夜よ、こんにちは
〈必要からにせよ性癖からにせよ──また喜びからのことにせよ、われわれはみな他人の句を引用したがる〉──エマーソン
<By necessity, by proclivity, --and by delight, we all quote.> (Emerson)
私はマゾの血を引いているの。そう来栖が言ったように聞こえた。
目の前の僕は見えているのだろうか。ひとりごとをつぶやくようにぼそぼそ話すのでとても聞き取りにくい。マゾ? 鞭でぶたれたり、溶けたロウを垂らされたりするのを喜ぶヤツ? 困惑をごまかしながら、とりあえず答える。
「趣味は人それぞれだし、先祖だって言ったって他人なんだからそんなに気に病むことじゃないだろ」
おばあちゃんはマゾのワザを大きくなったら本格的に教えてくれるつもりだったみたいだっただけど、急に死んじゃって、結局全然教えてもらえなかった、と来栖は続けた。
え、なにそれ。そんなの中学生に教えんなよ。あと、そんな家族ぐるみの恥ずかしい性癖をアピールして、こいつは何を訴えようとしてるのか。
「……大変だったね……。だけど、まだそういうの早いと思うし、おばあさんが話せなかったのも仕方ないんじゃない?」
なにかちょっと考えてから、いや、おばあちゃんは教える気満々だった、単にタイミングの問題だった、と来栖が言うので「マゾのやり方を?」とつい口に出してしまったら、「マゾじゃねえ! 魔女だ!」と顔を真っ赤にしてどなられた。
ツタヤに檸檬
親しくもない同級生を前にしているのに、夢でも見ているような、ぼーっとした感覚から抜け出せない。どうして、これまでまったく関わりなかった来栖檸々の家にいきなり上がって込み入った話をしているのか。だいたい、なんで今日もいつも通り普通に渋谷に出かけたのに血まみれになって帰ることになったのか。
今日は名作という評判が気になって「オカルト」という昔のホラー映画を見に行ったんだった。前情報をまったく入れずに行ったら実はにせドキュメンタリー。最後に霊界か何かに魅入られた男が釘入り爆弾で渋谷のスクランブル交差点のあたり一帯を壊滅させてしまうというオチだった。見終わった後、駅の前まで来たあたりで映画ではこれだけ大勢の人間がみんな死んでしまったのかと思って妙な気分になった。
映画の余韻にひたって交差点を大勢の人が行き交う様子をしばらく眺めようかと思って、ツタヤの二階のスタバに行く。一階でアイスコーヒーのグランデを買って、階段を上がって人でごった返す展望フロアが見えたとき、右肩に誰かがぶつかってきた。それが同級生の来栖だった。転校以来人をよせつけず、誰かとしゃべっているのを見たことのないと裏でひそひそされている、あの来栖だ。
来栖ははっとして一瞬こちらの顔を見たが、何も言わずに取り乱した様子で階段を駆け下りていく。今まで話したことさえなかったのに、ただごとではない興奮が伝染したのか、つい追いかけてしまった。
自動ドアが開くのももどかしくあわてて外に出ると、どうにも足元が薄暗い。目の前の人たちが視線を上に動かして固まっていたので見上げてみてぎょっとした。交差点のちょうど中央の真上に、数十メートルはあろうかという赤い球体が輪郭で光を反射させながら浮かんでいた。その周囲には無数の泡が台風の目を囲む雲のように取り巻いて、一定の速さで動いて球体の中に飛び込んでいたので、これらは少なくとも硬い物体ではないように見えた。
そのうち、球体の下の方から少しずつ赤い液体がしたたり始める。交差点の中央からわっと人が逃げ出したみたいで、必死な顔をした人たちがわれ先にこっちにも向かってくる。吸い込む空気に鉄くささが混じり始めたから、あの液体はやっぱり血なんだと思った。交差点から駆けだした人の多くが、頭から暗く濁った赤い液体をかぶっている。
こっちにも顔に、両手に、服に、ぴちぴち血しぶきが散ってくる。あっけにとられてその場で固まってしまった僕は、足をがくがくさせたあと、その場にしゃがみこんだ。こんなとき、本当に足腰に力が入らなくなるのか。
混乱していろんなことが脈絡なく頭に浮かんでいた。何が起こっているのかわからない。こわい。Jホラーはこわくない。絶対に起こらないことがわかりきっていることを映画にしているからだ。本当に起こりそうなことこそが怖いんだ。「ヴァチカンのエクソシスト」は実在のエクスシストを描いているから怖い。悪魔にとりつかれた子供が知らないはずのラテン語を話している、悪魔の仕業だとラッセル・クロウが言う。実在の神父の自叙伝の映画化だから、いかにも本当にありそうな話だ。怖い。見ていて思わず毎朝仏壇の前で唱えている般若心経の文句を思い浮かべるしかなかったと大杉に言ったら、「キリスト教関係じゃないと意味ねえんじゃねぇの」と鼻で笑いやがった。いいんだよ、自分がまったく知らない聖書よりも、よく覚えている般若心経の方が!
そんな目の前の状況にまったく関係のない思いつきで頭をいっぱいにしていたら、いつの間にか般若心経を口に出していた。そうすると、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦」まで来たあたりで、渦巻きしたたっていた血の動きは止まってしまい、最後に「般若心経」と唱えきったと同時にいきなり巨大な球はばちんとはじけて泡ごと消えてしまった。
周囲を見回すと、人の姿が消えた交差点の中央で両手をまっすぐ挙げて真上を見たまま全身を血に染めて放心した来栖の姿を見つけた。いったい、何をやってるんだろうか。
今思えば、僕も大量の血を目にしたせいでおかしくなっていたんだろう。普段なら考えられないことに、彼女にかけよって肩をたたいて声をかけていた。でも反応はなく固まっていたので、無理に手を取って交差点から連れ出した。
ツタヤの前まで戻ってやっと「スタバにかばんを置いたまま」と来栖が言葉を発した。二階まで行くと窓際の交差点が見渡せる席にピンクの手提げと手帳があり、来栖はまだあまり汚れていない左手で手帳を手提げに入れて持ちだした。しぶきが飛んだ窓ガラスを通して見た交差点はすべて濁った赤に染まっていて、あたりの血は低い場所を求めて流れていた。
さて、どうしようか。どうしようもない。ユニクロで服を買ってからネットカフェでシャワーを浴びてもらおうかとも思ったけれど、たぶん同じように考えた人が殺到してるんじゃないか。来栖本人も大丈夫じゃなさそうだし、もうこのままで家まで送った方が早い。
「もう、ちょっといろいろ無理そうだから家に帰った方がいいよ。家、どこ?」
「……等々力」
うちと同じかよ。
血まみれの中学生が列車にいたらどんな顔をされるだろうか不安だったし最初ぎょっとされたけど、同じように真っ赤に染まった人が次々入ってくるので、そのうちみんな無視してくれるようになった。ただ、車内はそうとう不穏な空気なのはひしひしと感じる。「ハロウィン?」とか遠くから聞こえてきたが、何カ月先の話だ。乗換で自由が丘駅のホームに降りたときも、待っていた人が一斉に後ずさるのがなにげにきつかった。なにか悪いことでもして人から避けられているみたいだ。
やっとこさ等々力駅までたどり着き来栖のあとをついていくと、うっそうと木々が生い茂る暗い川べりの住宅地に、じとっとした感じの古い木造の一戸建てがあった。「ここ」と来栖がぽつりと言う。突然カラスが直滑降してきて隣の家のペットの餌をかっさらって飛び立ったのに、不吉なものを感じる。
列車では気まずい沈黙ばかりが続いていたが、玄関のドアを開けたときに「一時間後、また来て」と彼女の方から言われ、有無を言わさぬ様子に「わかった」としか返すことができなかった。
家に戻ってとりあえず血が点々と飛び散った服を風呂場のたらいに入れ、洗剤とお湯をぶちこんでからシャワーを浴びた。
来栖という人間が声を出しているのを見たのは、転校の時のあいさつで「来栖檸々です。長野県から来ました。よろしくお願いします」と言っていたのだけで、これまで学校で話したことは本当にまったくなかった。事件直後の興奮がだんだんと冷めていくなかでわざわざ来栖の家に行くのに気後れがしたが、彼女がなぜわざわざ得体の知れない巨大な血の球の方に向かっていったのか、どうにも不可解で、結局指定の時間通りに来てしまった。
玄関のドアから顔を出した彼女はきれいさっぱり血を洗い流して着替えていたが、他人への不信感を隠さない表情はそのままだった。小さな一軒家の二階にある部屋に通されてからすぐに、彼女は自分が「魔女」だとかなんとか言ってきた。普段なら冗談で済ませるべき話だが、目の前で普通に考えてありえない出来事が起こってすぐのことなので、「そうなんだ」とまずは納得したふりをして話を先に進めることしかできなかった。
