幻影の花束
【登場人物】
鷹介:本作の主人公。27歳。雑誌編集者。几帳面かつ理性的な性格だが、内面には熱い芯を持っている。
螢:ヒロイン。24歳。花を使ったイリュージョンを得意とするパフォーマー。「幻影の花束」と呼ばれるショーで注目されている。
雅人:螢の幼馴染みでマネージャー。彼女を支える一方、螢に秘めた想いを寄せている。
一条:鷹介の上司で編集長。螢のショーに目をつけ、特集記事の執筆を鷹介に任せる。
(オフィスの一角。デスクに向かっていた鷹介が、編集長の一条に呼ばれ資料を手渡される)
一条(編集長)「鷹介、次号の特集、例の『幻影の花束』を取り上げる。担当はお前だ」
鷹介「『幻影の花束』……最近話題のイリュージョンショーですね。大掛かりなトリックだと評判ですが」
一条「そう。ただ、まだ謎が多い。パフォーマーの螢についても、出自や経歴が一切公表されていない。鷹介、お前の得意の取材力で徹底的に迫ってみろ」
(鷹介は資料をざっと目を通す。そこには螢のプロフィールやショーの公演スケジュールなどが記載されている)
鷹介(心の声)「『幻影の花束』か……イリュージョンなんて胡散臭いイメージがあるけど、あの華やかさは正直興味をそそる。ま、やるしかないか」
劇場・夜
(薄暗い客席の中で、鷹介はメモ帳を手にショーを見守っている。ステージには螢が立ち、ライトの演出がきらびやかに降り注ぐ)
螢「皆さん、今宵は特別な夜にしましょう。私が咲かせる花の幻、どうぞお楽しみください」
(螢が両手を広げると、投影のようでもあり、本物の花のようでもある煌びやかな花びらが宙を舞い始める。幻想的な光の粒が漂い、客席が大きくどよめく)
鷹介(心の声)「……想像以上だ。まるで本当に花が生きているみたいだ。イリュージョンだけじゃない……何か、不思議な力でも働いているのか?」
(ショーがフィナーレを迎え、スポットライトが消えると、舞台上には螢だけが静かに立っている。客席から割れんばかりの拍手が響く)
舞台裏・ショー終了後
(螢の楽屋前。鷹介は取材のため、スタッフに案内される)
鷹介「突然失礼します、雑誌『トワイライト』の記者・月影鷹介と申します。螢さんに取材を――」
(楽屋から出てきた雅人が、慌ただしく対応する)
雅人「螢は今、体調を整えている最中です。少し待っていただけますか?」
鷹介「もちろん。あれだけ派手なパフォーマンスをした後なら、お疲れでしょうね」
雅人「すみません。……ところで、そのショー、どう感じられましたか?」
(雅人の瞳は鋭いが、そこにどこか警戒の色がある。鷹介は正直な感想を伝える)
鷹介「正直、圧倒されました。花が本当に生きているようでした。イリュージョンの枠を超えているというか……」
雅人「そうですか。……なら、あまり深入りしないほうがいいかもしれません。螢のショーは、ただの演出じゃありませんから」
(雅人が意味深な言葉を残したところで、螢が静かに楽屋から姿を現す。ステージ上の妖艶な姿とは打って変わって、白いブラウスに黒のパンツ姿という地味な服装)
螢「失礼しました。お待たせしてしまって……あ、あなたが月影さんですね。今日は取材に来てくださってありがとう」
鷹介「いえ、僕のほうこそ貴重な機会をありがとうございます」
(鷹介は螢と目を合わせる。舞台ではあれほど華やかだった彼女が、今は儚げで、しかしどこかミステリアスな雰囲気を放っている)
螢「少し外の空気を吸いたいんです。よかったら、一緒にどうですか?」
劇場外・夜風の中
(夜空を見上げながら、螢は深呼吸している。鷹介はそんな彼女を見つめつつ、取材を開始する)
鷹介「先ほどのショー、息を呑みました。あれはどうやって……」
螢「……秘密です。でも、これは嘘じゃない。私が生まれた頃から持っていた“花の幻”を操る力。どう説明していいのかわからないけど、単なるイリュージョンじゃないんです」
