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永遠の人魚姫 ~世界はやがて一つにつながる~  作者: 伊奈部たかし
第2章 素性を隠す人魚姫と自分の正体を明かすことを躊躇する王子のソロモン潜入編
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第75話 カノンの涙

 どれくらい時間が経っただろうか。

 カミーユはゆっくりした時間の流れの中で、自分に集中していた意識を解いてみた。

 ずっと組んでいた手を開いてみる。手の平には汗が滲んで、指で触ると溶いた絵の具のように汗は手のひらで広がった。

 自分でも気づかない内に緊張していたらしい。


 ハンカチを取り出し、手の平の汗を拭きながら周りに目を向ける。ハイドライドは目を閉じて黙考している。イースは黙々と武器の手入れをしていた。リーファは頬杖をついた状態のまま寝てしまっている。キスカは遠くを見据えた目をして室内の一点を見つめている。デニスとザースは部屋の入口付近で壁に寄りかかりながら、時折とりとめのない会話を交わしていた。


 一時前に、待つことに耐えかねた二人は痺れを切らして「私達はニース様を救いに行く」といきり立ったが、キスカに「今、グロティアの屋敷に行っても意味がない。止めろ」と強い口調で止められると、そこから静かになった。キスカに制止されたこともそうだが、キスカの忍耐力と途切れない集中力を見て、腰を据えて待つこと決めたようだ。


 もう一度キスカの方へ目を向ける。

 終始居住まいを正しながら静かに待つキスカ。

 決して口数の多くないキスカが、仲間や部下から信頼されるのはこういうところなのだろうな、と感じた。

(たいしたものだ)


 寝ていたリーファが目を覚まし顔を上げるのが、目に入った。

 その直後に、ノックがあり、部屋の扉が開かれた。


「キスカ様。王女がお呼びです」

 その一言で、皆の意識が一気に高まった。


「分かった。すぐ行く」

 キスカは、変わらず落ち着いた態度で静かに部屋を出て行く。


 ついにその時が来た、誰もがそう感じた瞬間だった。


 間もなくキスカが部屋に戻ってきた。

「王よりグロティア拘束の内示が出た。王宮の近衛兵が今からグロティア及び側近であるシュラの屋敷へ向かう。私も一隊を率いてグロティアの屋敷に向かう。ビルバオ、デニス、行くぞ。私についてこい」

「おう。待ってました」二人は喜び勇んで拳を握る。


「カミーユ、ハイドライド、イース、リーファ。あなた達はこのままここにいてください。王女が話をしたいと言っていました」

 リーファが代表して返事をする。

「はい」


「留置場にいるマキは、私達が責任をもってこちらに送り届けます」


「では、急ぎますので、これにて」

 手際よく一気に内容を伝えると、足早に部屋を飛び出していった。

 デニスとビルバオが4人の前に来て一礼する。

 無言であったが、言葉では言い表せない感謝がそこにあった。顔を上げると、全身に気合を漲らせながら勢いよく部屋を出ていった。


 部屋に取り残された4人は互いに顔を見合わせる。

 リーファが椅子から立ち上がりドアの方を見て言った。

「ついに動いたわね」

「キスカもデニスもビルバオも張り切っていたな」

「彼らにとっては待ちに待った瞬間だった」

「俺らも腰を上げたいところだけど」

「止めておけ。俺らは部外者だ」

「そう。彼らに任せておこう」


「ほっとしたら、お腹がすいちゃった」

 リーファがお腹をさすって言った。

「そう言えば。襲撃以降ずっと緊張のしっ放しだったし、食事らしい食事はしてなかったからね」ハイドライドも頷く。

「美味しいご飯おねだりしてみようかな」

「今日はもう遅い。シェフは皆寝てしまっただろう。美味しいご飯にありつけるのは明日の朝だね」

「明日の朝かあ。ああ、明日の朝が待ちきれない」

 リーファは心の底から残念そうにつぶやく。


 4人が一息ついて談笑していると入口のドアが突然開いた。

 カノン王女、ボージャン、そしてもう一人の男性が部屋に入ってくる。

 カノン王女が4人に話しかけてきた。

「みんな、こっちにいると聞いて一言挨拶に来た」


「どうやら、うまく事が運んでいるみたいだね」

「お陰様で」

 カミーユが応えるとカノン王女は、疲れの残った表情ではあったが、清々しさを込めて言った。


 カミーユは、カノン王女の後ろの人物に目を止める。

(もしや。そこにいるのは!)


