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第1話「87%」

ホームの蛍光灯が、白い光を撒いている。


 年末の二十一時過ぎ。地元の人影はまばらだった。コンクリートの継ぎ目から冷たい風が吹き上げ、無造作にまとめた一つ結びを揺らす。


 黒縁のメガネ。色褪せたグレーのパーカー。その上から背負ったバックパックが肩に食い込んでいる。中身は装甲板と、LEDユニットと、配線済みのバッテリーボックス。右手には銀色のステッキ。歯車とクリスタルの装飾が蛍光灯を反射していた。左手はスーツケースのハンドル。


 全部、『アイアン・ベル』のコスプレ道具だ。


 魔法少女アイアン・ベル。変身して敵と戦い、泣いている人の隣に立つ少女の物語。主人公のベルは変身前は冴えない女子高生で、運動も苦手で、友達も少なくて——でも工作だけは誰にも負けなかった。自分の手で変身用の装備を組み上げる魔法少女。半田ごてを握って回路を組む、あのシーンを見た瞬間、あ、私だ、と思った。私だけのヒーローだ、と。


 コスプレイベント帰りの工業高校二年生。足が重い。朝十時から立ちっぱなしだった。


 スマホの画面が、顔を青白く照らしている。SNSの通知。今日のイベントで投稿した『アイアン・ベル』のコスプレ写真へのコメント。


 ——「衣装の完成度えぐい! LED配線マジで光ってるやん」


 唇がわずかに緩む。


 ——「自作ってマジ? すごすぎ」


 三ヶ月かけて縫った衣装。LED配線だけで四十時間。半田ごての火傷が左手の人差し指にまだ残っている。


 三件目。親指がスクロールする。


 ——「衣装すごいのに着てる人が地味すぎて草」


 親指が止まった。さっきとは違う止まり方だった。


 画面の中の自分を見る。メガネ。すっぴん。一つ結び。隣のレイヤーさんはカラコンにウィッグまで完璧に仕上げて、銀髪碧眼のベルそのものになりきっていた。美しく、凛々しく、強そうで。アカリの衣装は「すごい」と言われた。でもアカリ自身は——。


 スマホをポケットに突っ込む。画面が暗転する寸前、右上の数字が目に入った。


 87%。


 「……充電しとけばよかった」


 スーツケースの重心がずれた。ほんの一瞬の出来事だった。


 キャスターが点字ブロックに引っかかる。左手がハンドルから滑った。バックパックが背中で揺れて、重心を持っていく。メガネがずれる。視界が歪んだ。


 足の下から、コンクリートの感触が消える。


 87%のスマホが、身体と一緒に落ちていく——。


          ◇


 光。


 大量の光が目を灼いた。


 背中に冷たい石の感触。硬い。ホームのコンクリートとは違う。もっとざらつく、もっと古い——。


 目を開ける。天井が高い。石造りのアーチ。ステンドグラスから差し込む光の筋が、埃を金色に染めている。空気が違う。湿っていて、蝋燭の煤の匂いがする。


 身体を起こす。メガネは無事だった。


 ローブを着た人間たちが、円を描いて立っている。全員がこちらを見ていた。口元が動く。聞いたことのない言葉。ドイツ語に似ている。でも違う。


 一人が膝をつく。二人目が続く。三人目。四人目。全員が膝をついた。


 石の床に額を押しつけ、声を揃えて叫ぶ。


 「——リヒト・ハイリゲ!」


 聖女。なぜかその意味だけが、頭に流れ込んできた。


 心臓がうるさい。手のひらに汗が滲む。バックパックが背中にある。ステッキを握った右手が震えている。スーツケースは——ない。ホームに残った。三ヶ月かけた衣装が入ったまま。


 頭が真っ白になりかけた。でもその真ん中に、一つだけ残っている声があった。


 ——ベルなら、ここでどうする?


 アニメの第一話。知らない場所に放り込まれたベルが最初にやったこと。泣かなかった。怯えなかった。周囲を観察して、自分に何ができるかを確認した。怖くても、まず立った。


 ポケットのスマホに手を伸ばす。画面を点ける。87%。圏外の二文字。


 跪くローブの一人が顔を上げた。老人だ。白い法衣。額に汗が光っている。アカリの手元を凝視している。光る板を。


 ——光だ。この人たち、光に反応してた。


 指が勝手に動いた。フラッシュライトを点ける。


 白い光がステンドグラスの色彩と混ざり合い、石壁を虹色に染める。ローブの人々がどよめいた。


 「——おお! 聖女の光だ!」


 違う違う違う。LEDだよ。これただのLEDだから!


 でも訂正する暇はなかった。光に何かが引き寄せられてくる。宙に金色の粒子が舞い、渦を巻き、掌ほどの大きさにまとまっていく。四枚の翅。細い手足。大きな瞳がスマホの光を映して、きらきら光った。


 「きれいー! きれいー!」


 甲高い声。何だこれ。翅が四枚ある。手足がある。顔がある。スマホのLEDに頬ずりするように身体を寄せ、目を細めている。妖精——としか、呼びようがなかった。


 老人が叫んだ。


 「聖女の使い魔が応じた! 召喚は成就した!」


 石の床に響く歓声。祈りの声。涙を流している者までいる。


 ちがうって。全部ちがうよ。ただのLEDだし、この子は今初めて会ったし、私はただの工業高校二年生なの。魔法なんか使えないの。聖女じゃないの。


 口を開きかけて、閉じた。何を言えばいい。何語で言えばいい。そもそもこの状況を説明できる言葉が、どの言語にも存在しない気がした。


 メガネの奥で、まばたきを繰り返す。


 スマホの画面が、86%に変わっていた。

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