第20話「偽りの安心」
篝火が小さくなった頃、村人の家に泊めてもらった。
石造りの小さな部屋。藁の寝台。毛布。天井が低い。でも屋根がある。壁がある。森の中で地面に寝たことを思えば、天国みたいだ。
ティックは枕元で丸くなっている。もう寝息を立てている。レオンは隣の部屋。イレーネは向かいの部屋。壁越しに、かすかにペンの音が聞こえる。まだ書いている。この人はいつ寝るんだろう。
毛布にくるまって、スマホを取り出した。
55%。
今朝は68%だった。一日で13%。収束光がごっそり持っていった。このペースが続いたら、あと四回戦闘したら空になる。四回。魔王城までにあと何回戦いがあるかもわからないのに。
……やばい。本気でやばい。
バックパックを引き寄せた。底を漁る。指先に硬い四角い感触が当たった。引っ張り出す。
モバイルバッテリー。
白い筐体。10000mAh。コスプレイベントでスマホとLEDの電源が切れないように、いつもバックパックに入れている。USBケーブルも一緒に巻いてある。
これがあったことを、ずっと忘れていたわけじゃない。最初の夜に荷物を確認したとき、あるのは知っていた。でも使わなかった。温存していた。最後の切り札だと思って。
今が、その「最後」なのかはわからない。でも55%は怖い。半分を切りそうだ。半分を切ったら、精神的に持たない気がする。
ケーブルをスマホに挿した。
画面に稲妻マーク。充電中。
それだけで、体の力が抜けた。充電されている。増えている。減るだけだった数字が、増えている。
寝台に仰向けになった。スマホを胸の上に置いて、天井を見る。石の天井。影が揺れている。窓の外の篝火の残り火が、ガラスを通して部屋に入ってきている。
五分待って、画面を見た。62%。
十分後。71%。
二十分後。80%。
——80%だ。
息を吐いた。長い息。80%。この世界に来た最初の夜が87%だった。それに近い数字。まだやれる。まだ戦える。
ケーブルを抜いた。80%以上充電しても、バッテリーの寿命を縮めるだけだ。この世界にバッテリー交換サービスはない。
モバイルバッテリーの残量インジケーターを確認した。LED四つのうち、三つが点灯。残り約75%。
まだ余裕がある。
まだ、ある。
……大丈夫。大丈夫だよね。80%あれば、しばらくは持つ。モバイルバッテリーもまだ75%残ってる。合わせれば——計算はやめた。計算すると、また数字に追い詰められる。
スマホをポケットに戻した。モバイルバッテリーをバックパックの底に戻した。毛布を顎まで引き上げた。
80%。偽りかもしれない安心。でも今夜は、この数字にすがって眠りたかった。
◇
深夜。
向かいの部屋で、蝋燭が一本灯っていた。
イレーネは机に向かっていた。羊皮紙。ペン。インク壺。蝋燭の炎が揺れるたびに、影が壁の上で伸び縮みする。
筆跡は乱れない。一文字一文字、等間隔。行間も均等。いつもと同じ。いつもと同じはずだった。
——「聖女は光る板を操り、光を収束させて浄化を行った」
ペンが進む。
——「歯車型の聖具を光源の前に配置し、光を一点に集中させる手法。手順は体系的。再現可能に見える」
ペンが止まった。
インクが滴る前に、ペン先を持ち上げた。羊皮紙の上に、小さなインクの点が一つ落ちた。
——「奇跡ではなく」
続きが出てこなかった。
技術。その二文字を書けば、報告書は完成する。奇跡ではなく、技術。聖女の光は神の恩寵ではなく、道具の機能である。それを書けば——。
あの子は、終わる。
偽りの聖女。聖女の資格を持たない召喚者。教団にとっては最悪の結論。報告書がグレゴリウスの元に届けば、処分は免れない。
ペンを置いた。
窓の外を見た。篝火の残り火が、まだ赤く光っている。広場には誰もいない。村人たちは眠っている。水が戻った安堵の中で。
あの子が救った村。あの子の光で。奇跡ではない光で。技術で。道具で。レプリカの聖具と、光る板と、赤い蓋の小さな壺で。
それでも、村は救われた。
ペンを取り直した。
——「奇跡ではなく……光の性質を巧みに用いた聖術と推察される。術式は前例のない独自体系であり、さらなる観察を要す」
聖術。技術ではなく、聖術と書いた。一文字の違い。しかしその一文字が、報告書の結論を変える。独自体系の聖術であれば、聖女の資格は否定されない。「さらなる観察を要す」——結論の先送り。
嘘を書いたのではない。嘘は書いていない。判断を保留しただけだ。
蝋燭の炎が揺れた。
イレーネの唇が、わずかに動いた。微笑みではない。もっと小さな、名前のない表情。自分が何をしたのか、わかっている顔。
すぐに消えた。
ペンが動き出す。筆跡は乱れない。一文字一文字、等間隔。行間も均等。
報告書は朝までに完成した。