「カミーユ王子は御存知だと思うけど紹介します。私の父であり、現ソロモンの国王であるバース・ロイス・ソロモン閣下だ」

 4人は剣を床に置き、片膝をついて頭を下げる。


 ソロモン国王は人懐っこい笑みを浮かべて手招きする。

「良い良い。固い礼は抜きにしてざっくばらんに話をしよう」

「カミーユ王子。本当にあのカミーユ王子なのか? 儂のことは覚えているかな」


 カミーユはそっと顔を上げ、ソロモン王に顔を向けるとしっかりした口調で答えた。

「はい。ソロモン王。私はまだ子供でしたが先日のことのように覚えております」

 王は満足そうに優しい微笑みを向けている。8年前の王と出会った「あの日」と同じ笑顔がそこにあった。

「久しぶりにご尊顔を拝見することができ、このカミーユ、歓喜の極みです」

「儂もじゃ。カミーユ王子がこの城に来ていると聞いた時は、信じられない思いだったが、いるとなれば是非とも会いたいと思ってな、会いに来たわけじゃ。何故ここにいるかは聞かないことにする。事情があるのだろう」

「これから、ボージャンとカノンと国の事で決めないといけないことがたくさんある。ゆっくり話したい所ではあったが、またの機会にさせてくれ」

「はい。ソロモン王。戦争は...どうされるのですか?」

「戦争は止める。周辺国には和議を申し入れるつもりじゃ。勝手な言い分を受け入れてくれればの話だが...。デグレトではお互い苦い思いをしたが、いずれブエナビスタにも和平の使者を送ろうと思う。問題が山積みなのでまだまだ先の話になるがな」ソロモン国王は近所のおじさんが若者に話しかけるような口ぶりでカミーユと挨拶を交わすとうれしそうに目を細めて笑った。


「では、儂はこれで。バタバタして申し訳ないが、そなた達はゆっくり寛いでいってくれ」

「はい。お忙しい中わざわざ会いに来てくださり、ありがとうございます」

 カミーユは国王に対して、深々を頭を下げた。


 次いでボージャンが横を歩きざま、肩に手をかけた。

「カミーユ王子。ありがとう。そなたの勇気がこの国に希望を授けてくれた。また会おう」

 肩の上に置かれた手に力がこもるのを感じる。

「はい。ボージャン様」

 カミーユはボージャンと目を合わせる。

 ボージャンの顔は目の前にそびえる困難をむしろ楽しむが如く、自信に満ち溢れたものだった。そこには国を想い、長年政治に携わってきた人間の矜持が感じられた。


 続いて、カノン王女がカミーユの前に現れた。

「国王様、ボージャン様。先に戻っていてください。私はカミーユ王子と少しお話した後、部屋へ戻ります」

「そうか。分かった。では先に戻って話をしている」


「いいのか? 国の今後を決める大事な話だろ」カミーユは心配そうにカノン王女を眺める。

「いいの。私もこれから忙しくなるし、明日、明後日、明明後日も時間がとれるかどうか分からない。今解決できることは今解決しておきたい」


 カミーユが聞き返す。

「解決?」

「そう」

「グロティアがブエナビスタ国境海域で何やら調査している。その内容を探るために、わざわざこのソロモンまでやってきたんでしょ」

 カミーユはコクリと頷く。

「キスカと近衛兵でグロティア逮捕に向かわせている。グロティアが逮捕されれば、その全貌が明らかになるはず。万が一逃げられたとしても、グロティアの執務室を調査すればなんらかの証拠は出てくると思う」

「そっちの手配は私に任せて。カミーユ達が自由に調査できるよう段取りしておくわ」

「それとマンゴランの店を拠点にブエナビスタの密偵がいたみたいだけど、直近で撤退している。どこへ行ったかは分からない。拠点を変えたか、密かに国に帰ったか。まあ、さっき国王も言った通り、戦争も終わるからもう必要ないと思うけどね」


 カミーユへ伝えることを一通り伝え終えると、王女は一歩下がって畏まっているリーファ達を手招きした。

「みんな。こっちへ」

 リーファとハイドライドは、顔を見合わせながら王女の近くに移動した。イースも床に置いた武器を持って歩いてくる。


「まずは謝らせて下さい。先日は皆さんに対し、無礼な態度をとってあなたたちを辱めたこと、心より謝罪申し上げます。人として恥ずかしい気持ちでいっぱいです。本当に申し訳ありませんでした」

