第14話「借り物の勇気」
鳥の声で目が覚めた。
知らない鳥だ。日本では聞いたことのない、高くて短い囀り。まだ暗い。空の端だけが白み始めている。焚き火は熾火になっていた。赤い炭が、灰の中でかすかに光っている。
体が痛い。背中が痛い。石と根っこの上で寝たせいだ。寝袋なんてないから、旅装束の上にマントを一枚かけただけ。イレーネが貸してくれた修道服の予備。あったかいけど、地面が硬い。
体を起こす。首を回す。ごきごき鳴る。十七歳の首が鳴っていいのかこれ。
ティックはまだ寝ている。苔の上で丸くなって、翅が朝露に濡れている。光の粉が露と混ざって、苔の上に金色の雫を作っていた。きれいだ。こういうの見ると、異世界もそんなに悪くないかもしれない、と一瞬だけ思う。一瞬だけ。
イレーネが焚き火の横で何かを煮ていた。小さな鍋。湯気。干し肉を煮たスープだろう。昨日と同じ匂い。アジシオを振ったら美味しくなる。
レオンは——。
いなかった。焚き火の向こう、昨夜座っていた木の根元に剣だけが立てかけてある。
周囲を見回す。森の薄明かり。木々の間を、灰色の影が動いていた。
レオンだ。
木と木の間を歩いている。巡回だ。夜通し見張りをして、朝も周囲の安全を確認している。いつ寝たんだろう。寝てないのかもしれない。
その口元が、動いていた。
何か喋っている? 違う。独り言でもない。口の動き方が違う。もっとリズムがある。上がって、下がって、また上がる。同じパターンが繰り返される。
——歌ってる?
耳を澄ました。朝の森は静かだ。鳥の声の合間に、かすかに聞こえる。
低い声。ほとんど息だけの、ハミング。
メロディーに聞き覚えがあった。というか、昨夜ずっと流していた曲だ。アイアン・ベルのオープニングテーマ。Aメロの、あの上がっていくところ。
レオンが、アニソンをハミングしている。
えっ。
ええっ。
固まった。寝袋——じゃなくてマントの中で固まった。見てはいけないものを見てしまった気がする。あの仏頂面の、「斬る」「出る」の、剣の柄に手を添える癖のある騎士が、朝の巡回中にアニソンをハミングしている。
レオンが振り返った。
目が合った。
ハミングが止まった。
朝の森に、沈黙が落ちた。鳥だけが囀っている。
レオンの顔が——変わった。いつもの仏頂面に、何か別の色が混ざっている。耳の先が赤い。朝日のせいかもしれない。朝日のせいだと思いたいんだろうな、この人は。
「……何だ」
声がいつもより低い。低くしている。意図的に。
「い、いや、何でもない。何にも聞いてない。全然聞いてない」
嘘だ。全部聞いた。Aメロの上がるところまで完璧だった。一晩で覚えたの? 耳良すぎない?
ティックが苔の上でもぞもぞ動いた。翅を広げて、大きな欠伸をした。
「んー……おはよー。あれー、なんかいい音聞こえてたよー。レオンの声?」
レオンが黙った。
「あはは、覚えちゃったんだー。昨日のやつー。ティックも好きだよー、あの音ー」
レオンの耳が、確実に赤かった。朝日のせいじゃない。
「……飯にするぞ」
話を終わらせた。力業で。踵を返して焚き火のほうに歩いていく。背中が、いつもより少しだけ硬い。
アカリは口元を手で押さえていた。笑いをこらえている。こらえきれていない。肩が震えている。
——ベル。ベルのオープニング曲、この世界の騎士に覚えられちゃったよ。
ベルが聞いたらなんて言うだろう。たぶん笑う。アニメの第八話で、ギアに「あんたの歌は音痴」って言われて、「音痴でも歌うの! 歌わないよりマシ!」って叫んでたベル。
レオンのハミングは、音痴じゃなかった。むしろ上手かった。悔しいくらい。
焚き火の前に座る。イレーネがスープを渡してくれた。アジシオを振る。一口飲む。温かい。
レオンが向かいに座った。スープを受け取り、無言で飲んでいる。目を合わせない。こっちを見ない。耳だけがまだ赤い。
……ねえベル。私、ベルの台詞を借りて叫んで、ベルの歌を流して、ベルのコスプレで聖女やってる。全部借り物だ。でもその借り物が、この人の口からメロディーになって出てきた。
それって、もう借り物じゃないのかな。
わかんない。わかんないけど、スープが美味しい。朝の森の空気が冷たくて、気持ちいい。レオンの耳がまだ赤い。ティックが「もっとあの音聞きたいー」とねだっている。レオンが黙殺している。
悪くない朝だった。




