第11話「ストロボ」
夕暮れが早かった。
森の中は昼でも薄暗かったのに、日が傾き始めたら一気に闇が落ちてきた。木漏れ日が消える。幹と幹の隙間が黒く塗りつぶされていく。足元の根っこが見えなくなって、何度もつまずきそうになる。
ティックがアカリの襟元に潜り込んだ。翅の震えが首筋に伝わる。
「……ティック、震えてるよ」
「震えてないよー。ちょっとぴりぴりするだけだよー」
震えてる。明らかに震えてる。
レオンの足が止まった。
剣を抜いた。金属が鞘を擦る、短く鋭い音。アカリの心臓が跳ねた。
「下がれ」
低い声。振り返らない。レオンの視線は前方——茂みの奥の闇に向いている。
何も見えない。メガネ越しに目を凝らす。暗い。木の影。草の影。どこに何がいるかわからない——。
光った。
赤い光。二つ。並んでいる。目だ。
もう二つ。右側にも。左側にも。赤い目が、闇の中に次々と灯る。四対。六対。八対——数えきれない。
黒い靄が地面を這っていた。煙じゃない。もっと重い。もっと冷たい。靄の中から、輪郭が浮かび上がる。四本の脚。尖った耳。牙。狼だ。でも普通の狼じゃない。体の周りに黒い靄がまとわりついて、体の輪郭がぐにゃぐにゃ歪んでいる。
影狼。この森にいると言っていた。
レオンが踏み込んだ。
剣が弧を描く。先頭の影狼に振り下ろされた——刃が靄に触れた瞬間、ぐにゃりと逸れた。斬れていない。刃が靄を通過して、狼の体に届かない。
「……っ」
レオンが舌打ちする。初めて聞いた。もう一撃。横薙ぎ。また靄に弾かれる。三撃目。同じ。剣が通らない。
狼が跳んだ。レオンが体を捻って躱す。二頭目が横から迫る。蹴り飛ばす。三頭目がイレーネの馬に向かう。馬が嘶く。イレーネが手綱を引いて馬を制御しながら、もう片方の手で短剣を抜いた。この人、短剣使えるの。
でも短剣も靄に弾かれた。
囲まれている。
赤い目が、じりじりと距離を詰めてくる。靄が足元まで這い寄ってきている。冷たい。空気が冷たい。指先が痺れる。
——やばい。やばいやばいやばい。
背中がバックパックに当たった。逃げ場がない。木を背にして座り込んでいる。いつ座ったかわからない。膝が動かない。
レオンが血を流していた。右腕。靄ごと体当たりされたらしい。それでも剣を構え続けている。一対多。押されている。
——考えろ。考えろ。ベルならどうする。
ベル。アニメの第二話。影の魔獣。黒い靄を纏った敵。ベルはどうやって倒した?
——光だ。
影の魔獣は光に弱い。靄は光で散る。ベルはステッキの光で靄を剥がして、その隙に殴った。
ステッキ。私のステッキ。バックパックの横に括りつけてある。
手を伸ばした。指が歯車の装飾に触れる。握る。引き抜く。
グリップのスイッチを手探りで確認する。LED三色切り替え。フラッシュモード。そして——ストロボモード。
親指でスイッチを入れた。
白い光が炸裂した。
ばちばちばちばち。一秒間に何十回という点滅。暗闇に慣れた目には刃物みたいに痛い光。影狼が悲鳴を上げた。聞いたことのない声。甲高くて、痛くて、悲しい声。靄が光に触れた部分から蒸発していく。
効いてる。
左手でスマホを引っ張り出した。78%。いや今はパーセントのことは考えない。フラッシュライトを起動。最大輝度。ステッキのストロボと合わせて二方向から光を浴びせる。
「ティック!」
襟元から顔を出したティックが、目を見開いた。
「光! ティック、光の粉出して! いっぱい!」
「——っ! わかったー!」
ティックが飛び出した。翅を全力で振るう。金色の粉が舞い散る。光の粉がストロボの白とフラッシュの白に反射して、森の中に黄金の吹雪が起きた。
三方向からの光。
影狼たちが散った。靄が剥がれ、裸の灰色の体が露わになり、目の赤い光が消える。一頭、二頭、三頭と茂みに逃げ込んでいく。残った数頭が足をもつれさせて倒れた。靄が体から離れて、地面で黒い染みになって消えた。
静かになった。
ステッキの光が、ばちばちと明滅を続けている。指が固まって、スイッチを切れない。スマホのフラッシュも点いたまま。ティックの光の粉が、ゆっくりと地面に降り積もっている。
森の闇の中に、三色の光だけが残っていた。
レオンが振り返った。
剣を下ろしたまま。血の滴る右腕をぶら下げたまま。こっちを見ている。
その顔に浮かんでいたのは——驚き、だった。口がわずかに開いている。灰色の目が見開かれている。この人のこんな顔、初めて見た。
「……剣も魔術も使わず、獣を退けた」
低い声。でもさっきまでの「斬る」「出る」の声と違う。かすかに、ほんのかすかに、揺れている。
「俺の知る戦い方ではない」
……そりゃそうだよ。LEDのストロボだもん。
でもそれは言えなかった。言ったら全部、壊れる気がした。
震える手でステッキのスイッチを切った。スマホのフラッシュを消した。
森が、また暗くなった。