(螢は右手をかざし、小さな花の幻影を咲かせる。それはほんの数秒で夜空に溶けて消える)
鷹介「本当に、現実離れしている……。でも、そんな能力をどうやって身につけたんです?」
螢「生まれつき、なんですよ。両親も同じ力を持っていたらしいけど、幼い頃に亡くなってしまって……。私に残されたのは、この力だけ」
(寂しそうに微笑む螢。鷹介は彼女の強がりに気づく)
鷹介「だからこそ、あんなに多くの人を魅了するショーを? “花の幻”はあなたの大切な思い出でもあるんですね」
螢「そうかもしれない。でも、時々不安になるんです。この力を使うたびに、何か大事なものが少しずつ削れていくような、そんな感覚があって……」
(言いかけたところで、楽屋出口から雅人の声が響く)
雅人「螢、そろそろ戻ろう。夜風に当たりすぎると体に障る」
(螢は小さくうなずき、鷹介に視線を戻す)
螢「今日はありがとう。よかったら、また取材に来てください」
(鷹介は軽く会釈し、その場を後にする。しかしその胸には、ただの興味ではない、妙な胸騒ぎが芽生えていた)
雑誌編集部・翌日昼
(オフィスに戻った鷹介は、一条に初回の取材メモを渡す)
一条「なるほど……『単なるイリュージョンではない。彼女は本物の魔法を使っているようだった』、か」
鷹介「正直、記事にどうまとめるべきか悩んでいます。作り話にしか聞こえないので……」
一条「面白い。じゃあ徹底的にやれ。次の公演にも足を運ぶといい。編集部としても大きな目玉にできる可能性がある」
(鷹介は承諾し、再び劇場へ向かうことを決意するが、その表情にはどこか躊躇いがある)
鷹介(心の声)「あの力……本当に報道していいものなのか? 螢自身が危険な目に遭う可能性もあるのでは……」
劇場・公演リハーサル
(翌日、鷹介はリハーサルの様子を見学している。螢が花の幻を出そうとするが、その動作がどこかぎこちない)
螢「はぁ……はぁ……」
雅人「大丈夫か? 最近調子が悪いみたいだけど」
螢「ごめん。ちょっと休む」
(螢は顔色を悪くして、ステージのそでに座り込んでしまう。鷹介が慌てて駆け寄る)
鷹介「大丈夫ですか!? 救急車呼びましょうか?」
螢「だ、大丈夫……。少し休めば落ち着くはずだから」
(雅人が鷹介を制止し、耳打ちする)
雅人「これが彼女の“代償”なんだ。あの力を使うたびに、螢は少しずつ体を蝕まれていく。医者にも原因不明と言われていて、薬も効かない。だから、あまり騒ぎ立てないでほしい」
(衝撃を受ける鷹介。螢が苦しそうに胸を押さえている姿を見て、思わず彼女の手を取る)
鷹介「そんな……どうにかならないんですか?」
雅人「……今のところ、ショーをやめる以外に方法はない。けど螢は、この力を使ってこそ生きていると感じてるんだ。だから僕も止められない」
(鷹介は螢の手をしっかりと握りしめる)
鷹介「そんなの、辛すぎる……」
(螢は苦しげに笑いながら、微かに首を横に振る)
螢「鷹介さん……優しいね。でも、私は大丈夫。これも含めて“私の運命”だから」
(この瞬間、鷹介の胸の奥で抑えきれない感情が湧き上がる。螢を助けたいという思い。それは紛れもない恋情の始まりだった)
帰り道・夜
(劇場を出て夜道を歩く鷹介は、一人思い悩む。すると背後から足音が近づく)
螢「鷹介さん。送っていきますね」
鷹介「螢さん……。まだ体は?」
螢「もう平気。心配してくれてありがとう」
(螢が微笑むと、ほんの一瞬だけ花びらの幻が舞う。しかしすぐにかき消える)
螢「私ね、この力を使って世界に花を咲かせたいと思ってるの。でも、その代わりに体が壊れてしまうなら……正直、怖い。死ぬのが怖いわけじゃない。誰にも愛されないまま、消えてしまうのが一番怖い」
(螢の言葉に鷹介は動揺する。そのまま思わず螢の肩をつかむ)