来栖は長野県でおばあさんと二人で暮らしていたが、最近そのおばあさんが亡くなってしまい、引き取ってくれるような身寄りもなく、しかたなしに祖母の持っていた東京の家に一人で引っ越してきたこと、そして、魔法について造詣の深かったおばあさんは来栖に時期が来れば自分の魔法を伝授したがっていたのに突然の病でそれが果たせず、結局一つしか教えてもらっていない。そんな身の上を教えてくれた。
「香水でもハンドクリームでも椿油でもなんでもいい。液体を自分の額と両手の甲に塗って、自分の叶えたい願い事に関する『テキスト』を朗読したら、自分の渇望するものがおのずと現れて救われるんだって聞いた。今日はそれをやってみたの」
「なら、来栖は今日みたいに血のかたまりを作ることなんかがしたかったわけ?」
「わからない」
彼女はそう言ってから、「やりたかったのかな」と疑問形でつぶやいた。
「じゃ、さっきはスタバで何を音読したの?」
そう尋ねたら、来栖は無言で手提げから紫色の布張りの表紙のノートを開いて手渡してきた。
「おばあちゃんから、本を読んでいて心に残った文章をノートに書き写しておきなさいと言われてた。テキストがたまればたまるほど、お前の力は強くなるって」
指で示された先にはこんなことが書かれていた。
〈変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰りな丸善も粉葉みじんだろう」〉
「これは?」
「『檸檬』。梶井基次郎の」
「知らない」
来栖の顔にうっすら軽蔑の表情が浮かんだ。
柔らかい殻を破って
わたしは、なんで魔法を使ってしまったんだろう。
魔法を使ったのはいい、魔法を使ったらなんで交差点の上に血だまりができて、それをたくさんの人の頭に浴びせてしまったんだろう。
この魔法は、そのときに自分が思っていたことがそのまま反映される。あった事件、聞いた話、印象に残ったイメージ、全部影響してくる。最近、血を見たことなんてあったっけ。
そうだ。昨日寝る前、いつもみたいに電気を消して横になってテレビを見ながら眠くなるのを待ってたんだった。
テレビをつけたときには、もう映画が始まっていた。外国の田舎の納屋に三人の男の子が集まってくる。ひとりが大きなカエルをつかまえてきて、葦の茎を差し込む。ぱんぱんにふくらんだカエルを道ばたに置いて、通りがかったきれいな白いワンピースを着た女の人がのぞき込む。そうしたら草むらにひそんでいた男の子たちがカエルのおなかめがけてパチンコで小石を撃ち込んで破裂させてしまう。サングラスをして、スカーフで髪をまとめて、せっかく着飾っていた女の人は顔じゅうに、ワンピースに、カエルの血を浴びてしまって、口を丸く開けて叫んでしまう。
その様子を見ていた私は、男の子のいたずら心もわかるのだけれど、顔と服を血で汚されて、ショックを受けた女の人がかわいそうで、心がいっぱいになっていた。そして、それ以上はもう眠たくなってテレビを消してしまったんだった。そうだった。
次の日、渋谷に行った。わたしは、大きな街は渋谷しか知らない。上高地から高速バスに乗って渋谷まで来てから、今住んでいる、おばあちゃんが持っていた等々力の家に引っ越してきた。それからまだ数カ月しか経っていない。本当は東京に慣れるためにいろんなところに行かなければならないのかもしれないけれど、等々力と渋谷の駅にしか降りたことがない。家にひとりでずっといるのも気づまりで、行ったことのある渋谷くらいしか行きたい場所が思いつかなかった。
地下のホームから階段を上がっているとき、同い年くらいの子たちが階段を降りてきて、すれ違いざまに「気持ち悪い」って言って、笑ったのが聞こえた。わたしのことだろうか。
信じられない。なんでそんなことを言うの。他人なんてどうでもいいのに、なんでわざわざ人のことを笑って、嫌な思いをさせるの。それに、どんな人がいるかわからない都会でそんなことを言って、ポケットに隠し持っていたナイフで刺される危険を考えないの。懐に入れていたハンマーで頭を割られる可能性を考えないの。都会の列車で男の人が突然隣に座っている人をたたき始める動画を見てから、列車に乗るのがいつも少し怖くなっているのに、この子たちはそんなことを考えもしないんだろうか。でも、そんなことはどうでもいい。人から笑われたこと、見下されたこと、あなどられたことが本当にくやしくて、顔から火が出そうになる。そんな思いがぐるぐる頭を回る。
ひょっとして何か聞き違いかもしれなかったけど、「気持ち悪い」という声を聞いて本当に気分の悪くなったわたしはツタヤの二階のスターバックスに行って、冷たいチャイを頼んで気分が落ち着くまで待つことにした。落ち着け、落ち着け。そうは思っても、ずっと心が痛い。
鉛筆を削るのにいつも使っているカッターのイメージが浮かぶ。刃先を見てから視線を左手の手首まで下げる。ナイフの峰を手首に当ててみると冷たさがここちよい。刃のほうで切ってみると熱さと痛みのあとに、どんどんと血が、命のみなもとがもれてきて、あたりを赤く染めながらだんだんと眠くなって、二度と目が覚めなくなるんだろうな。そんな空想ばかりが意識をおおい尽くす。
そのうち、なんでなにも悪いことをしていないわたしがこんなに苦しまなきゃならないのという怒りが湧いてきた。衝動的にわたしは、手提げからニベアの缶と、抜き書き帳を取り出した。額と手の甲にニベアを塗って、「檸檬」の抜き書きを最後まで読み上げた途端、見るまでもなくわかったのが、ろくでもないものが来る、ただ、自分の吐瀉物のようなもの、排泄物のようなものが大勢の前でばらまかれるという確信が一瞬で広がった。駆け出して、わたしが生み出した魔法の「成果」の前まで行っても、わたしの小さなからだでは止めることも、覆い隠すこともできなくて、わたしは血を浴びながら、涙を流した。血が目に入って、痛かったからじゃないはずだ。おばあちゃんの魔法は、わたしを救ってくれるものだったはずなのに。人に見られて恥ずかしくなるような、隠しておきたかったような、自分のなかの醜いものを出したら楽になれる、とでも言うんだろうか。都合が悪い結果になったとき、魔法をストップさせる方法も考えてみたら教えてもらってなかった。わからない。おばあちゃんの考えがわからない。
また、昔見た映画のワンシーンを思い出した。人の見えない思いを形にする異星の海、それが形を取って暴き出した心の秘密が自分の部屋から出ようとした途端に、扉を閉めて閉じ込めた、あのおじさんと同じ反応をわたしはしたんだ。
「これは何だろう」
週末の昼下がり、渋谷で発生した「液体散布事件」で、一日経った今日も渋谷駅の入口や地下道は封鎖されている。おかげで警察署までは表参道駅からずいぶん歩かされる羽目になった。事件の翌日、日曜にもかかわらず問題なく来てくれるというフットワークの軽い大学講師には、そんな状況で署まで呼びつけてしまって申し訳ないが、機微に関わる事柄についてそこいらの店でおおっぴらにやりとりするわけにもいかず、仕方のないことだ。感心なことに約束の10分前到着で待っているということなので、こちらも少し早く会議室に出向くことにする。
部屋に入ると、中央に置かれた会議机の前でパイプ椅子に肩を縮めて座っている眼鏡の中年女性がこちらを見た。顔色が悪く、いかにも不健康そうだ。
「まぁ、今日はお休みのところ、ここまでご足労いただいて、ありがとうございます」
そういうと、先生は軽く頭を下げた。
「いろいろ閉まってて、ここまで来るのに大変だったでしょう」
「いえ、そんなことは」
そう言ってから、顔をそむけてハンカチで口を覆い咳払いをする。声が少しかすれていた。
「本件担当の真野です。今日はよろしくお願いします」
「首藤です。しかし今回はどういうご用向きでしょうか。私の研究分野は文化人類学で、昨日の事件の捜査でなにかお役に立てるとはあまり思えないのですが」
「いやいやいや、今回は先生にぜひ見ていただきたいものがありまして」
そう言って、タブレットを机に置いた。昨日の渋谷駅の事件映像を流すニュース番組を再生する。「視聴者提供」とテロップのついた映像は交差点から見上げた空に巨大な赤い球が浮かんでいるのを仰いでいたが、すぐに激しく手ぶれさせつつ移動を始め、交差点の外に一斉に逃げ出している群集の後頭部を映すようになった。すると、並んで突進する人々の頭をかきわけてカメラの方に向かってくる女の子の顔が一瞬映り、彼女はまた人の波に紛れさせ姿を消した。
