母、心配する
それから、どれだけの時間が経過したか。
ハルピィは後頭部に、強烈な一撃を受けて目を覚ます。
「いっ…たぁ」
頭を両の手に抱え片目をつむり、見上げる天井。
白いベッドの上に掛かる自らの足。
軽く辺りを探る。
どうもベッドから落ちたらしい。
そうする内にスカートがずり落ち、肌色面積が増える。
あわや下着を晒す寸前、左手でスカートごと股を抑えた。
ホッと一息つくも、すぐにその顔を曇らせた。
「…なに、やってるんだろう。
わたし、男なのに」
ぽつり。自虐の意味を含み、そう呟くも、そのまま手を離そうとはせず。ベッドを蹴って足を下ろし、事なきを得る。
そこからベッドに手を掛け、上体を起こすと、女の子らしく座り込み。ベッドに両腕を乗せて組んで、その上に頬を乗せる。
「はぁ」
昨夜。あれは、もう今朝の話だったか。
寝不足によるハイで、ああして開き直りもしたが。いざシラフで自分が男だと再認識すると、どうにも胸に引っ掛かりを覚える。
「私…男なんだよね…?」
こうして女の子座りまで難なく出来るし、鳩胸というのか。胸も僅かとはいえ膨らみがあるというのに、男。
「爬虫類のち◯ち◯か。
たしかにそれっぽいのは……。だけど私って人間でもあるわけで。単なる見間違いかもしれないし、触れば分かるかもだけどそれは、なんか怖いし。
というか。この体に流れる鳥類の血が濃い場合にも、話は変わるだろうし。
下手をすると両性の可能性すらあるじゃない。
なんなのもう。鳥類であり爬虫類でもあり人類って。御先祖はケモナーか何かなの?
母さんなんて、まんま猫だし。
っていうそもそも猫の身で私のことを、どうやって産んだのよ。
はあ、なんか落ち着かない…生理的なものがくればハッキリするんだろうけど…。
そうなると無精卵とか産むのかな…。
それはなんかいやかも」
ベッドに背を預け、足を放りだし、二度、三度と溜め息を漏らす。
「仮に。
仮の話だけど。
男だから魔女にはなれないとか、破門なんて話には、ならない…よね」
ないと思うが、不安は拭えず。また、母は当然ながら、誰にも相談出来ない、もどかしさに、ただただ難しい顔で悩む。
母には、分からなかったと濁して伝えるか。
はたまた女だったで押し通すか。などの考えが膨らむ。
「そういえば、なんで服のまま寝て…。
ああ。昨日は晩ご飯どころか、お風呂にも入らず、本を読んでたんだっけ。
…お風呂入ろ。
って、あ゙ぁ。お弁当箱。
油ものをそのまま放置しちゃってた」
立ち上がって机に向かい、そこに置き去りになった弁当箱を手に、部屋を出る。
廊下をゆき、玄関で靴を履くと、外に出て右に曲がる。
そうして僅か進んだ先。
壁に立て掛けられた、直径五十センチほどの桶を横に倒す。
灰汁の入った水瓶の蓋を開き、それを傾け、濁った水を桶の中ほどまで流し込む。
その中に弁当箱を沈めた。
「とりあえず、しばらく漬け置きして、洗うのは後にしたほうがいいかな。
それにしても、母さんの姿を見ないけど。もしかして私の代わりに採集に出た…?
あとで謝らないと。また小声を言われちゃう…」
言うなり、来た道を戻って部屋へ。
着替えを用意し、それらを携え風呂へと向かう。
◇
ハルピィは先ず洗面所に入り、その奥にある扉を開いて脱衣所に移る。
すると正面奥に。大きな姿見が立ち、そこにハルピィの全身が映り込む。
寝癖にボサる空色の髪。疲れたような顔。
それはいいとしても、肩幅は狭く、腰から腕まで何もかもが細く、おおよそ男らしさの欠片もない姿。
鏡の前で軽く一周回って見た。
笑顔を作り首を傾げ、甘えるような仕草もしてみる。
美少女などと、うぬぼれるつもりは毛頭ないものの、どう見ても女子にしか見えない。
◇
それから五日ほど。
ハルピィは、あの日。風呂上がりに母と遭遇。
母には、あれこれ本を読んで勉強こそしたが、自分の性については不明なところが多く、未だ分かりかねると伝えた。
それに母は、それ以上の追求はせず。
ハルピィの不安は余所に、今も変わらず修行の日々は続いていた。
しかし、ここ数日のハルピィは、どこか上の空。
採取にしろ、実技にしろ。大小ミスが目立つ。
そんなハルピィの姿に母は、こうなった理由は、十中八九自分の口出しのせいだろうと、当たりをつけた。
「ハルピィ。今日は気分を変えて、お休みにしましょう。
これをあげるから村に行ってきたらどう?」
と言い、少し多めに小遣いを握らせた。
これにハルピィ。握らされた小銀貨をぼんやり見つめる。
「わ…たし、破門…?」
と呟く。
「え?どうして、そういう話になるの?」
と母。
「だって、おつかいでもないのに、森の外に出ていいって。
それにこれ。いままでどんなに多くても、一ヶ月のお小遣いは銅貨三枚だったのに。なのに銀貨一枚って。十倍くらいあるよ。
出てけってことなんじゃ…」
「や、あんたを破門にしたら、私。孫の顔を見れなくなっちゃうじゃない」
「でもこんな大金」
「デモも物議も無いっての。
今まで出掛ける機会を、そう与えなかったんだから、そりゃあ大金を渡す意味もなかったでしょう」
「…たしかに」
「大体、大金とは言うけどね。
銀貨一枚なんて、やれ新作の鞄だ季節の服だ、なんだ。
女の子の買い物の前には、塵に等しく散っていくものよ」
「銀貨が塵…」
「そういう訳だから。今日はお休み。気分転換に出掛けてらっしゃいな」
「え」
フワリ。
ハルピィの体が宙に浮き、足掻くがどうにもならない。
かと思えば急上昇。その体は木々を突き抜け視界より消えた。
しかし悲鳴は今も頭上より聞こえ、それは次第に遠ざかっていった。
「行ってらっしゃ〜い」
母は呑気にそれを見送る。