帰り道には気をつけて、それが空想の旅だろうとも
私は女性の肉体を持ち中身はゲイのノンセクショナルだから、ものすごく固い友情を結んだ男と旅行とか行きたい。その男は男性の肉体を持った中身はレズビアンのノンセクシャルでもいいけど、別にヘテロの男でいい。めちゃくちゃ仲が良く、気を遣わずにお互い自然体でいられて、何食べる? って言ったら気分でんー、ラーメン? とか言って慌ててスマホで調べてその地で一応メインを張ってるスープに浸かった麺を食べたりして、自殺の名所に設置された公衆電話の前で写真を撮ったり、突如皿に絵付けしたりして、出来上がったら家に送ってもらう段取りとかして、それで日が暮れるかどうか、って頃に宿に着きたい。運転は友だちにしてもらって。なぜなら私は運転がめちゃくちゃ下手なので助手席の彼は落ち着かないに決まっているから。
夕食は部屋食で、中居さんは当然私たちのことを夫婦か恋人同士と考えるけど、ちょっと新鮮な息遣いを感じ取って、不倫の逃避旅行と思うかもしれない。友人同士で旅行に行ってはいけない決まりなどないはずなのに。ただ見た目が男女というのはどこへ行っても説明が不要なところがあり便利だった。
私は友だちが飲むなら飲むし、飲まないなら飲まない。どっちでもいい。近頃は全く飲まなくなったから、私は自分の量を忘れてしまっている、きっとすぐに酔う安上がりな身体になってる、から絶対に飲み過ぎないように用心する。ベロベロになったらどうでもよくなってヤッてしまうだろうからそれだけは避けなければならない。きっと友だちは酒豪、一人で何本もとっくりを空ける、私は飲めとも飲むなとも言わない。誰かに何かを強要するなどしたくもないしされたくもない。手酌で飲む友だちに気が向いたらついであげるくらいだ。おっとっとととととか言う友だちを見ながら。嬉しそう、私といて嬉しそうだな、この人、とか思いながら。
ごはんを下げてもらったら大浴場に行く。ちょっと、と息をついてしまうと100パーの可能性で寝転がってしまうからさっと浴衣をはおってその勢いのまま二人で部屋を出る。どっちが持っとく? お願い、と言って、部屋の鍵は友だちに持っててもらう。時間を気にせずゆっくり浸かれる、ありがとう、こういうところが大好き、と幸せという名の湯に浸る。
お湯質は最高、柔らかくとろっとしていて私の肌にまとわりつく。私は女性の肉体を持っているから堂々と女湯に入って堂々と女たちの裸を見る。私の中身がゲイでなければいいのに、と思う。私の中身が男のままだったなら、私は女性の身体に魅力を感じていたに違いない。柔らかそうだ、丸みを帯びて、骨張ったところがない、きめの細かな腹の上を湯はさらさらと流れ、歩いて脱衣所に行くまでにはもう乾いてしまう。あの身体を抱けたなら、と思う。しかし全く魅力を感じない、むしろおぞましくさえ感じてしまう、なぜなら私が所持しているものがそれだからだ。
気を取り直し、私は露天風呂で肩まで浸かったり上半身丸出しにしたりしてお湯から出たり入ったりを繰り返す。見上げると夜空。お月様はまんまる、に少し足りず、満ちてゆくわたし、抜け殻になってゆくわたし。
洗面台で時々お風呂あがりにお化粧をする人を見かけるけど、私は綺麗さっぱり何もかもを洗い落とした顔のまま、髪だけは丁寧に乾かし、部屋に戻る。とっくに部屋に帰っていたらしい友だちは、中居さんが敷いてくれた布団の上でいびきをかいて眠っている。テレビと電気がつけっぱなしだ。
私はテレビを消すと友だちを起こす。当然酔っ払った友だちは起きなくて、いびきは一層大きくなる。仕方がないから私は友だちの寝顔を見ながら詩を書く。スマホのメモに。私はポエマーだからいつでも心情を文字に写しとってしまう。時々窓際に行っては月を見上げたりしながら、私は友だちのために、心を込めて、今の私を、手のひらの中のディスプレイの中に閉じ込める。まぶたが重くなり、そのまま布団に潜り込んで私も眠りにつく。
鼻息で目が覚める。どのくらい経ったのか、男の顔がすぐ目の前にある、私は穴が開くほど見つめられている。夜は明けていない、部屋の中は薄暗く、障子越しの月明かりにより男の輪郭が浮かび上がる。私は腕をつかまれる。ふりほどこうと、身体をねじってみせると、男は私の上に馬乗りになり、私は彼の両足で挟まれる格好になった。たまらない、と思う。私など、ひとたまりもない、一捻りで殺されてしまう圧倒的な力の差を感じる、その手に力を入れられたなら最後、ぽきという音を立てて骨は砕け、圧迫された血管は上にも下にも血を巡らせることができなくなり、やがて破裂し、私はガワフッと言って血を吐いて死に絶える。それなのに、この仲の良い私の友だちは、それをしない。私など一瞬で捻り潰してしまえるのにそれをしないという瞬間の連続に狂おしく私は萌える。骨張った手が、威圧的な骨格が、血管の浮き出る筋肉が、私を押さえつける全てが、私を鷲掴みにしてゆっさゆっさと揺らした。私の身体が女の形をしていてよかったと思うのはこういう時だ。入れ替わって教えてやりたいと思う、あなたの身体に組み敷かれるのがどれほど心細く、加護されるのがどれほど心強いのかを。