「昨日の渋谷の事件については、すでにテレビでこういうのを何度もご覧になったとは思いますが」
「昨日は、実のところいったい何が起こってたんですか?」
「まったくわかりません。日本有数の混雑地帯に、ひとりでに大量の赤い液体のかたまりが浮かんで、通行者の頭からそれを浴びせかけた。人間がわざとやったっていうんなら、器物損壊、暴行、いろいろ考えなきゃならないが、なにしろ被害者が多くて、後始末も大変。最悪、病原体の混じっってる可能性も考えて、感染対策、消毒もやっています」
画面に落としていた視線を首藤女史に向ける。
「今のところ、現場に残された液体の鑑定を依頼しつつ、自然現象の線で捜査していますが」
「自然現象? これが?」
「いやいや、これが、ないわけじゃないみたいなんですよ。ファフロッキー現象とか、怪雨とか、あやしのあめとか言うらしいんですが、魚とか、肉とか、穀物とか、カエルとか、それこそ血とか、ありえないものが降ってくる。原因は上昇気流か、竜巻か、鳥が落としたか、あるいはいたずらとされてるんですが」
「〈降りた露が上がると、荒れ野の地表に薄く細かいものが、地の上の霜のようにうっすら積もっていた。イスラエルの人々はそれを見て、『これはなんだろう』と互いに言った。彼らはそれが何か分からなかったのである。そこでモーセは彼らに言った。『これは、主があなたがたに食物として与えられたパンである』〉
首藤女史がつぶやく。
「まぁ、そういう事例がないわけじゃないか」
「今の、何ですか?」
「出エジプト記。神からの食べ物マナが降ってきたときの記述です」
聖書の引用がこんなにすらすら出てくるとは。頼りない第一印象で不安もあったが、大学講師の面目躍如といったところか。
「そうなんです! 我々は表向き、自然現象の線で精査しつつ、人為とか、超自然的な現象といった方面でも可能性を模索しようとしてるんです」
「……そんなことがありうると?」
「すでにありえないことが起こってるんですから、今回藁をもつかむ思いで、世界中の儀式やまじないに通じてらっしゃる先生にお頼りさせていただきたいのです」
首藤女史は困惑を表情に出しながら「いえ、そんなことは」と謙遜する。こちらはその言葉を無視して、動画を切り替える。
スクランブル交差点を高所から俯瞰して撮影した映像が出た。交差点中央の赤い球から一目散に離れていく通行者の逆らってひとりだけ球の方に近寄っていく小さな点を左右の指ではさんで広げていく。
「さっきの映像と同じ時間、同じ箇所を定点カメラで撮影したものですが、みんなが必死で『血の球』から逃げているところ、その流れに逆らって近寄っていく人物がいる」
拡大された映像は、前の動画で一瞬映った女の子の横顔を映していた。
「この、小学生か、中学生くらいの女の子がなんらか関与をしていると?」
「周囲と明らかに違った行動をしてますからね。一応、事情は聞いてみないと」
再度、動画を切り替える。
「今の女の子が映っている監視映像を探したところ、ツタヤの二階のスタバの店内カメラの動画が見つかって、さっそく提供していただきました。あ、今のはご内密に」
ほぼ満席のフロアと展望窓をうつす映像。いつもの人でごったがえす渋谷駅と交差点が窓の向こうに見える。
窓の前に座る少女が、指先に何かをつけてから額と両手の甲に触れてから、机に置いていた手帳を手に取っている。
「これを見て、どう思われますか」
「自分が文化人類学の研究者だからわかるというわけじゃなくて、クリスチャンならたいていそう見えるように思いますが……」
首藤女史は言い訳がましい前置きをして続ける。
「どうも、十字を切っているようで、自分の手の甲に触れているからそうでもない。いや、その前に何かを手につけていることから『終油の秘蹟』を自分に対して行っているようにも見えます」
画像を拡大し、何度かフィルターをかけるとうっすら窓ガラスに反射する彼女の顔がなんとか見て取れる。そしてリピート。少女はもごもごと口を動かしているようだ。
「何かを唱えている?」
「これは何でしょうか」
目を見開いていた女史は、鞄を開けてから紙が赤茶けた、よれよれの表紙の新書を取り出した。タイトルを読む。
「『カルト・キャピタリズム』?」
「意外な大企業の経営者がなんらかのカルト的信仰に入れ込んでいて、それが経営や政財界にも影響を与えているという事例をいくつも紹介しているルポルタージュなんですが」
古い本が無造作にめくられているのを見ると、ページがばらけないか心配になる。
「今回の事件で昔読んだこの本に気になる記述があったのを思い出して、読み返していたところだったんです」
開いたページの小見出しには、TEとあった。
「六連星グループ? たしかに渋谷とくれば六連星百貨店に、TEKに、イルミナエだが、これは」
「TEの実質的な創業者・六連星厚彦は明治十年代長野県中部生まれなんですが、幼少期に故郷で『魔女宗』教団と接触して以来深く傾倒していたそうなんです」
「実質的な? 創始者、六連星じゃありませんでしたっけ?」
「名目上の創業者は一万円札の人です」
情報が多くて戸惑う。
「で、『まじょしゅう』とはどういったカルト集団なんですか?」
「キリスト教から異端とされた土着の多神教や、異教とされた宗教のことをペイガニズムと言うのですが、そのひとつです。ひとことで言えば、魔女の宗教です」
「やっぱり、昔話とかに出てくるホウキで空を飛ぶ、あの魔女ですか」
「そうです。篤彦は自分と特に親しかったある魔女宗の信徒を自分の『守り神』『座敷童』だと信じ、『魔女様』と呼んで崇拝していたそうです」
東京の都市近代化の立役者である歴史上の偉人というイメージとかけ離れすぎている。意外だ。
「あの、強引な手法で『面の皮厚彦』の異名を取った六連星の初代が。ずいぶんとロマンチックなことで」
「もちろん、そんなオカルトへの傾倒は社史をはじめ六連星グループの公式な情報には出てないんでしょうけど。でも、魔女宗のシンボルは丸に五芒星、そのひそみにならって六連星家の家紋は籠目、つまり六芒星で、何よりTEの電車のヘッドマークがごまかしてありますが『クロウリーの六芒星』を模してある時点で、わかる人にはわかりそうなものですけど。あ、ちなみにそれに代わる前の、戦前のTEのマークはヘルメスの翼を図案化してあるんですけどね」
話が専門的すぎる方向にそれてきた。
「それで、こちらの写真を見ていただきたいんですが」
脱線に気づいたらしい女史がはっとして数ページ先を開く。
「著者が、現地で発掘してきた当時の厚彦と、くだんの『魔女様』の写真らしいんです」
目を疑い、タブレットと冊子を見比べる。不鮮明な白黒写真には、これから呼び出して事情を聞こうとしている映像の子と驚くほど瓜二つの和装の少女が薄笑いを浮かべて立っていた。
予兆
「だから、カラオケで歌いたい曲がないんだよ。自分がいつも思ってるようなことを歌ってくれているような、共感できる歌詞の曲がないから」
だとかなんとか、聞きたくもないどうでもいいようなことをがなり立てているのがどうしても耳に入ってくる。愚かだ。悩みがその程度しかない馬鹿がうらやましい。女子の話というのもたいがい愚かなのだけれど、そこには他人の内心を先読みしての鬱屈とストレスがある分、まだ共感しやすい。男子は愚かさの方向が逆だ。あっけらかんとしてすっきりとした馬鹿。聞いている他人の存在など思いもしなかったというような自己満足の極み、そして、発言の実のなさ。こんな風に、後のことなんか何も考えずに行動できたら、どれほど心が楽になるだろう。あと、どうでもいいけど、チャイムはもう鳴ってて、扉の窓越しに先生の影がもう見えてる。先が読めないのは愚かだ。どうしようもない。起立。礼。着席。
「今日はイギリスの市民革命をやる前に、社会契約説について触れておこうと思います。教科書一八四ページ」
社会の又野先生。いい噂も悪い噂も教室内でささやかれているのを聞いた。後にベストセラー作家にまでなったかつての生徒の才能を見込んで卒業後の進学費用まで援助していたくらいの、異様に親切な先生だとか。逆に、「人がどんな反応をするか見てみたかった」という理由で放課後の校舎で火災報知器のボタンを押してしまい、しかもぬけぬけとというか、正直にというか、「犯行」の動機や経緯まで丁寧に説明した、頭のおかしい先生だとか。でも、そういった噂の証拠を直接見つけられないような、表面上まともな言動しか見せない。強いて言えば、ここが中高一貫校とはいえ、どうも通常のカリキュラムのレベルを超えた範囲のことを言ってないか疑わしくなるようなマニアックなことにまでしばしば脱線するところがおかしいかもしれない。わたしの人間観察をもってしても、他の単純な奴らとは違って行動原理が読み取れない。ひょっとしたら、何も考えていないのかもしれない、そんな定年間際のおじいさん先生。
