第一話:断罪
「ローニャ・アゼラン。貴様の罪はわかっている。私の愛するベレニスを長年に渡って虐げ、その上花嫁となった彼女を貶めようなどと、決して許されることではない!」
「…………」
鬼の形相をした男に、びしりと真っ直ぐに突きつけられる指。
私はそれを前にして言葉が出なかった。
男は、黒髪に青い瞳の美丈夫だ。
有能で美しい侯爵閣下。前者についてはともかく、後者については噂通りだと思う。
そして彼の傍に震えながら立っているのは、白いドレスを纏った美少女。名を、ベレニス・アゼランという、私の義姉だった。
「お義姉様、どういうおつもりですか。侯爵閣下に妙な嘘を吹き込んだのでしょう」
「……妙な、嘘? わ、ワタシ、嘘なんて」
「そうだ。ベレニスを侮辱するな!」
侯爵閣下の大きな声が、ホールに響き渡った。
ダメだ。もうこの男、すっかりお義姉様にいいようにされてしまっている……!
私は腹立たしい思いでお義姉様を睨みつけながら、胸の中に広がる怒りを噛み締めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私のお義姉様は嘘吐きである。
お義姉様の母親であった女伯が死に、彼女の夫の後妻として私のお母さんが選ばれたことによって私は伯爵令嬢となり、向かった伯爵家でお義姉様と出会った。
緊張しまくっていながらも、母にたっぷり言いつけられていたのでお義姉様と仲良くするつもりだった。自己紹介をして、「よろしくね」と言って手を繋ごうとして――。
「ワタシを安心させて、それから地獄に突き落とそうとしてるんでしょ……? ひどい。ひどいっ。ローニャがワタシに意地悪をする。ワタシ、何も悪いことしてないのに」
「えっ」
当時八歳だった私は相当驚いた。
だって、完全な言いがかりだったから。でもお義姉様はそれから泣き出してしまって私の話を全然聞いてくれない。
そして私は考えた。ああ、この子は今心が不安定なんだ。お母さんを亡くしたショックで錯乱しているだけ。
そう思って収めようとしたけれど、彼女の虚言はそれだけにとどまらなかった。
叩かれてもいないのにお母さんに「お義母様に暴力を振るわれた」と言い。
元平民である私たちとは住む世界が違うとばかりに、同じ食卓に着くのを拒んだことも多々ある。
私だって生粋の平民じゃないのに。
血縁としては、私とお義姉様は従姉妹にあたる。私のお母さんがお義姉様の母親の妹で、平民男性に恋して貴族籍を捨てたものの、私が生まれる前に最愛の夫を失っており、私たちのお祖父様から頼み込まれてようやく義父――伯爵代理と再婚することを決めたのだ。
私にはきちんと伯爵家の血が流れているし、付け焼き刃とはいえお母さんからしっかり貴族のマナーは教えられたから普通の令嬢とそんなに変わりないはず。
なのにお義姉様の向けてくる視線は変わらなかった。何かに怯えるようでいて、私たちを蔑むようでもある。そして度々周囲の人間にありもしない嘘を吐き、じわじわと私とお母さんとお義父様の評判を落としていった。
やれ、同じ食事を与えてくれない。やれ、侍女を全くつけてさせてくれない。やれ、使用人のようにこき使われている。
それを吹き込むのではなく、言葉の端々に匂わせ、相手の同情心を掴むのだ。本当に姑息な手段。でも私たちは耐えるしかなかった。
そんな十八歳のある日、私たちに救いがもたらされることになる。
お義姉様のあまりの虚言癖を知ってこれでは伯爵家当主が務められないと判断したお祖父様がお義姉様を嫁にやることを決めたのである。
嫁入り先は、ミック・リンチェスト。冷徹侯爵と有名な人物だったが、同時に有能で美しいという話もあり、行き遅れなお義姉様の嫁入り先にはもってこいだった。
「ただし難しいのは、お義姉様の説得ね。大人しく聞いてくれるかしら……」
そう懸念したものの、お義姉様は意外とあっさり嫁ぐのを承認してくれた。
そして「早くお相手の方にお会いしたいから」と言って最低限の荷物だけを持って屋敷を出て行ったお義姉様の後ろ姿を見ながら、私たち一同はようやくほっと胸を撫で下ろした。
……はずだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
なのに今、私は断罪されている。
侯爵とお義姉様の結婚式に呼ばれ、嫌々ながらやって来た先で、お義姉様のドレスを「よくお似合いね」と誉めた――それがなぜか貶していることになった――という完全なるいわれなき罪で、冷徹侯爵と噂の男から。
全然聞いていた人物像と違う! 何なのよ『愛するベレニス』って。夫婦仲良くするのは別に構いませんけどね、こっちまで迷惑かけないでくださいます!?
