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第23話「銅線のケーブル」

 街道脇の木の下に、全員で腰を下ろした。


 アカリの膝の上に、ガラケーがある。両手で包み込むように持っている。まだ温かい。バルトロメイの体温が、少しずつ冷めていく。


 「……この中に、何か残ってるかもしれない」


 独り言のように言った。バルトロメイが顔を上げた。


 「残っている?」


 「データ。写真とか、動画とか。サキさんが、この端末に残したもの」


 バルトロメイの息が止まった。見えた。喉仏が動いた。飲み込んだ。二十年間、この端末の中を見ることができなかった男が、その可能性を飲み込もうとしている。


 「しかし、動かぬのだ。もう何年も前から」


 「バッテリーが死んでるだけかもしれない。基板が無事なら、外から電気を流せば起きる可能性がある」


 可能性。確信じゃない。二十年前のリチウムイオン電池は完全に劣化しているだろう。でも基板上のフラッシュメモリは、電源がなくてもデータを保持できる。電気さえ流せば——。


 バックパックを開けた。工具ポーチ。ニッパー。精密ドライバー。銅線のリール。そしてモバイルバッテリー。


 モバイルバッテリーを取り出した。白い筐体。残量インジケーター、LED三つ点灯。約75%。


 これを使う。これを使って、ガラケーに直接給電する。


 問題は接続だ。モバイルバッテリーのUSB出力と、ガラケーの充電端子は規格が違う。二十年前の端末には当然USBタイプCなんかない。独自規格の充電端子。


 ケーブルを自作するしかない。


 まずモバイルバッテリーのUSBケーブル。被覆をニッパーで剥く。きん、と小さな音がする。銅線が四本。赤、黒、白、緑。必要なのは赤と黒。電源のプラスとマイナス。白と緑はデータ線だから今は要らない。


 赤と黒の銅線の先端を五ミリ剥く。細い。髪の毛よりは太いけど、指先が正確じゃないと切ってしまう。息を止めた。ニッパーの刃を被覆にだけ当てる。くるりと回す。被覆が剥ける。銅色の芯線が露出する。


 次にガラケー。背面パネルを外す。精密ドライバー。ネジが——ない。ツメで留まっている。爪を差し込んで、こじ開ける。パキ、と嫌な音がした。プラスチックの爪が一本折れた。


 「……ごめん」


 サキの端末を壊してしまった。でも中を見るにはこうするしかない。


 背面パネルが外れた。バッテリーが見える。膨らんでいる。リチウムイオン電池が経年劣化で膨張している。やっぱり死んでいる。


 バッテリーを外す。その下に基板がある。充電端子からバッテリーに繋がる接点が二つ。プラスとマイナス。ここに直接、銅線を当てればいい。


 銅線の先端を接点に合わせる。赤をプラスに。黒をマイナスに。位置を微調整する。指先が震えている。焚き火の前で配線を直したときと同じだ。震えているけど、指は動く。


 「……電圧が合うかわからない。USBは5ボルト。この端末の定格はたぶん3.7ボルト。高すぎる。基板が焼けるかもしれない」


 声に出した。自分に言い聞かせている。リスクを整理している。


 「でも、やるしかない」


 レオンが横で見ている。イレーネが後ろで見ている。バルトロメイが正面で見ている。三人とも、何をしているか理解していないだろう。ニッパーも銅線も、この世界にはない道具だ。


 でも誰も口を挟まない。アカリの指先を、黙って見ている。


 銅線を接点に押し当てた。


 何も起きなかった。


 一秒。二秒。三秒。


 かすかに、匂いがした。金属が熱を持つ匂い。オゾンに似た、鼻の奥がぴりっとする匂い。通電している。電気が流れている。


 五秒。


 十秒。


 ガラケーの液晶画面が——。


 光った。


 薄い光。弱い光。二十年間真っ暗だった画面に、青白い光が灯った。


 メーカーのロゴが表示される。見覚えのあるロゴ。日本のメーカーだ。白い文字が、ぼやけた液晶の上でゆっくり浮かび上がる。起動シーケンス。


 バルトロメイが息を呑んだ。


 聞こえた。老人の喉が鳴る音。二十年間見ることのできなかった光が、目の前で灯っている。その光を見る老人の目が、篝火を見つめる目とは全く違う色をしていた。


 レオンが硬直している。微動だにしない。何が起きているか理解していない。でも師匠の顔を見て、これが尋常なことではないと悟っている。


 イレーネが目を見開いていた。微笑みが消えている。今日二度目。この人の微笑みが消えるのは、想定外のことが起きたとき。


 画面が切り替わった。待ち受け画面。


 壁紙は——花だった。紫色の花。背面パネルに挟まれていた押し花と、同じ花。


 画面の右上に、電池マークが点滅している。残量ほぼゼロ。外部からの給電だけで動いている。銅線を離したら、また死ぬ。


 「……起きた。起きたよ」


 声が震えた。自分のものじゃないみたいな声。


 バルトロメイが膝から崩れた。


 地面に両手をついた。大きな体が縮んでいる。肩が震えている。声は出ていない。声を出す余裕がないのだ。


 アカリは銅線を押さえたまま動けなかった。手を離せない。離したら画面が消える。二十年ぶりの光が消える。


 モバイルバッテリーのインジケーターが目に入った。


 LED三つだったのが、二つになっていた。


 ……減ってる。速い。自作ケーブルの抵抗損失と、旧式端末の充電効率の悪さ。電気が熱になって逃げている。銅線を触っている指先が、じわりと熱い。


 急がなきゃ。この画面が生きている間に、中のデータを確認しなきゃ。


 左手で銅線を固定したまま、右手の親指でガラケーの十字キーを操作した。メニュー画面。アイコンが並んでいる。二十年前のUIデザイン。懐かしさとかそういう感傷は後だ。


 データフォルダを開く。


 miniSDカードが入っていた。認識されている。フォルダの中に——動画ファイル。三つ。


 三つの動画。サキが残したもの。


 モバイルバッテリーのインジケーターが、また一つ消えた。残り一つ。


 時間がない。

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