「社会契約説の礎を築いた哲学者は十七世紀イギリスのトマス・ホッブズです。この人の考えの結論を言うと、『最近、悪い王様ならぬっ殺しても構わんという奴が多くなってきておるが、どんな悪い王様でもぬっ殺すことは許されんのだ』ということです」
あと、授業の口調がちょっとくだけすぎかもしれない。
「そういうことを言うだけならたくさんの人がいろんな仕方で言ってますが、それをオリジナルな理由で主張したからこそ、歴史に大きく名を残してるんでしょうね」
あと、授業が少し回りくどいかもしれない。
「ホッブズが何より上位に置いたのは死なないことです。国とか法律とかはその後にやってきます。死なないために、自分がやりたいように自分のパワーを使う自由のことを彼は『自然権』と呼んでます。生きたい、うまいものが食いたい、かわいい、あるいはかっこいい恋人がほしい、豪華な家に住みたい、そういうことを叶えるために、自分の頭で考えて、なんでもやる可能性が開かれている。叱る奴はいない、罰する奴もいない、手段お構いなし、ただ、目的達成の邪魔をやる奴はどこからでもわんさとわいてくるというバトルロイヤル。でも、人間は多少強かろうが、弱かろうが、賢かろうが、馬鹿だろうが、みんなどんぐりの背比べです。誰だって、いつ襲われてやられてしまうかわからない。そういう状態のことを『万人の万人に対する闘争』とか『自然状態』とか言います。おらぁ死んでも死にたくねぇ、死ぬのは怖ぇ、これじゃおちおち眠れやしねえってんで、あるときみんなが集まって、国家の設立集会を開くわけです。なんでもやっていい『自然権』をみんなで一斉に捨てちゃって、ある一点に集めよう、これからはそいつが決めたことは自分が決めたことと同じということにしよう。そいつに絶対服従することで少なくとも圧倒的な力ですりつぶされたり、寝首をかかれたりするような死に方をしないようにしよう。その状態が『国家』です。そうやって、国家ができるまでは、良いも悪いも法律もありえない。有効ではないんです。自然権を捨てる選択を理性で行う、とホッブズは言ってますけど、どうも、理性とか現代人の我々からすると『悪いことはしちゃだめだ』『良いことをしないと』とか良い人ぶっているイメージが湧きます。ですが、ここは『どちらが損か得か』『どうやったら生き残ることができるか』という、冷徹な『計算』のイメージで考えた方がいいですね。人々が国家設立に駆り立てられる動機は、良いことをしたいとかそういうことではなくて、あくまで恐怖に裏打ちされた計算です。『リヴァイアサン』というホッブズの本にはそういうことが書いてあります」
リヴァイアサン。〈地の上にはこれに肩を並べるものはない。レビヤタンは恐れを知らぬ被造物だ。これはすべての高ぶるものを見下す誇り高い獣たちすべての王である〉そんな文句が浮かんでくる。
「しかし、妙な話だとは思いませんか? 今まで好き勝手にしてきたところ、これじゃいつか死んじゃうっつってその自然権をみんなで誰かにあげてしまうなんて、自分だけその約束を守って他の奴が抜け駆けしたらどうするんだと。かえって、自分の身が危なくなっちゃう。そんな契約、誰も同意しませんよね。それじゃあ、国家が始まらない。そこで重要になってくるのが、国家の設立集会です。あるとき開かれていた国家の設立集会に、ついふらふらと入り込んでしまった。そこで、今まで言ってきたようなことが議論されている。みんながみんな、各自で自分以外の奴がどう動くか、固唾を呑んで様子を窺っている。そのときのみんなの頭のなかはこうです。『このまま現状維持なら、まだ、いい。状況が変わらないんだから。しかし、誰かがうっかり契約してしまったらどうする? 自分以外の全員、自分以外の残りの者が契約を結んで、その約束を守ってしまう腹づもりなら、俺が契約を結ばないとわかった途端、その場で斬り殺されておっ死んじまう』。そう思って、黙ってしまう。そして、そのまま黙ったまま沈黙の同意と取られて、全会一致で国家設立が承認されてしまう。そもそも、のこのここんな国家設立集会なんかに自分の意志で紛れ込んでしまったのが運の尽きで、入場してきたのと同時に同意したのと同じだと思われてしまう。そういったことがその場の全員に起こる。なにげに重要なのは、『万人の万人に対する闘争』モードなら、私VS敵、のふたりだけの関係だけだったものが、国家設立集会モードに入ったとたん、逆らったら、私VS私以外の全員、という勝ち目のない闘いの可能性が開かれて、それにおびやかされるということですね。しかも、一度国家が設立されてしまえば、悪質、もとい、恐ろしいことに、黙っていても、『もうすでに他の人は約束を守ってますよね』、『あなたもそれで命あっての物種で得してるんだから、約束を守らなきゃいけませんよね』、というふうに国家設立契約の履行義務が生じる。そして今、現にこうして生きている私たちも、先祖が社会契約の利益を受けてるんだから、約束を守って自然権を国に預けないと、だめよ、だめ、と言われてしまうんです。どうですか? 嫌な話でしょう?」
わたしが渋谷駅ですれちがいざまにクソガキからきもいと言われてむかっ腹が立っても、実際にはたたいたり、刺したりできずにがまんしてしまうのは、そういう仕組みが知らずの間に心底からすり込まれて、しみついてしまっているからなんだろうな。これまでの授業を聞いて、ふと、そう思った。
「それでも、まだこの話は妙だ、と思う人がいるでしょう。だいたい、国家の設立集会なんて、いつ、どこで、誰が参加して行われたんだと。誰か、自分の目で見た奴がいるんですかぁって。アメリカとか、比較的新しい国では設立集会をやったかもしれません。でも、じゃあアメリカでは、その集会以前は自然状態だったんでしょうか。そうじゃなさそうな気がします。日本の戦国時代とか自然状態と言えるかもしれませんけど、個々の大名家ってすでに組織、小さな社会をなしているような気もします。ホッブズ自身は、どっかの未開の地域には自然状態はあったりするんだ、とか言ってるようですが、それって本当にあるんですかね。社会のなりたちを説明するために、ないものをさもあったかのようにお話として作ってるんだけちゃうかと。そういう疑いの目を向けられても仕方がない。でもホッブズは、とんでもねぇ、国家の設立集会はありまぁす、と言っちゃう。なぜか。王様の言うことを聞かなきゃいけねぇ、王様ぬっ殺しちゃなんねぇ、なんて、ずっと言われてきたことですよね。なぜか? それは神様が王様に力を与えたからだ、なんていうのが王権神授説ですが、まぁ、基本的に、昔からそう言われてきたからだ、昔からそうやってきたからだ、伝統なんだ、みたいに言う人もいるかもしれませんね。当時は。ホッブズは、なぜ革命なんかやっちゃだめなのか、ということを論理的に証明したかった。もしこういう前提があるなら、必然的に、絶対こうにしかならない、という推論。それがどんどん連鎖していく論理による哲学で、革命、だめ、ゼッタイ、と言いたかった。ホッブズは人間に心があるなんて認めませんから、全部物理的なブツで説明して、物体論、人間論、そして国家論をやって『国家とは物体である』とか言っちゃう。そして、そうやって論理で導出された万人の万人に対する闘争とか、国家の設立集会というのは、本当にあるとかないとか言ってももはや仕方がなくて、それはあったのと同じなんだだと見なすわけです。ホッブズの哲学は、バーチャルというか、シミュレーション的性格を持っていて、哲学のなかで展開されておのずと飛び出してきてしまった概念を現実と等価だと考えているということですな。その後のホッブズの人生ですが、皮肉なことに、死にたくねぇという自己保存が一番大事で自然権がすべての義務に優先するとかいった考えはふざけている、けしからんといって教会や大学で総スカンを食った上、ホッブズの道具立てや議論は他のロックだとかルソーといった別の社会契約説の哲学者に火をつけて、さらに変更を加えられて、その後の市民革命を後押しする考えが次々と出てきます。とりあえず、ホッブズについては自然権と、万人の万人に対する闘争、社会契約という言葉だけは持って帰ってください。試験にはほぼそれだけしか出てきません!」
いや、これだけ長々しゃべっておいて、三つの用語しか試験に出さないんかい!