「さらにあなた方の勇気ある行動によって、この国及びこの国の人達が救われるかどうかはまだまだこれからにかかっているのですが、少なくとも立ち直るきっかけをいただきました。そのことは本当に感謝してもしきれません。この国の王女として、改めて礼を言わせていただきます。国民があなた達の功績を知ることはないのですが、私はあなたたちのその勇気と行動を永遠に忘れることはないでしょう」

 カノン王女は一気にしゃべり終えると、大きく息を吐いた。


 ハイドライドがカミーユの方へ顔を向けて、同意を求める。

「いいよ。別にたいしたことしてないし。なあ」

「そうそう。そんな畏まってもらわなくても」

「・・・」イースも無言で返事をする。


「全てとはいかないまでも、作戦はうまくいったみたいですね。それなら留置場に残したマキを迎えに行きたいのですが...」

 そう言ってリーファは、イースとハイドライドに目で合図を送り、出発を促す。


「私の身代わりになった彼女なら、キスカが迎えを手配しているはずです。直にこちらに到着するでしょう」

「そうですか。ありがとうございます」リーファは感情のこもらない声でお礼を言った。

「それと、ボージャン様のお屋敷に立ち寄った際、誤って門を壊してしまいました。そこの修理を是非ロカの村にいた子供達にお願いしたいのですが。あの子達、本当に一生懸命働くんです。代金は全額こちらで負担しますが、今は手持ちがなく、できれば代金の立替をお願いしたいのですが」

「その件は聞いてます。お安い御用です。承知しました」

「よろしくお願いします」


 リーファはペコリと頭を下げると、今度は声で二人に出発を促した。

「それでは行きましょう。ハイドライドさん、イースさん。後は王子と王女様の二人で」

 立ち去ろうとするリーファを王女は慌てて呼び止める。

「あっ、いや、待って」

「リーファさん。あなたともお話したいことがあります。もう少しだけ付き合ってもらえますか?」

「・・・はい」


 カミーユはリーファの機嫌が露骨に悪いのを感じていたが、その理由までは理解していなかった。

(全てがうまくいっているのに、どうしてあああからさまに機嫌が悪いんだ?)

(特にカノン王女に対しての当たりが強い。まだ拘束されたことを根に持っているんだろうか?)

 カミーユはできれば、二人には仲良くなって欲しかった。異国の地で、その国の王女と手を携えるのと敵対するのでは、今後の行動に対する影響が全く違ってくる。

 だが、そんな些細なことに口出しするのもどうかと思い、ハラハラしながら二人のやり取りを見守っている。


「今回の行動のきっかけはあなたの発した言葉だったそうですね。ボージャンとキスカがあなたの勇気と誠実さを絶賛していました」

「そんなことはないです。みんなで決めたことです」

 リーファの返答は相変わらず素っ気ない。


「申し訳ありませんが、二人で話したいことがあります。男性の方は席を外してもらってよろしいですか?」

「ん。ああ、分かった。行こう。ハイドライド、イース」

 カミーユはそう言って、2人を部屋の外へ連れ出した。イースはともかくハイドライドは不満そうだったが、お構いなしに部屋から追い立てた。


 王女が部屋を出ていった3人を見送ると、視線を戻しリーファに向けて言った。

「さあ、もう遠慮はいらないわ。ここからは王女とかそういうのなしで、本音で話をしましょ。私の事もカノンと呼んでいいわ」

 王女は快活な笑顔を見せる。

 リーファは突然の王女の態度の変化に戸惑った。

「話すって何をですか?」リーファの態度は刺々しい。


「何となくだけど、あなたにはちょっと特別な何かを感じるの。聡明で芯が強い。それでいて自分の立場をわきまえた行動や発言ができる。女は自分の感情に心も体も支配されがちなんだけど、あなたにはそれを適度に抑制できる知性がある。どうかしら。カミーユ王子は言っていたわ。あなたがソロモンに行くと決めたから自分もついていくことに決めた、と。一国の王子にそこまで決断させるあなたは何者なの? いろいろと秘密も多いようだけど訳アリなの?」

