第24話「QVGA、15fps」
動画ファイルが三つ。
ファイル名は日付になっていた。数字の羅列。年月日。三つとも日付が違う。一本目が一番古い。
左手で銅線を固定したまま、右手の親指で十字キーを操作する。一本目のファイルを選択。再生ボタン。
画面が黒くなった。
一秒。二秒。ノイズが走る。砂嵐みたいな粒子が画面を覆って——。
映像が出た。
粗かった。驚くほど粗い。QVGA。320×240ピクセル。スマホの画面で見慣れた映像とは別物だ。フレームレートも低い。15fps。動きがカクカクしている。色もくすんでいる。二十年前のガラケーのカメラは、こういう映像を撮る。
でも映っている。
人が映っている。
女の子だった。
カメラを自分に向けている。自撮り。画面いっぱいに顔が映っている。距離の取り方がわかっていない。鼻と口がアップで、おでこが見切れている。二十年前のガラケーにはインカメラなんかないから、背面カメラを自分に向けて、画面を見ないで撮っている。構図がめちゃくちゃだ。
でも笑っていた。
笑顔だった。目が細くなって、頬が持ち上がって、歯が見えている。くすんだ映像の中で、笑顔だけが鮮明だった。
声が出た。
スピーカーから。ガラケーの、小さな、割れた、スピーカーから。
「えっと、今日は——」
日本語だった。
当然だ。サキは日本人だ。でもこの世界に来てから、日本語を聞いたのは自分の声だけだった。自分以外の日本語が、この小さなスピーカーから流れている。
若い声だった。高校生か、大学生か。アカリと同じくらいの年齢。声が弾んでいる。嬉しそうに。
「今日はバルトロメイさんに剣の持ち方を教えてもらった!」
カメラがぶれた。サキが身振りで何かを示そうとしている。剣を振る真似だろう。映像がガクガク揺れて、空と木と地面が入り混じる。
「全然できなかった。もう全っ然。構えが違うって五回言われた。五回だよ五回。あと足の幅が狭いって。踏み込みが浅いって。グリップが——」
笑い声。自分で言って自分で笑っている。
「笑われた。めっちゃ笑われた。バルトロメイさん普段あんまり笑わないのに、あたしの構え見て、ぷって。大人がぷってなるのずるくない?」
映像が安定した。サキがカメラを地面に置いたらしい。画角が低い。見上げるアングルで、サキの全身が映っている。
旅装束。アカリのものと似ている。でも聖具は持っていない。代わりに——腰に小さな工具袋がぶら下がっている。ペンチの柄が見えている。
「でもなんか楽しい。剣なんか持ったことないし、振り方とか全然わかんないし、でもバルトロメイさんが教えてくれるの、なんか——うん。楽しい」
声のトーンが少し落ちた。楽しいと言いながら、声が柔らかくなった。
「あの人、怖い顔してるけど、教え方は丁寧なんだよね。同じこと何回聞いても怒らないの。五回同じこと言っても、六回目も同じ声で言ってくれるの。そういう人なんだなって」
映像の中のサキが、少しだけ横を向いた。画面の外の誰かを見ている。誰かは映っていない。でも視線の先に、誰がいるかは——わかった。
「あ、やば。バルトロメイさん来た。切る切る。ばいばーい」
手が伸びてきて、画面が暗くなった。
動画が終わった。
三十七秒。たった三十七秒の動画。
スピーカーからの音が消えて、街道の風の音が戻ってきた。鳥の声。草の音。現実の音。でもアカリの耳には、まだサキの声が残っていた。「ばいばーい」が残っていた。
バルトロメイを見た。
泣いていた。
声を出さずに泣いていた。大きな体が縮んで、肩が震えて、顔が歪んで、涙が顎から落ちて地面に染みを作っていた。両手が膝の上で握りしめられていて、拳の甲の血管が浮いている。
二十年間、この声を聞いていなかった。二十年間、この笑顔を見ていなかった。画面は真っ暗で、中に何が残っているかも知らなかった。
三十七秒。たった三十七秒で、二十年が崩れた。
「……サキ」
バルトロメイの唇から、名前が漏れた。声になっていなかった。唇の形だけで、名前を呼んでいた。
レオンが横で立ち尽くしていた。師匠の涙を見ているのは、たぶん初めてだ。この人の知っている師匠は、泣かない人のはず。どうしていいかわからない顔をしていた。
イレーネは動かなかった。微笑みはなかった。ただ立っていた。手にペンも羊皮紙もなかった。記録していなかった。この瞬間だけは、記録していなかった。
アカリの左手が震えていた。銅線を押さえている手。離したら画面が消える。まだ二本残っている。あと二本、サキが残したものがある。
モバイルバッテリーのインジケーター。残りLED一つ。点滅し始めている。
時間がない。でもバルトロメイの涙が止まるのを待ちたかった。待つべきだと思った。
三十七秒の動画のために、この人は二十年泣けなかった。
少しくらい、待ってもいい。