授業が終わってから、懲りずにクラスから浮き上がっている男子二人組ががなり合っている。
「シミュレーションで、ふだん意識していない、当たり前にある心の機能をなくしたりするっていうんなら、『散歩する侵略者』って映画があるよ。地球に来た宇宙人が、地球人の概念を奪って社会を混乱させるって話で、たとえば、家族という概念を奪われたら家族のことが家族と認識できなくなるんだ」
「怖ええな。じゃあ、今日の授業で言うと、その映画の世界で国家とか恐怖とかいった概念を人間から奪ったら、さっきの万人の万人に対する闘争みたいな状況になるのか」
あさはかだ。ついさっき知ったことを、偶然に見ていた自分の映画の知識と、本当につながっているのかもあやふやなのに、無理矢理つなげて話を盛ろうとしてる。本当に、今並べた二つにつながりはあるの? 単なる思いつきじゃない。だいたい、こいつら、今授業で聞いた話が今のわたしたちが生きている世界を説明する、都合の悪い、本当にいやになる話だって本気で受け止めてないんじゃないの。おめでたい。こいつらこそ、日常生活のなかで恐怖とかろくに感じてないんじゃないの。やっぱり、こいつらは馬鹿だ。恥ずかしみも知らない。
不完全な日々
「魔法はありまぁす」か。じゃ、私は今まで魔法のガワだけを研究して、中身に触れることはついぞできてなかったわけか。朝一番で運送業者に本の詰まった段ボール箱を十二個持っていってもらい、重いものを持って赤くかさついてしまった自分の指を見ていたとき、そんな敗北感を改めて感じた。病身にはこんなにえらくこたえることも、魔法で片付くんじゃないかという連想からだ。
昔、亡くなった先生の蔵書の処分を手伝ったことがあって、そのときにいやというほどつきつけられたが、本の命はけっこう長い。もう主人のいない部屋にもの言わず平気の顔で鎮座占有している。読む人があるならいいが、たいていの残された家族というのは故人とは興味関心が重なりあわないものだ。人が死んで、膨大な脳の記憶が消えるとともに、それらとなんらかのかたちでつながっていた故人の蔵書も精神のネットワークから切断されて、ありかというか居場所をなくしてしまう。新たな持ち主のもとで新たな接続を果たして行き続ける場所を見いだしてもらいたいものだが、そうでなければただただえらくかさばって重い、ゴミになるだけだ。
すでに一生で読めもしない量の本を持っていて、さらに増やすのかと亡き父からどやされていた若いころが懐かしい。すでに叱ってくれるような家族も係累もなく、自分もまた、人生の終わり間近だ。六畳の和室と台所の本棚と床、それに押し入れを埋め尽くしていた本も、残りわずか。この本も読めなかった。所有するだけで、あの本とも縁を取り交わせなかった。そういう哀惜ばかりが募る片づけ。詰め込んだ段ボール箱の行き先は亡き先生の蔵書も送った専門書専用書店。どうにも手放しがたく、最後まで残ってしまった本は、申し訳ないが私の運命と道連れになってもらう。しばし、咳が続く。口をティッシュで拭うと血の混じった痰が見えた。
つい先日、あまりに咳き込むからと知人に勧められて受診した結果が、肺がん。ガ〜ン、だ。亡き父がよく使った冗談だが、実際になってみると冗談じゃない。治療したかったとしてもそんな貯金はなく、仮に治療したところで本当に生き延びることができるのか。これまでの不摂生や健康状態から考えると、そもそも身体が治療に耐えられるのか。治療しようがすまいが、これから半年から一年の間には、確実にがん細胞が私の身体に拡がって根を下ろし侵攻を続け、それこそ坂を転げるように、今までになかったくらいに体調は悪化していくだろう。死病なんだから。
そういった現実を前に、これまでの四八年の人生をふり返り、悔いのない時間を過ごすべきだというのはわかっているのだが、今の今まで部屋を片づけたり、なぜか降ってわいた事件捜査協力に出向いたりと、本質的なことから目をそむけ、目の前に次々あらわれるささいなことへばかり逃避してしまっていた。
なにより情けないのは、これまで小さなことばかりやっつけてきたばっかりに、学者のはしくれであるにもかかわらず、この期に及んで書き残しておきたい成果、絶筆に向けての意欲も内容もわいてこないことだ。私の人生、なんだったんだ。
ただ、だ。迫りくる終わりを前に目の前のことばかり追ってしまったことが、かつてない体験への扉の前に立つきっかけになったかもしれない。魔法。いうなれば、私ははっきりと目に見える、証拠のとれるものしか研究してこなかったが、ここに来て、儀式とか呪術とかの身体の動きや道具が実際に不思議な出来事を引き起こした場面を何度も映像で見せられ、さらに当事者から具体的な方法まで聞き出すまでに至った。そして、話を聞くに、私にはその魔法を行使できる資質がある可能性がきわめて高い。そのように思える。
どういう人間が一世一代の犯罪に走るのか。私のように、先がない者だ。もはや捨てるものが無に等しい者だ。可能性をすべて蕩尽し、自分を打ちのめした世界を人知れず深く深く憎む者だ。
自室のドアを開け、外階段をかつかつ言わせながら降りる。空を見上げると雲一つない青空。自分の人生とは関係なく、朝の空気はさわやかで、日の光が透き通って私の皮膚に、網膜に届く。たぶん、この築六五年の木造アパートも、近所の街並みも、太陽も、私が死んだ後でもまったく変わりなくここにあるのだ。こんな、実にいい光景を前に、私は笑っていなかった。「PERFECT DAYS」の役所広司は、毎朝決まったようにスカイタワーの見えるぼろアパートの階段を駆け下りて、空を見上げてにっこりといい笑顔を浮かべてから、缶コーヒーを買って車で渋谷の公衆トイレ掃除に出かけていった。人から見くびられがちな仕事であったとしても、現に、寄ってきた通行中の子供を親がその場から連れ出そうとしても、役所広司のペースは、行動は、心のおだやかさは乱されることはない。まさに、完全なる日々! 私も、どんな境遇でもその場に満足して一人で笑っていられる人間であったらよかった。私には、悲しみばかりだ。私の、不完全な日々が、不完全のまま、終わる。そんな思いが一瞬脳裏をよぎった。
犯罪者はいつ、自分のそれまでの不満は多くあれど、それなりに平穏だった、秩序立った日常を捨てて、犯罪者の日々というイレギュラーなサイクルに入っていくのだろうか。そこまでに至るまでに、どのように思い切ったのだろうか。問うまでもない。その内実を、今、私が体験しているんだろう。
これからやることを、私が犯人だと誰かわかってくれるだろうか。こうなったら、わかってもらいたい。私の最後の、世の中に残す爪痕だ。メッセージだ。こんなものが、私の人生の卒業論文だ。
わかばを一本取り出して、一〇〇円ライターで点火して、思い切り吸い込む。ひどく咳き込んだが、これがなければ始まらない。
散歩する侵略者たち
こっちをいつもカラオケ仲間に引き入れようとしている大杉の親の会社に、職場体験で来ているのはいい。なぜ、日がなずっと浮かない顔をしている来栖までこの場にいるのか。最近、教室でよく話しているみたいだからという担任の井上先生の差し金なのだが、心外だ。
大杉の会社のコースに参加しているのは大杉に僕に来栖の三人だけ。話しかけてもたいてい「ああ」とか「うん」とかしか言わない人間が混ざっていると、こっちまで気詰まりになる。こうなると、反応がつかみきれない人間を前にしても気にせず延々しゃべっていられる大杉の存在がありがたくなってくる。それで間がもっているような気がしてくる。あくまで、そんな気がしてくるだけで、実際に間がもっているわけではないんだが。
ぱっと見、人なつこいお人好しにしか見えない大杉だが、実は趣味でやっているプログラミングが金を儲けられるスキルの域にまで達しており、親がやっているIT会社でアルバイトして、いい小遣い稼ぎになっているというのは以前から聞いていた。僕らの班の引率から解説まで一人でこなしているのを見ると、普段にはない頼もしさを感じる。まぁ、いい友達を持ったものだ。うちの学校はTE系列なので、こちらからやる気をもって取り組めるような職場体験引き受け企業を見つけてこないと、近所のTE線の駅ホームやトイレの清掃を中心とした一日駅員体験に回されることになる。肉体労働は、できる限り避けたい。
「で、うちのシステムはSNSでのつぶやきを収集して、ポジティブとネガティブをまず判定。事件事故についてのつぶやきを解析して地図上にマッピング、必要があれば警察消防や報道各社に通報、連絡して、契約料で儲けつつ、社会貢献もしてるってわけ」
壁の中央にある大きなスクリーンには渋谷区を中心とした地図が映写されていて、ところどころで矢印がぴこぴこと点滅している。
「こないだの渋谷の血まみれ事件から、どうもここいらも危なっかしいから、安心安全のためにうちのアプリのインストールよろしくね! アプリから警察に事件のタレコミもできるから協力よろしく頼むよ」
警察、という単語で、この間、初めて事情聴取されたときの記憶がよみがえった。「渋谷駅前血液大量散布事件」などと大仰な名前をつけて報道されているこの間の出来事の直後、警察から家に電話がかかってきて、学校の視聴覚室で話をすることになった(もちろん、家ではひともんちゃくあり、説明して親をなだめるのは大変だった)。事件を映した防犯カメラやスマホの映像などを集めて解析していたらしく、たいていの人間が交差点の中心から離れていっているのに、逆にわざわざ寄っていくあやしい人物をピックアップして事情を聞いているようだった。