鷹介「愛されるかどうかなんて、わからない。けど、俺は……俺はあなたのことを放っておけない。もっと知りたいんだ。あなたの力も、あなた自身のことも」
(螢は困惑しながらも、鷹介の真剣な瞳から目をそらすことができない)
螢「……鷹介さん。あなたは、私が何をしてもそばにいてくれる?」
鷹介「もちろんだ。たとえどんな危険があっても、俺はあなたを守りたい」
(螢の瞳が潤み、花の幻が二人を包み込むように舞い散る。この美しくも危うい一瞬が、二人の距離を大きく縮める)
結末
最後の公演・大ホール
(螢の公演が千秋楽を迎える夜。大ホールには満席の観客が集まっている。鷹介も観客席で見つめ、雅人は舞台袖で万一に備える)
雅人(心の声)「どうか、何事もなく終わってくれ……」
(螢がステージ中央に立つ)
螢「皆さま、ようこそいらっしゃいました。今日、私がお見せするのは最後の“花の幻”です。どうか、その儚さを胸に刻んでください」
(螢が大きく息を吸い込み、両腕を開くと、眩い光が満ち、華麗な花々の幻影が客席を埋め尽くす。観客の歓声とともに花びらが宙を漂い、ステージは幻想の世界へと変貌する)
螢「――!」
(しかし、その力がピークに達した瞬間、螢は激しく胸を押さえ、崩れ落ちそうになる)
鷹介「螢っ!」
(思わず鷹介は客席から飛び出し、ステージへ駆け上がる。動揺する会場。ステージ袖から雅人も出てくる)
雅人「やっぱり限界だったのか……!」
(螢は膝をつきながら、それでも最後の力を振り絞って立ち上がる)
螢「……大丈夫。これが私の花。……たとえ、この身が散っても、私の思いだけは残したい……」
(その言葉に鷹介は強く螢を抱きしめる)
鷹介「散る必要なんかない! 俺は……俺は、あなたがずっと笑っていられる道を探したい。だから、頼むから生きてくれ。俺が、その未来を絶対に見つけるから!」
(螢の瞳から涙がこぼれ落ちる。その一滴が光を帯び、舞台を舞う花びらと交わる。すると奇跡のように花びらたちが鷹介と螢を包み込み、その姿が客席からはまばゆい光に見える)
螢「……鷹介さん。あなたを、信じていい?」
鷹介「もちろんだ。俺は“本物の魔法”を、あなたと一緒に見つけたい」
(ステージ上の二人を見つめる雅人は、一瞬唇を噛みしめるが、そっと微笑みながら拍手を送る。やがて、会場の観客も拍手に包まれる。螢の最後のショーは、かつてない感動のフィナーレとなった)
シーン9:エピローグ・舞台袖
(公演終了後、舞台袖。スタッフに付き添われながら螢は息を整えている。鷹介がそっと寄り添う)
鷹介「どう? 痛みは?」
螢「少しあるけど……大丈夫。今までで一番、心が軽い気がする」
(螢は優しく微笑む。その隣で雅人が小さくため息をつく)
雅人「やれやれ、二人とも人騒がせな。でも、これからが本当の始まりだ。螢の体を治す方法、きっと見つかるはずだよ」
(鷹介は力強くうなずく)
鷹介「俺の雑誌編集の仕事もあるけど、螢のために使えるコネや情報は総動員するから。医療の専門家や、不思議な現象を研究してる人たちにもあたってみる」
螢「……ありがとう。本当に、ありがとう」
(螢は鷹介の手を握りしめる。そこで光が差し込むように微かに花びらが舞い、一瞬だけ二人を照らす。その花は儚いが、美しく確かに存在していた)
螢「この花が咲き続けるように、私も生き続けたい。そのために、あなたと一緒に歩みたい」
鷹介「うん。一緒に、花を咲かせよう」
(そう言葉を交わした瞬間、控え室の外からはアンコールの拍手が鳴り止まない。二人は顔を見合わせ、笑い合う。螢はステージへ向けて歩き出し、鷹介も隣を歩く)
――二人が共に見る未来は、まだ白紙だ。しかし、その一歩一歩は確かな光に包まれている。儚くとも確かな“花の魔法”が、二人を導くように――。
(了)