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第17話「収束光」

 井戸の前に立った。


 ステッキを右手に。スマホを左手に。68%。フラッシュライトを起動する。白い光が井戸の中を照らした。


 紫色の水面が光を受けて、ぬらりと反射する。粘液の膜がまた膨らんだ。呼吸している。こっちを見ている気がする。目なんかないのに。


 「……いくよ」


 誰に言ったかわからない。自分にかもしれない。


 ステッキのストロボモードを起動した。ばちばちばち。白い点滅光が井戸の中に降り注ぐ。影狼を散らした光。あのときは一瞬で効いた。


 粘液の表面が、わずかに波立った。


 それだけだった。


 蒸発しない。散らない。膜が揺れただけで、紫色はそのまま。粘液の中の粒子も、動きが少し鈍くなっただけで、止まらない。


 「……効かない?」


 ストロボを続ける。十秒。二十秒。粘液が揺れている。揺れているだけ。嫌がってはいる。でも死なない。


 バッテリーが目に入った。67%。もう1%使った。


 ストロボを止めた。


 「散光じゃダメだ……」


 声に出して考える。癖だ。手を動かしながら考えるのと同じで、声に出すと頭が整理される。


 影狼は靄が薄かった。光を直接浴びせれば、靄が蒸発して本体が露出した。でもこの粘液は水に溶けている。水ごと光を浴びても、光が分散して届かない。懐中電灯でプールを照らしても底が見えないのと同じだ。


 光を、一点に集めないと。


 ……収束光。


 頭の中で、工業高校の光学実験が起動した。二年の前期。凸レンズによる光の収束。太陽光をレンズで一点に集めて、紙を焦がす実験。小学生の理科でもやる、あれだ。


 レンズがあれば、フラッシュライトの光を一点に集中できる。散光じゃなくて、ピンポイントで当てられる。虫眼鏡で紙を焼くのと同じ原理。


 レンズ。レンズなんか持ってない。メガネは近視用だから凹レンズだ。凹レンズは光を発散させる。逆効果。


 何か、凸レンズの代わりになるもの——。


 ステッキを見た。


 歯車の装飾。アイアン・ベルのシンボルマーク。直径三センチくらいの、透明樹脂製の歯車。中に金色のラメが封入されていて、光を当てるとキラキラする。コスプレ用の安い装飾品。


 でも透明樹脂だ。厚みがある。中心が周辺より厚い。形状的には——凸レンズに近い。


 完璧な凸レンズじゃない。歯車型だから縁がギザギザしている。収差もひどいだろう。光学的にはめちゃくちゃだ。でも光を「一点に集める」だけなら、完璧である必要はない。焦点がぼやけていても、散光よりは遥かにマシ。


 ステッキの先端から歯車パーツを外した。ポーチから精密ドライバーを取り出す。小さなネジ二本。手が震えている。震えているけど、ネジは回せる。外れた。


 スマホのフラッシュライトの前に、歯車パーツを構える。位置を調整する。光の筋が歯車を通過して——壁に丸い光の点が映った。


 散っていた光が、一点に集まっている。ぼやけてはいるけど、確実に収束している。


 「……いける」


 井戸の縁に膝をつく。スマホのフラッシュライトを最大。その前に歯車パーツ。収束した光を、紫色の水面に向ける。


 光の点が粘液に当たった。


 じゅっ、という音がした。


 粘液が蒸発した。光が当たった一点だけ、紫が消えて透明な水に戻っている。直径二センチくらいの穴。小さい。でも確実に効いている。


 「効いた!」


 声が裏返った。自分の声なのに、お披露目のときの少年みたいな声だった。


 光を動かす。少しずつ。一点ずつ。粘液が蒸発していく。焦がす、という表現が正しい。光で粘液を焦がしている。白い蒸気が立ち上る。甘い匂いが強くなった。蒸発した粘液の匂い。気持ち悪い。


 でも効いている。紫が、少しずつ薄くなっていく。


 三分。


 バッテリーを見た。


 63%。


 三分で5%。


 井戸の中を見る。表面近くの粘液は蒸発した。でも水面の下には、まだたっぷり残っている。深い。粘液は井戸の底まで沈んでいる。全部蒸発させるには——。


 計算が回る。このペースだと全部消すのに二十分以上。バッテリー消費は30%以上。63%から30%引いたら33%。残り33%で魔王城まで行けるわけがない。


 「……全部は、無理だ」


 手が止まった。光を当て続けたい。村人の顔が浮かぶ。土気色の頬。ひび割れた唇。子供の目。でも全部蒸発させたら、バッテリーが死ぬ。バッテリーが死んだら、LED が使えない。LEDが使えなかったら、次の戦いで——。


 全部を救うか、全部を捨てるかじゃない。どこで止めるか。何を残すか。


 「……核を探す」


 声に出した。考えが固まる。


 さっきスマホのカメラで見た。粘液の中の粒子は規則的に動いていた。一方向に流れていた。何かに引き寄せられるように。それが核だ。粒子が集まっている中心。本体。そこだけを焼けば、全部蒸発させなくても——。


 レオンが横に立っていた。いつから見ていたかわからない。


 「核というのは」


 「このヌルヌルの、本体みたいなもの。心臓みたいな。そこを焼けば全体が死ぬ……たぶん」


 「たぶん、か」


 「……たぶん」


 レオンが短く息を吐いた。笑ったのか、呆れたのか。


 「やれ」


 一語。でもこの一語が、今は心強かった。

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