はじめてのことでびびっていたが、警察署まで行ってみると相手は物腰の柔らかいスーツの男性で、しかたなく起こったことと来栖から聞いた話をありのまま話したら案外あっさりと解放してくれた。
こうなると、心配だったのは事件の張本人だとわざわざ自称している来栖だが、彼女もまた、一時間も経たずに視聴覚室から戻ってきた。来栖の方は、彼女が言うには「いけてないおばさん」から話を根掘り葉掘り聞かれたということだった。事件の日に僕に話した時みたいに洗いざらいすべてをぶちまけたが、特に責任を追及されることもなくその日は終わったという。証拠もなければ、科学的なつじつまもないのだから、当然のことかもしれない。「それは私が魔法でやりました」なんて、「私が丑の刻参りで呪殺しました」みたいな不能犯になって、罰することはできないんじゃないか。なんか、そういう話を本で読んだぞ。そもそも、本気に取られることなく、単に一四歳の心の闇とか中二病の妄想とでも思われているんじゃないか。
妄想といえば、あの日以来、時折無言の来栖からつきまとうような視線を感じるようになった原因も妄想じみている。あのとき、目の前の出来事の理解できなさに恐ろしくなって、いつの間にか日々の習慣だった般若心経を小声で唱えていたことを来栖に話すと、それが原因で魔法が止まり血の球が消えてしまったのだと彼女は一人で納得していた。彼女によると、魔法の発動のために朗読するテキストは、朗読する人間が意味を理解していればいるほど、内容を本気で信じていればいるほど、暗記していればいるほど力が強くなるんだという。来栖のうっかり魔法を止めることができたのだから、僕も実は魔法が使えるのだと彼女は信じているようだった。
そんなことを思いつつ、大杉が目をきらきらさせながら滔々と語っている通報システムの輝かしい実績に半分以下の意識しか向けていなかったとき、オフィスに突然けたたましい警告音が鳴り響いた。
「渋谷駅、ハチ公口前スクランブル交差点、を中心とした、半径五〇〇メートルの、範囲で、集団暴力、あるいは、大規模な暴動、が起こる予兆が感知されました。現場の近くにいる人は急いで、その場を離れるか、建物の中に、退避して下さい。繰り返します……」
ゆっくりとした機械的な音声が異常事態を告げ、ディスプレイの地図は渋谷駅周辺を拡大表示してそのあたりにぽつぽつと赤い点を散らしている。オフィスにいた社員の人が急いでテレビを付けてチャンネルを変えると、渋谷駅前の街灯カメラがズームして交差点のど真ん中で人の乱闘が起こっている様子が見て取れた。画面中のあちらこちらでつかみ合いや殴り合いが始まっている。
「え。なんでこんなことに」
「こないだの、『万人の万人に対する闘争』かよ」
大杉はあわあわし、社員の人の動きはにわかに慌ただしくなった。来栖の方を向いてみると、彼女はふだんいつも眠たそうにしている目を大きくかっ開いてわなわな震えだし、突然「おばさんが!」と叫んだ。
「え?」
「おばさんが、魔法を盗んだ!」
The war of all against all
普段と何も変わらない平日。群集が忙しく行き交う街。何か、やらかすには実にいい日だ。
ここの高みからは、あの、血の雨が降った渋谷のスクランブル交差点はもちろん、その周辺のビル群までよく見渡せる。あれほど大量の血、表面上は拭われたとはいっても、その血なまぐささ、その忌まわしいイメージはこの短時日でとても拭いきれるものではない。
そして、あの事件の日と月齢まで合わせて、今日は新月。今回の願いも叶えやすくなっているだろうと予想する。
チューブから出したアトリックスハンドクリームを額と両手の甲につける。次にスマホを取り出し、エディタを開ける。内容を全選択して、ツイッターに貼り付け、冒頭の引用文だけ祈るように朗読する。アポロドーロスの『ギリシア神話』、より正確に言うとプセウド=アポロドーロスの『ビブリオテーケー』からのものだ。
〈プロメーテウスは水と土から人間を象り、ゼウスに秘して巨回香の茎の中に火を隠して彼らに与えた〉
そして、送信。朗読したテキストはギリシア神話の有名なエピソードから取った。みじめな生活を余儀なくされていた人類が便利に暮らせるようにとに火を与えたために、ゼウスから岩山につながれて鷲に肝臓をつつかれては次の日には再生するという罰を負ったプロメーテウスのイメージにのせて、魔法の使用法を、魔法を使うに素質十分な相応しい人間に届ける。これで私も文化英雄か、トリックスターか、いや犯罪者か。とはいっても、誰がこの犯罪的行為を立証できるというのか。ひょっとしたら、今何をやったかということさえ、ずっとわからないままなのかもしれない。
届くべき者のところに、届くべきテキストが滞りなく渡る。テキストが届いた先で人の思考を賦活する。そんなことが理想通りにどこでも起こせる。そんな方法があるというなら、私の人生ももっと彩りがあっただろうに。そう嘆息せざるを得ない。
しばらく投稿されたツイートをじっと見つめていたら、インプレッション数やリツイート数の伸びが明らかに異常だ。決して、キャッチーな文面ではない。人にウケるわけがない、面白くもない、むしろ不可解さや狂気を感じさせるテキストなのに。これが魔法の効果か、と手応えを感じる。
次の魔法では、数字だけでなく物理的な効果が肉眼で確認できるだろうか。あまりに遠すぎて、変化が外からではわからないだろうか。それとも、遠目にもわかる煙火や爆発なんかが確認できるだろうか。
改めて、ハンドクリームを指先に取る。額と手の甲に再び塗ってから、中公クラシックス『リヴァイアサンⅠ』のしおりをはさんでおいたページを開き、祈りを込めて朗読する。
〈この能力の平等から、目的達成にさいしての希望の平等が生じる。それゆえ、もしもふたりの者が同一の物を欲求し、それが同時に享受できないものであれば、彼らは敵となり、その目的〔主として自己保存であるがときには快楽のみ〕にいたる途上において、たがいに相手をほろぼすか、屈服させようと努める。すなわちつぎのようなことがいえる。侵入者にとって相手の単独の力以外に恐れるもののないところでは、ある人が植え、種子をまき、快適な屋敷をつくりあるいは所有すると、他の人々が力を結合してやってきて、彼の労働の成果だけではなく彼の生命あるいは自由までも奪おうとすることが、おそらく予期されるであろう。そしてその侵略者自身がまた他からの同様な危険にさらされる〉
One for all, all for one
確か、来栖が知っている魔法はなんでもいいから液体をおでこと両手に塗り、思い入れのあるテキストを読み上げるとテキストの内容に応じて自分の願いが叶うというものだった。
「誰にでもできることじゃん。そんなんで願いが叶うんなら、苦労しないよ」
事件のあった日に来栖の家で半笑いを隠せないまま疑問をぶつけてみたら、思いの強さやら、テキストの習熟度やら、環境やらによって魔法の成果は左右され、できる人は最初から願いが叶うし、できない人はいつまでもできないんだと彼女は答えた。
「私だって、むしゃくしゃして何か出るかなっていたずら心で唱えてみたら、ああなってしまったからあわてた」
そんなん最初からやるなよ、とあきれた。線路の置き石じゃないんだから。試しにやってみたら、列車が本当に脱線したとかそういうたぐいの話だ。今回の事件、ワイドショーでも損害額ウン千万とか言ってたぞ。又野先生の真偽不明の火災報知器事件がかわいく見える。
まぁ、ただ、誰にもできるといっても、そんな一連の動作、人から教えてもらわなければ実行されることもないというのも確かだ。だからこその儀式ということなんだろうか。おでこにクリームや油をつけるなんて、風呂上がりか、朝の洗顔のときにしか考えにくい。しかも、その後すぐに文章を音読するなんて、ちょっと思いつかない。昔、どこかで聞きかじった「解剖台のミシンと傘の偶然の出会いのように美しい」という言いまわしくらいありえん。そんなん、どんな偶然があっても出会わんだろう。あえてやろうと思わないと実現がありえないほど、無関係な物事の代名詞なんじゃないか。三回まわってワンと言うくらいなら慣用句の力でついやってしまうことがあるかもしれないが、たとえば、右に六回、左に二回、再び右に七回まわって両手を挙げてジャンプしながらニャン、ニャン、ニャンと言うことなんて、それなりの構想と意志がなければ絶対にやらない。だいたい、本やノートを触る前に手指にハンドクリームを塗るな。ページが汚れる。
そこまで考えて思い当たったのだが、じゃあ、僕がただ、腰が抜けて思わず般若心経を唱えていただけで来栖の魔法を止める魔法が発動したのはなぜだ。あのとき、血の球の下に駆け込んでいった来栖を追いかけていって、頭からかぶった来栖ほどじゃないが、顔やら手やら服やらに血が飛び散った。それが、クリームの代わりをしていたのか。これまで出てきたルールを考えるとそのように考えるしかないみたいだ。
話を戻そう。これまでの情報を総合すると、誰にでもできるものじゃないと油断して来栖が魔法発動の方法を警察の事情聴取でぺらぺらしゃべっていたら真似されてしまった、あるいは、魔法をやっているところを防犯カメラなんかで記録されていたのが、今回の騒ぎで注目されてしまい、観察と聞き取りで再現されてしまった、というところか。
「ちょっと待て。魔法が盗まれたって、どうして今の状況の原因が魔法だってわかるんだ?」
「魔法を発動させたことがあるから、近くで魔法を発動されたらわかる」
