アカリの頭の中で、工業高校の電子回路の授業が蘇った。理想回路と実回路の差。理論上はゼロになるはずの漏れ電流が、実際にはゼロにならない。微量だけど、常に流れ続ける。時間が経てば蓄積する。


 「このリーク、ゼロにするには聖女が自分の体で吸収するしかないの。儀式中に、聖女の体が冷却フィンの代わりになる。魔力の余剰熱を全部、聖女の体に流して、聖女が燃え尽きることで封印が完成する。——それが、封印の儀式」


 聖女が燃え尽きる。


 冷却フィンの代わりに。


 「おかしいでしょ」


 サキの声が震えていた。怒りだ。恐怖じゃない。怒っている。


 「おかしいよ。冷却系のバグを直せば、聖女が死ぬ必要なんかない。リークをゼロにする方法は他にある。バイパス回路を追加するか、冷却ラインの容量を上げるか。設計をやり直せばいいだけの話なの。でも——」


 声が詰まった。数秒の沈黙。ガラケーのスピーカーから、サキの呼吸だけが聞こえる。浅い。速い。


 「誰も信じてくれない」


 声が、落ちた。


 「教団の人たちに言った。冷却系にバグがあるって。設計を見直すべきだって。でも返ってきたのは『神の設計に欠陥はない』。何回言っても同じ。『聖女の犠牲は神の定めた摂理である』って。あたしの話を聞いてくれない。回路図を見せても、計算結果を見せても、『聖女が余剰を引き受けるのは恩寵である』って」


 アカリはサキの声を聴きながら、自分の左手を見た。銅線を押さえている手。この手でLEDの配線を修理した。収束光で粘液を焼いた。スペクトル分析で核を見つけた。全部、技術だった。全部、回路と道具と物理現象だった。


 サキも同じだったのだ。この世界の魔法を、回路として見ていた。バグを見つけた。修正案を提案した。でも——。


 「もし冷却系のバグを直せたら、犠牲なしで封印を維持できるかもしれない。あたしの理論はまだ不完全で、検証もできてない。でも可能性はある。ある、と思う。思いたい」


 最後の二語が、ほとんど消えかけていた。「思いたい」。希望じゃなかった。祈りだった。


 「……バルトロメイさんには、まだ言えてない。言ったら心配させるから。でもいつか——」


 映像が途切れた。ぷつん。サキが録画を止めた。


 動画の長さ。一分五十二秒。一本目の三倍。


 沈黙。


 バルトロメイが拳を握りしめていた。涙はもう流れていない。代わりに、顔が強張っていた。唇が白い。歯を食いしばっている。


 「……知らなかった」


 絞り出すような声。


 「サキがそこまで調べていたとは……何も、知らなかった」


 二十年間、首から下げていた。中に何があるかも知らずに。サキの笑顔も、サキの怒りも、サキの孤独も、全部この小さな箱の中に閉じ込められたまま。


 レオンが口を開きかけて、閉じた。何を言おうとしたのかはわからない。師匠に、何を言えるのか。


 アカリの指先が、ガラケーの十字キーの上で止まっていた。


 三本目。


 あと一本、残っている。


 モバイルバッテリーのLEDが点滅している。間隔が短くなっている。


 三本目のファイル名が表示されている。日付。二本目から二週間後。


 再生ボタンの上に、アカリの親指が乗っている。押せない。押したい。押すのが怖い。


 サキの目の下の隈が、二本目よりさらに濃くなっている予感がした。

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