心の中ではそんな風に絶叫するが、実際に声に出せるはずもない。
だって私は元平民の伯爵令嬢、相手は侯爵。身分があまりにも違い過ぎるからだ。
「なんとか言ったらどうだ、ローニャ・アゼラン。……ふん、ダンマリか。それなら仕方ない。お前の両親の罪を暴いてやろう」
などと考えているうちに、断罪の対象がお母さんとお義父様に向いていた。
驚愕に言葉もなかったお義父様が、更なる衝撃に白目を剥く。お母さんは怒りのあまり顔を赤くしていた。
「まずはデュラウェード・アゼラン伯爵。お前はアゼラン伯爵家を乗っ取り、正当な後継者であるベレニスを追い出しただろう! それからリーザ・アゼラン伯爵夫人、お前の罪は重いぞ。何せベレニスに暴力を振るい、あるいは食事を抜いたり侍女をつけないなどして、無抵抗な彼女を執拗に虐げ続けたのだからな」
「ごごご、誤解です……! これは前伯爵殿と話し合って決めたことでして」
「わたくしの罪、ですか。全く身に覚えがありませんわ。きちんと調査くらいなさったらどうですの?」
ブチギレ寸前のお母さん。でもここで真っ向から対立してもしようがない。
だってこの舞台はお義姉様のもの。お義姉様の発言が全てなのだから。
「わ、ワタシ、ずっと虐げられ続けておりました。食事も、教育も、全て全て……。きっと要らない子、だったのでしょう。それでも当たり前だと思っていたのですが、ミック様に愛されて、目が覚めました。
ローニャ、反省してくれれば、許します。さすがにお父様の家督乗っ取りは容認できませんが……。どう、ですか?」
お義姉様は、私に何を反省しろというのだろう。
今まで彼女を野放しにしていたこと? 義姉の名誉のために彼女が嘘吐きだという真実を隠してあげていたこと?
わからない。わからないが、少なくとも私が言えるのは、非はお義姉様の方にあるということだった。
「私はあなたを貶めるようなことをした覚えがありませんわ、お義姉様。証拠はありますの? 一方的にこちら側を糾弾するなど、姑息な手段と思われますわ」
「……ほら、またワタシを……」
「ローニャ・アゼラン! なんという言種だ。この天使のようなベレニスを罵るなど!」
「罵っていません。ただ事実を話しているだけではないですか。証拠はあるのですか、証拠は」
「裏は取れている。アゼラン伯爵家の人間から全て聞いた。最初こそ嘘ばかりを言っていたが最後には口を揃えて、お前たちの真実を語ってくれたぞ」
侯爵閣下の言葉に、私は絶句した。
それはつまり、拷問したということに他ならない。侯爵という絶大な権力を前に、使用人が敵うはずがないからだ。
きっとそれもこれもお義姉様が仕組んだこと。でもどうして? お義姉様はどうして私たちをこれほどまでに追い詰めたいのだろう。自分は花嫁になって幸せになるはずなのに。どうして今更? 理解ができなかった。
「ほら、言い返す言葉もないだろう」
「ローニャ……残念です。あなたなら、もしやと思っていたのに……」
「ベレニスは慈悲深いな。だが俺は、大罪人である彼女にくれてやる慈悲はない」
冷徹侯爵。その名の通りに氷のような視線を私たちに向ける侯爵閣下は言い放つ。
「すでに手は回してある。今頃騎士団が向かい、お前らの家にある証拠は全て押さえられていることだろう。観念するんだな、アゼラン伯ッ!」
「なんですって! なんて勝手なことを!!!」
とうとう抑えられず、怒りを爆発させたお母さん。
当然だ。我が家を侮辱され、ありもしない罪で糾弾されたのだから。
しかし彼女は侯爵家の護衛によってすぐにねじ伏せられ、床に組み伏せられる。私は慌てて助けに入ろうとしたが、ある人に止められた。
「……行かない方がいい。このツケは、しっかり払わせるから」
それはお義父様の声ではなかった。
振り返ると、そこには見慣れた顔がある。でもここにはいないはずの人物だった――。