なるほど。わからん。しかし、今のところ正体不明、出所不明の「魔法」に詳しいのはこいつしかいない。あやしく思えてもこいつの意見はある程度重く見ざるをえない。
「お前が言ってるのが正しいとして、前回魔法が止まったのは偶然僕がお経を唱えたからだったよな?」
来栖はうなづく。
「あれだけ大人数が暴れていて、他の大人は魔法のことなんか全然知らなくて止め方が皆目見当つかない。現実的に、警官隊が全員なぐって気絶させることくらいしか手がないし、人を暴れさせているのが魔法なら止める役目の警察だって頭がおかしくなって暴れ出すかもしれない。どうやったらこの事態を止められる?」
「大杉君!」
一瞬うろたえた来栖が話に置いてけぼりをくらっているクラスメイトを呼ぶのを聞いて、このコミュ障に人の名前を覚えていることができたのかと感心した。
「このアプリ、どれくらいの人が使ってる?」
「……マップの上で動いてる青い点と赤い点はすべてユーザー。匿名化した上で最後にポジティブなつぶやきをした人が青、ネガティブなつぶやきをした人が赤で表示されてる」
急に話を振られてどぎまぎしつつ大杉が答える。
「緊急地震速報みたいに、音を切ってても強制的にスマホの外に音を流したりできる?」
「……でき、……ないことはない! 今みたいな緊急事態を察知したときには警報が大音量で流れてるし、いざとなればその放送機能を役所とかの緊急放送のマイクにつなげることもできる」
「今すぐマイクを貸せ! こいつにしゃべらせろ!」
僕を指さして来栖が叫ぶ。普段しゃべらないのに、追い詰められたらとたんに大声出せるタイプか。
大杉が手招きする。
「なに言ってんの、あいつ。まったく話が飲み込めないんだけど」
「すまん。そうだと思うんだけど、今、スタッフさんも別のところでばたばたしていてこっちにまったく気付いてないし、できるんならどさくさにまぎれて放送のマイク、貸してよ。一生恩に着るから」
「ええっ、そんな。そりゃ、マイク、そこにあるけど」
大杉は画面からちょっと離れた場所のコンソールに立っているマイクを指した。
「今度、好きな味のハーゲンダッツ三つおごってあげるから」
「安すぎだろ。あとで大人から大目玉を食らうのは俺だぞ」
「右に六回、左に二回、再び右に七回まわって両手を挙げてジャンプしながらニャン、ニャン、ニャンって言ってあげるから」
「言うとおりやってやるから、それはやめろ」
話がまとまったところで、来栖がリュックサックからニベアの缶を取り出し、ふたを開けて指をそのなかに乱暴につっこむ。女子からハンドクリームを塗ってもらうなんて、もうちょっとそっとやればロマンチックな感じがするのに、クリームのかたまりを突き指せんばかりにおでこと両手に押しつけてくるから奇祭おしろいまつりみたいな感じになってしまった。
「行けえっ! ぶちかまして来いっ!」
お経を読むのにぶちかませとは。
「はい。放送範囲設定、警報発令中の渋谷駅半径五〇〇メートルの円内に位置する全ユーザーのスピーカーに接続。スイッチを長押ししている間の声が流れます。どーぞ」
納得いかない顔の大杉が促したので、一度深呼吸してからスイッチを押す。
「……全知者である覚った人に礼したてまつる(はんにゃはらみったしんぎょう)……」
夜の外側
『リヴァイアサン』の朗読中、手元が暗くなったことに気づき、顔を上げるとあたりは真っ暗になっていた。照明が消えた、という程度のものではない。本の文字は読めるし、自分の身体も見えているのに、それ以外の空間が黒く染まっている。
本能的に、身の危険を感じて身構える。何が起きたのかまったくわからず戸惑っていると、背後から、かつん、かつん、と靴音がしてきた。やたらと音が響く。今、いるはずの展望エリアとは、全然違う雰囲気だ。場所自体移動しているのか。
状況が理解できないまま、おそるおそるふり返ると、『カルト・キャピタリズム』の写真に写っていた例の少女がすぐそこに、微笑を浮かべてただずんでいた。
「……魔女っ!」
思わず声がうわずる。
「いやぁ、お疲れさん」
魔女はさらに口角を上げて、ゆっくりと拍手を始めたが、目だけは笑っていない。
「よくもまぁ、ここまでやってくれたね。正解だ、いろいろ。おかげで助かったよ」
目の前の少女は写真で着ていたような和装ではなく、ゴシックロリータ、というのだろうか。フリルで全面が飾り立てられた、黒いドレスを着ている。
「ふざけるなっ!」
つい声を荒げてしまい、直後しばらく咳き込む。さっきまで声を酷使していたこともあり、呼吸がすこしきつい。
「ごあいさつだねぇ。ちっともふざけてなんかいないさ。大真面目だよ」
本当に、彼女は写真の少女なのか。明治の子供が、令和になっても姿がそのままなんて、普通はありえない。似ているだけの別人が騙っているだけなのか、それとも先日直接聞き取りしたばかりの来栖檸々がふざけてしゃべっているだけなのか。どちらにせよ、この状況は、十分おかしい。
「姿のことなら、気にしないでくれたまえ。私たちだって、時と場合によって、ふさわしい格好にして人前に出てくるさ。時代によっても。立場によっても。君だって、もちろんそうだろう?」
咳が、まだ止まらない。
「苦しそうだねぇ。ここまでのご労苦、まことに痛み入るが、ちっとやりすぎた点がある。少し修正させてもらうよ」
わたしと少女の間に、突然ぼうっと光る透明な球体があらわれた。視界を覆い尽くすほどに大きい。フィクションで見たホログラムのように、渋谷のスクランブル交差点を俯瞰で写している。胸ぐらをつかんで殴り合い、かばんを振り回して人に投げつける、群集の原始的な暴力が、まるでリアルなミニチュアセットに立つ無数の動く人形で再現されているみたいだ。
「君は、うちの孫に、いったん動き始めた魔法の止め方を聞いていたね。あれには教えなかったから、友達の般若心経で止まったのかも、とか、あいまいなことしか言ってなかっただろう?」
こちらをからかうような声の調子で続ける少女。
「経典。まぁ、それも不正解じゃあない。たしかに始まったものを押しとどめることはできようさ。しかし、満点はやれないな。君らが使う、パソコン? あれだって、『強制終了』ばっかりやってたら、機械に悪いだろ?」
魔女は、一瞬私の目を見つめた。
「マドモワゼル、こうやってやるんだ」
そう言って、両腕を広げる。
〈人々が外敵の侵入から、あるいは相互の権利侵害から身を守り、そしてみずからの労働と大地から得る収穫によって、自分自身を養い、快適な生活を送ってゆくことを可能にするのは、この公共的な権力である。この権力を確立する唯一の道は、すべての人の意志を多数決によって一つの意志に集結できるよう、一個人あるいは合議体に、かれらの持つあらゆる力と強さとを譲り渡してしまうことである。
ということは、自分たちすべての人格を担う一個人、あるいは合議体を任命し、この担い手が公共の平和と安全のために、何を行い、何を行わせようとも、各人がその行為をみずからのものとし、行為の本人は自分たち自身であることを、各人が責任を持って認めることである。そして、自分たち個々の意志を彼の意志に従わせ、自分たちの数多くの判断を彼の一つの判断に委ねる〉
詠唱が進むうち、球体のなかのミニチュアの人形たちがその動きを鈍らせていく。
〈これは同意もしくは和合以上のものであり、それぞれの人間がたがいに契約を結ぶことによって、すべての人間が一個の同じ人格に真に結合されることである。その方法は、あたかも各人が各人に向かってつぎのように宣言するようなものである。『私はみずからを統治する権利を、この人間または人間の合議体に完全に譲渡することを、つぎの条件のもとに認める。その条件とは、きみもきみの権利を譲渡し、彼のすべての活動を承認することだ』〉
無数の人形たちが完全に動きを止め、その場にくずおれた。
〈これが達成され、多数の人々が一個の人格に結合統一されたとき、それは《コモンウェルス》──ラテン語では《キウィタス》と呼ばれる。かくてかの偉大なる《大怪物》(リヴァイアサン)が誕生する。否、むしろ、『永遠不滅の神』のもとにあって、平和と防衛とを人間に保障する地上の神が生まれるのだと〔畏敬の念をもって〕いうべきだろう〉
突然、球体の上に鯨のような、龍のような、威厳と神々しさを放つ獣が現れた。とぐろを巻いて、その眼下の人形たちの群れを睥睨する。これが、「ヨブ記」にうたわれる、すべての獣たちの王レビヤタンか! そして、獣は球体のなかに飛び込み、獣も、球体も、姿を消した。
「魔法で無政府状態を演出しようとして、どうして触媒のテキストに『リヴァイアサン』を選ぶかね? 『万人の万人に対する闘争』とか、確かに出てくるが、結局は反革命の書だぞ。結論まで進んでしまえば、現実の秩序だった社会に回帰するのは当たり前だろう」
ちっ、と舌打ちする。無駄な抵抗だとはわかっていつつも『リヴァイアサン』をもう一度開き、朗読する。だが、声が出ない。いつの間にか、魔女がこちらに向かって手で制していた。
〈悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。〉
感情が溢れる。嗚呼、嗚呼、と嗚咽がもれる。目を見開いているのに、かつて見た映画の光景に似た夢が見える。私の人生に出てきた人たちが、膝を屈している私の後ろに並んで私を冷たく見下ろしている。私は、肩に大きな黒ずんだ十字架を負って前に進もうとしているのに、重すぎてまったく身動きが取れない。
