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第10話「黒い森」

 半日も馬に揺られると、お尻の感覚がなくなった。


 街道は草原の中を真っすぐ伸びている。左右に畑。遠くに小さな集落。時おり荷車とすれ違う。すれ違う人たちがアカリを見て、一瞬だけ目を見開いて、膝をつこうとする。そのたびにイレーネが「お通りくださいませ」と微笑んで手で制する。


 聖女が通るって、こういうことなんだ。なんか申し訳ない。ただの工業高校二年生なのに。


 午後になって馬を降りた。ここからは徒歩のほうが安全だとレオンが言った。理由は聞かなかった。聞いても「……ああ」しか返ってこないのは、もうわかってる。


 ティックが先行して飛んでいく。くるくる旋回しながら戻ってきて、またくるくる飛んでいく。偵察というより遊んでいる。


 「この道まっすぐ行くと黒い森だよー」


 「黒い森?」


 「うん! 木がいっぱいあるよー。きのこも生えてるよー。狼もいるよー」


 「……狼」


 「たまに人食べるよー」


 「それ最初に言ってよ!」


 ティックはけらけら笑って飛んでいった。この子に危機感という概念はないらしい。


 レオンが前を歩いている。歩幅が大きい。ついていくだけで小走りになる。背中は一枚の壁みたいだ。話しかけていいのか、いけないのか、わからない。


 「あの……レオン」


 「……何だ」


 「黒い森って、どのくらいで抜けられるの?」


 「……二日」


 「二日……。あの、その、狼って本当に出るの?」


 「出る」


 「出たらどうするの?」


 「斬る」


 会話が終わった。一問一答。しかも答えが全部一語。もうちょっとこう、なんか、ないの。


 イレーネが後ろから微笑んでいる。たぶん聞いている。たぶん何か書く。もういい。好きにして。


 街道が森に吸い込まれていく。


 木々が頭上を覆った瞬間、空気が変わった。冷たくなった。湿度が上がる。日差しが遮られて、まだ午後なのに薄暗い。足元の土が柔らかくなって、苔の匂いが鼻をつく。鳥の声。虫の羽音。でもどこか、静かすぎる。


 黒い森。名前の通りだった。木の幹が暗い色をしている。樹皮に苔が張りついて、それが黒く見える。見上げると、枝が絡み合って空を塞いでいる。木漏れ日がところどころ落ちているけど、それが逆に周りの暗さを際立たせていた。


 ティックが速度を落とした。さっきまでくるくる飛び回っていたのに、今はアカリの肩の近くに浮いている。翅の動きがいつもより速い。


 「……ティック? どうしたの?」


 「んー……なんかね、空気がぴりぴりするー」


 ティックが首を縮める。この子が大人しくなるのは、初めて見た。


 レオンの手が剣の柄に置かれた。さりげなく。でも指の位置が変わった。いつでも抜けるようにしている。


 怖い。普通に怖い。


 足元の根っこに引っかかった。


 つんのめる。バックパックの重さで前に傾く。地面が近づく——。


 横から腕が伸びた。


 レオンの手だった。アカリの腕を掴んでいる。革手袋越しでも、握力がわかる。一瞬で引き戻された。足が地面に着く。


 目が合った。


 レオンの表情が固まっていた。自分がやったことに、自分で驚いているみたいな顔。


 手が離れた。ぱっと。まるで熱いものに触ったみたいに。


 「……足元を見ろ」


 それだけ言って、前を向いた。歩幅が少し狭くなった。気のせいかもしれない。でもさっきより、ほんの少しだけ歩きやすい。


 スマホを取り出した。なんとなく。画面の明るさを最低にしてあるから、暗い森の中では自分にしか見えないはず。78%。変わっていない。でも確認しないと落ち着かない。癖だ。


 ポケットに戻そうとしたとき、背中に視線を感じた。


 イレーネだ。馬の手綱を引きながら、アカリの手元を見ていた。光る板を。あの微笑みのまま。


 ……うん。知ってた。見られてるの、知ってた。


 森の奥から、かすかに何かの遠吠えが聞こえた。

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