やがて友だちはふうと肩の力を抜いて、私の上から降りる。気持ちをお遊びの中にむぎゆうと押し込めて、おしまいにして。殺されるかと思っていた私の心臓はまだ激しく鼓動している。彼のことが愛おしくて泣きたくなる、かつては私もものすごく仲良くなった延長線上にセックスがあった、応えられない自分が不甲斐なく、いや、別にしてもいいのだけどそうしない私を尊重してくれる彼を尊重しなくては、と思う。
それから私たちは布団の上に身を放り出したまま、朝まで語り合う。話題は尽きない、まるで年寄りの親戚が顔を合わせた時みたいに、お互いがお互いの話したいことを一方的に話す、聞いちゃいない、相手の話など聞いちゃいない、ただ言いたいことを言う、私の女性の頭蓋骨に入った脳みそではとうてい彼には敵わない、優劣の問題ではなく、ただの差異だとわかってはいるが、私はいまだにクラッチとアクセルとブレーキの関係が理解できず、台風が近づいてカップラーメンが膨らむ原理を聞いてもその端から忘れてゆくのだ。聞いちゃいない上に理解不能な友だちの話が、それでも私は好きだった。この時間が好きだった。まもなく空が白み始めるだろう、私たちは少しだけまどろんで、だけど食い意地により目を覚ましたなら食堂まで行って朝食を食べるのだ。浴衣の上に茶羽織を羽織って、すっぴんで、手を繋いで、廊下を歩いて、さも三年に渡る不妊治療についに見切りをつけ、お互いを労うために旅行にでも、と行ったあの旅先でのあの一発、あれで自然妊娠、やっぱりストレスって大敵なんですね、と後から思い返すことになる一夜を過ごした二人であるかのような佇まいで。
宿を出て、またスマホで慌てて調べてなんとか村とかいうドイツかオランダかデンマークだかをモチーフにしたレジャーパークまで車を走らせる。今度は私の運転で、念のため、友だちの酒が抜けていないことを危惧して。着いたら真っ先に私たちはソフトクリームを食べる。全国共通ご当地ソフトクリームは安定の美味しさ、それからパターゴルフを申し込んだ私たちは6ホール目くらいで飽きて残りの3ホールをすっ飛ばしてアスレチックを通り抜けて、一面の花畑の中に埋もれた姿を通りすがりの家族連れのママに写真に収めてもらって帰路につく。朝おかゆをたらふく食べた私は全然お腹がすかないから、昼食は遅めに、何食べる? んー、ラーメン? またあ? とか言いながら、ほとんど夕方、変な時間なのに程よく混んでるロードサイドのラーメン屋さんに寄って、もう好きな味のスープに入った麺にして、思いの外美味しくて、また今度来よう、覚えておこう、なんて絶対二度と来るわけないのに店の名前を確認したりして、最後は彼の運転で帰る。
レジャー帰りの有料道路は、遊び疲れた身体を乗せて、先取りした月曜日の憂鬱を乗せて、テールランプの帯をつくる。のろのろと、ほとんど動かず、走行車線のトラックと、抜きつ抜かれつの追い越し車線の私たち、軽くブレーキペダルに乗せた足を浮かせたり踏み込んだりするだけの友だちの、運転する時だけ眼鏡をかける横顔を見つめ続けていた私のせいで、車内にはむせかえるようなみだりがましい熱が充満していた。我慢しきれなくなった私は、手を伸ばして彼のものを確認する、彼も疲れていたのだ、心地よい全身の疲労、と裏腹に熱く固く、私はシートベルトを外すと彼の方へ向き直り、彼のカーゴパンツの前を開けたなら身体を折り曲げてそこへ顔を埋める。パンツのウエストのゴムを下げて、顔を出したそれを咥えると、ゆっくりと根本まで口に含んだ。
友だちは相変わらずペダルの上に乗せた足を浮かせたり踏み込んだりするだけだ。車はのろのろと進む、何ひとつ変わらない、運転しながら私に口でされても何一つ変わらない、ペダルを踏み間違えて急発進したりなどしない、たまらなくなって私の頭の動きは早くなる、並走するトラックの運ちゃんからは丸見えかもしれない、前を走るプリウスのルームミラー越しにも見えているだろうか、あるいはすっかり陽の落ちた、月も顔を出さない曇り空の晩には何も見えないのかもしれない、構やしない、ただ友だちの運転の技術を信頼してはいるが、あんまり長引かせるものでもない、こんな狭い車中で、走行中にだ。私は舌を駆使して、最善を尽くす、彼は果て、私は素早く身体を起こして飲み込むと、前を向いてシートベルトをしめる。
いいことをした、とは思わないが、悪いことでもないはずだった。なのに私は罪悪感でいっぱいになる。私の中身が女だったなら、もっと異なるやり方で、彼を愛することができたに違いなかった。愛しくて、愛しくて、とても慈しみたい、と思った先にそれはあった、耐えきれずしてしまった、けれども仲良くなるのにもっとましな方法はないのか、と思う。私は濡れてもいない、彼は満足しただろうか、もしかして傷つけてしまったかもしれない。
あの皿が、彼が口を開く。昨日絵付けをした皿のことだ、すぐに私は何のことかわかる。あの皿が届いたら、パスタでも作って食おうぜ。皿の出来のよさを信じて疑わない彼の口調に、私はせっかく我慢していた涙が溢れてこぼれ落ちるのを止められなくなった。パスタが残り少なくなるにつれ、少しずつ現れる絵を私も早く見たいと思う。うん、楽しみ。後から後から涙は溢れ、止まらなかったが、罪の意識はどこかへいって、ただ彼の飾らぬ優しさが、沁みるままに流れる涙に取って代わられていたのだった。
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