第三話:本心
義姉ベレニス視点です。
「違う。違いますっ。ワタシはただ、ただ……」
涙がポロポロ溢れてくる。
ああ、どうしてこうなってしまったのだろう。先ほどまでは確かにうまく行っていた。なのにまさか今この時に限ってレンブラントが現れるなんて。
そんなの聞いていないと叫びたかった。もう彼とはきちんと別れを告げて、新たな人生を踏み出したはずなのに、それが全部無駄になってしまった。
全部ローニャのせいだ。ローニャが悪い。彼女さえいなければ。
ワタシは一体、どこで間違ったのだろう?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ワタシは恵まれていた。
伯爵家の一人娘であり次期当主という身分。美しく優しいお母様。何でも願えば思い通りになる夢のような生活。
お母様に可愛がられ、使用人たちに見守られながら過ごす平和な日常。ずっと続くと思っていたそれが崩れたのは唐突だった。
全ての始まりは、お母様が天に召されたこと。
あまりに突然の死だったので、幼いワタシは受け入れられずにただ呆然としていた記憶がある。そしてお父様が伯爵代理となって、アゼラン伯爵家には後妻となる女性とその娘が迎え入れられた。
ローニャはワタシの従妹であり貴族の血の混じった平民。
いっそただの平民でいてくれれば扱いが楽だった。だというのに彼女はアゼラン伯爵家の血が入っている。どうせそのことを武器にしてワタシから何もかも奪っていくに違いない。
「よろしくね」なんて白々しい。とってつけたような笑顔が憎たらしい。どうせワタシのお母様の死を喜んでいるのでしょう。貴族になれたことに浮かれ上がっているのでしょう?
そう言いたいのをグッと呑み込んで、ワタシは彼女の手を払い除けた。
「ワタシを安心させて、それから地獄に突き落とそうとしてるんでしょ……? ひどい。ひどいっ。ローニャがワタシに意地悪をする。ワタシ、何も悪いことしてないのに」
そう、ワタシは何も悪いことをしていない。
なのに、その後ワタシの予想通りに全てがローニャの都合のいいように物事が進んでいった。
ワタシを構ってくれていた使用人たちを皆奪っていった。本人はそんなつもりはないだろう。しかし新しいお嬢様というだけで、当然のように注目はそちらに向く。
しかもローニャはワタシより可愛いと言われ、周囲の心をすぐに鷲掴みにした。奪われた心は、ワタシの元へは戻って来ることはなかった。
一方で今まで忙しいとかなんとかで一切ワタシに干渉してこなかったお父様は、なぜかローニャとその母親……お義母様と楽しげに話している。お母様とは政略結婚だった? 実は昔からずっとお義母様に片想いだった? そんなの知らない。政略結婚で生まれた娘であるワタシは愛してくれないくせに、どうして実の娘でも何でもなく全く別の男の血を引くであろうローニャを可愛がることができるのか。理解できない。したくもない。
――ああ、憎い。
いつの頃からか、もしかすると彼女と出会ってすぐの頃からだったかも知れないが、ワタシはそう思うようになっていた。
どんどんワタシから奪っていくのに、全くそのことに気づいていないローニャが許せない。
だからワタシは彼女とその母親を屋敷から追い出したくて、皆に自分がされていることを訴えた。
ワタシは何も嘘など言っていない。義妹からは奪われた。義母は存在するだけでワタシに暴力を振るっているに等しい。しかしワタシの言葉を聞いてくれる者は誰もおらず、結局全部無駄だった。
それでもワタシは良かった。だってまだ、レンブラントがいたから。
レンブラントはワタシの婚約者であり、お母様がワタシに遺してくれた大事な遺産のようなもの。そして、初恋の人でもあった。
でも、やがて彼さえもローニャに目を向けるようになって。
彼自身は「卑しい目で見るわけないじゃないか」と笑いながら言っていたけれどワタシにはわかってしまった。レンブラントとローニャが交わす視線がほんのり熱を帯びていることに。
それからしばらくして、案の定、婚約は解消された。
ワタシの味方はもう誰もいない。
後はどんどん奪われるだけだった。ワタシの居場所、自尊心、果ては次期伯爵家当主という地位まで。
だからワタシは決めた。いつかきっと、悪の元凶であるローニャやお義母様、お父様に復讐してやるのだと――。
そして十八歳のある日、ワタシの元に縁談が舞い込む。
それは冷徹と有名なリンチェスト侯爵との政略結婚。社交界で会ったことが数度あるだけの、ほとんど喋ったこともないような男。でもその縁談はワタシにとっての救いだった。
生家より身分の高い家に嫁げる。つまり、やっとローニャの上に立ち、彼女の悪行を公にすることができる。そのためなら淡い初恋を捨てて見知らぬ男へ嫁ぐことくらい何でもなかった。
「これでようやく、復讐が叶います。
憎いあの子も裏切り者のレンブラントも、これで終わり。長かった。本当に長かった……」
私は何よりも大切にしていたレンブラントからもらったネックレスをローニャのタンスの中へ放り込んだ。
これでもう未練はない。ワタシはこれから新たな人生を生きていくのだから。
「待っていてください、冷徹侯爵様。すぐにワタシが甘々に溶かして落としてたっぷり利用してあげますから……」
そう呟いたワタシは気づいていなかった。
まさかネックレスのせいで今の言葉を含め全て全てが筒抜けだったなんて――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リンチェスト侯爵は簡単に落ちた。
冷徹で有能な若き侯爵だなんて噂はまるであてにならない。ただ女を知らないまま育ってしまった哀れな男で、ワタシが涙を見せ、今までのことを訴えればすぐだった。
そしてワタシはまもなく、彼と結婚することになった。
結婚式にはもちろんローニャやお義母様、お父様を呼ぶ。そしてのこのことやって来た彼らに罪を突きつけ、破滅させるはずだったのに。
今ワタシはレンブラントに過去を暴かれ、逆に破滅させられようとしている。
何が悪かったのだろうか。わからない。運が悪かった? それともワタシの企みなんて最初から成功するはずもない馬鹿げたことだったということ?
ワタシの本心なんてきっと誰も知らないだろう。
だというのにワタシはただの嘘吐き悪女と決めつけられ、先ほどまでワタシを愛おしげに見つめていた侯爵にさえ捨てられてしまうに違いない。
やはりローニャはワタシの何もかもを奪っていく。ワタシはそれを取り戻すことも、報復さえも叶わない。
その事実がただただ悔しくて、涙が止まらなかった。