「藤村操の『巌頭之感』、だよ。今の君、こういうのに弱いんだろう。君はねぇ、確かに優秀。実に優秀。こちらがまいた誘導に従って、迷い道なしにまっすぐ、最短距離でこちらが来てほしかったところまで来て、やってほしいことをやってくれたよ。本当に感謝してる。でもね」
気管がひゅうひゅう鳴っている。涙が止まらない。
「所詮は、半端者だ」
身体を傷つけながら、力の限り叫ぶ。
「一二〇年前には、こんなことを書ける高校生がいたんだよ。実にいいこと言ってるだろ? 特に、本に埋もれて生きた割に、本を物すことのできるほどの中身を持てないまま人生の終わりを目前に控えた君には、胸に迫ってくるんじゃないかな」
いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい。
「で、悪いんだけどさぁ、このまま楽に死んでもらうわけにはいかないんだ。魔法で、もっとたくさんの若人に遊んでもらいたくてね」
あああああああああああああああああああああああ。
〈プロメーテウスは水と土から人間を象り、ゼウスに秘して巨回香の茎の中に火を隠して彼らに与えた。ゼウスがそれを知ったときに、へーパイストスに彼の身体をカウカサス山に釘づけにするように命じた。これはスキュティアの山である。この山に釘づけにされてプロメーテウスは幾年もの間縛られていた。毎日鷲が空から彼のところに舞い下りて来て肝葉を啖った。それは夜の間に生えるのであった〉
暗転。
「しっかし、わざわざ火中に飛び込まなければこんな苦しい目に遭わずに普通に、まだ楽に死ねたんだろうに。君、さては、マゾなんじゃないかね? 重度の」
エピローグ
結局、来栖の言っていたことは正しかったみたいで、般若心経を二度、三度と繰り返すうちにスクランブル交差点を中心とした暴動は目に見えて沈静化していった。
その間、ネガティブな精神状態を示す地図上の赤の点が実はスクランブル交差点を中心とした円内にあるのではなく、渋谷イルミナエを頂点とする扇形を描いていることに大杉が気付き、僕の聞き取りを担当したスーツの男の人(名刺を見たら、真野さんという名前だった)の電話に連絡、話を信じてくれるか不安だったけれど、すんなり僕たちの言うことを聞いてくれた。警官がイルミナエ高層階の展望フロアに向かったところ、スクランブル交差点から一番近い場所で倒れている女性が発見された。
首藤まほろ、四八歳。真野さんは渋谷駅血液散布事件捜査のために防犯カメラなどの画像を解析した際に来栖があえて血の球の直下に向かっていったのに注目。その直前、来栖がスタバ店内で額と両手にハンドクリームを塗る仕草を不審に思って同様の仕草を画像検索してヒットした論文の著者が文化人類学の研究者で大学非常勤講師の首藤だった。真野さんは首藤に捜査への協力を求めたが、それが結果的にあだとなってしまった。世界の呪術を研究していた首藤は来栖のおばあさん経由でもたらされた魔法についても心当たりがあったらしく、来栖からの直接の聞き取りの機会を得て、あとはこちらが予想したように映像なども参考にして来栖の魔法を再現したところ、実際に通じてしまったということのようだ。
首藤は長年研究に打ち込むも定職を得られず、最近は喫煙習慣がたたって肺がんにもかかり生活自体に行き詰まりを感じ、社会全体への憎しみを募らせていく様子が残された日記から読み取れたという。イルミナエで倒れたのも病状の悪化が原因で、現在病院にて面会謝絶の状態とのこと。
そういった情報を教えてくれた後で、真野さんはこう付け加えた。
「フロアの監視カメラの映像から、首藤が二回魔法を行使した後で倒れたのが気になるところなんですが」
「交差点の人が凶暴化した魔法以外に、何かやってるってことですか」
「いやね、捜査は証拠と論理が一番ってところがあるから、魔法とか言われても当然まともに取り上げることはできないんですけど、現に科学的に説明がつかない大事件がすでに二回も起きちゃってる。そして、それをすみやかに停止できたのは本人たちの実感としても、外からの映像の観察からも君の力なんですよね」
真野さんは顔を近づけてくる。
「表だっては魔法うんぬんを公言することはできないんですけど、今後この種の事件が起きたときに裏でぜひこれからも協力してもらいたいんです」
「それは、中学生ができる範囲でならいくらでも協力しますし、来栖にも伝えておきますけど。もし、協力しないって言ったらどうするつもりだったんです?」
「そりゃ、もちろん快諾してもらえると思ってましたよ。渋谷の頑固な血液汚れの掃除代とか、血の海から逃げるときに転んでけがをした人の治療代とか、そういった損害の費用は絶対にみなさんにかぶせないでおけるようにも手を打ってあるから、どうか気にしないで、ね」
自分の身の回りで立て続けに大きな事件ばかりが起こって、ちょっと疲れてしまった。
渋谷駅前暴動事件の後、案の定、親をはじめ会社の人から大目玉を食らったという大杉も、真野さんがフォローして僕たちへのマイク使用許可が勇気ある行動だったということにしてもらえて家庭の不和も解決。したのはいいのだけれど、ハーゲンダッツ三個でこちらは許してもらえず、いつもは断っている大杉御用達のカラオケボックスに連れ出されてしまった。なぜか、来栖もいっしょに。
こういうときは大杉が気分よく歌っているのをただ眺めるだけなのが常だった。今日もそうだ。来栖も不器用ながら感謝は示したいのでついては来たけれど、歌は苦手のようで放心しているのか軽蔑しているのかよくわからない光のない目で歌う大杉を見ている。
五、六曲歌った後で大杉が「そうだ、あれやってよ。般若心経」とか要らない水を向けてくる。「やらねぇよ」と即答すると、来栖が「お・きょ・う! お・きょ・う!」と手を叩いてくる。この野郎、調子に乗ってと腹は立ったが、反面、あのコミュ障の来栖が心を許してこんな茶々を入れるようになったかと少しうれしくなった。
「じゃあ、普通に歌うから!」
今回、自分のじじくさい習慣と思って同級生には特に言ってこなかったお経がこんな形で人の役に立つとは思わなかった。仕込んでくれた亡きじいさまにも感謝したくなった。
同級生が好きな最近流行りの曲を全然知らなくて、これまでカラオケを本気で避けてきたが、こんな古くさいセンスでも役立つことがあるんだ、と素の自分を見せてもいいような気がしてきた。僕が歌える歌を歌っていいんだ。
「それでは聴いて下さい! 映画『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』より、北島三郎、『ジャンゴ〜さすらい〜』!」
遠くから爆発音がした後、床が震えた。
引用・参考文献(登場順)
・加島祥造『引用句辞典の話』講談社学術文庫、講談社、1990年、p.19
・梶井基次郎「檸檬」(梶井基次郎『檸檬』新潮文庫、新潮社、p.16)
・日本医学ジャーナリスト協会編著・国立がんセンター監修『あなたのためのがん用語事典』文春新書、文藝春秋、2004年
・「出エジプト記」第一六章第一四節・第一五節(『聖書 聖書協会共同訳─旧約聖書続編付き』日本聖書協会、2018年、p.111)
・菊地浩之『日本の15大同族企業』平凡社新書、平凡社、2010年
・伊集院静『タダキ君、勉強してる?』集英社、2022年
・江上波夫、山本達郎、林健太郎、成瀬治『詳説世界史』山川出版社、1995年、p.184
・平木幸二郎、竹内整一、高木秀明、工藤文三、和田倫明、相良亨、中村元『高等学校公民科用文部省検定済教科書 倫理』東京書籍、1995年、pp.98-9
・第一学習社編集部編『新編倫理資料集』第一学習社、1995年、pp.104-5
・上野修『哲学者たちのワンダーランド[改版] デカルト・スピノザ・ホッブズ・ライプニッツ』NHKBOOKS、NHK出版、2024年
・「ヨブ記」第四一章第二五節・第二六節(『聖書 聖書協会共同訳─旧約聖書続編付き』日本聖書協会、2018年、p.818)
・上野修「残りの者 あるいはホッブズ契約説のパラドックスとスピノザ」「意志・徴そして事後 ホッブズの意志論」(上野修『精神の眼は論証そのもの デカルト、ホッブズ、スピノザ』学樹書院、1999年)
・トマス・ホッブズ「リヴァイアサン」1651年(トマス・ホッブズ(永井道雄・上田邦義訳)『リヴァイアサンⅠ』中公クラシックス、中央公論新社、2009年、pp.170-1、pp.237-8)
・「般若心経」(中村元・紀野一義訳注『般若心経 金剛般若経』ワイド版岩波文庫、岩波書店、1991年、pp.10-1)
・アポロドーロス(高津春繁訳)『ギリシア神話』ワイド版岩波文庫、岩波書店、1994年、p.40
・その他、ウィキペディアほかWWWの記事の記述を適宜参照した。
引用映画(登場順)
・「オカルト」(白石晃士監督・二〇〇九年)
・「ヴァチカンのエクソシスト」(ジュリアス・エイヴァリー監督・二〇二三年)
・「柔らかい殻」(フィリップ・リドリー監督・一九九〇年)
・「惑星ソラリス」(アンドレイ・タルコフスキー監督・一九七二年)
・「散歩する侵略者」(黒沢清監督・二〇一七年)
・「PERFECT DAYS」(ヴィム・ヴェンダース監督・二〇二三年)
・「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」(マルコ・ベロッキオ監督・二〇二二年)
・「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」(三池崇史監督・二〇〇七年)