 最後は興奮して若干咎めるような口調になっていた。


 リーファはふぅとため息を吐く。

(なるほど。そういうことか)

 そこでリーファはカノンの苛立ちとその理由を理解した。

「買いかぶりです。私はただの庶民。ブエナビスタ王国デグレト島の出身の庶民です」

「嘘でしょ? とてもそうは思えないわ。その洗練された所作、全体を俯瞰した上での行動力、庶民でいながらその若さでそんな力が備わるとは思えないけど」

「どんな答えをお望みですか?」

「例えば、どこぞの王国の姫だとか...」


 リーファはカノン王女を睨みつけた後、ふっと目を背ける。

「図星?」

 カノンが勝ち誇ったような目を向ける。

「想像に任せます」

「さっきから、ご機嫌斜めなようだけど」

「疲れているんです。いろいろあったから」

「それだけが理由じゃないでしょ」

「・・・・・」


「機嫌が悪い理由は、私がカミーユ王子の婚約者だから」

 リーファは一瞬目を瞠るが、すぐに平静を装う。

「図星ね」

「彼のことが好きなの?」

 カノンのいたずらっぽい指摘に思わずムッとなり睨みつけてしまう。


 ソロモン王国の王女カノン。気持ちが真っすぐで裏表のない竹を割ったような性格。反面、王侯貴族の持つ特有の傲慢でどこか人を見下すような言動も見え隠れする。無意識にだろうけど自分が王女だと言うことを鼻にかけている。性格的に嫌いでないのだが、人の一番繊細なところを無遠慮に踏み込んでくる神経にイライラする。


(王女と言うなら私もれっきとした王女なんだけどね。その王女に対してどんな口聞いてるの?)

 持ち前の気の強さが、顔に現れているのが自分でも分かる。


「あなたはどうなんですか? カノン。彼との結婚を望んでおられるのですか?」

「そうね。カミーユとは8年ぶりに予想もしない展開で会ったけど、パッと見、見とれてしまうほどたくましく成長していた。一国を背負う風格はまだ十分ではないけど、そこは伸びしろかしら」

「たくましい? 私の印象はちょっと違うわ。たくましいよりむしろ優しいかな。リーダーシップを発揮するよりむしろ周囲に気を配り、謙虚に周りの意見を尊重する感じ。頼りなげに見えるのは優しさの裏返しだと思っている」

 何故か、ついムキになって言い返してしまった。張り合っても意味がないのに。


「彼の事よく観察してるのね」

「今まで一緒に行動してるので、あなたよりは把握しています」

「私に張り合うなんていい根性してるわね」

「・・・・・」

(あのさ。あなたがさっき、本音で話しましょうって)


「カノン。カミーユ王子をだしに使って私を試すのは止めてください。あなたこそ、言いたいことがあればはっきり言えばどうですか?」

 リーファは真っすぐにカノンを見据える。


「さすがね。全てお見通しって訳ね」

 カノンは小さく息を吐いて、肩の力を抜いた。

「じゃあ。正直に言うわ。私はカミーユ王子を気に入っている。結婚するなら彼のような男性だと思っている」

「...だけど、彼との婚約は解消しようと思っている」


「えっ、なんで?」


「彼はブエナビスタ王国の次期国王。彼と結婚すればその后としてブエナビスタで生活しなければならない。それはすなわち、ソロモン国の人間じゃなくなることを意味する。私は今回のことをきっかけに決意したの。ソロモンのために、ソロモンの人々のためにこの一生を捧げると。今の王にはこの国を継承すべき男子がいない。王家の血を引く者として、私はこの国及びこの国の民とともに運命をともにする道を選ぶ」


「そういうことよ。だからどんなに気に入ろうと好きでいようとカミーユ王子と私は結婚はできないの」

 そう言ったカノンの横顔は寂しい気持ちを無理やり押し込めているようにも見える。


「だけど、カミーユ王子がどこの馬の骨とも知らない軽薄な女と結婚するのは我慢ならない」

「なんとなく女の勘だけど。カミーユ王子はあなたのことを気に入っているように感じた。そして、あなたも満更ではない様子だと」

「うっ...」

 リーファは反論しようとしたが、咄嗟に言葉が出なかった。カノンはそのまま話を続ける。


「それで、あなたが王子にとってのパートナーとして相応しい人か探っていたの。そんな腹の中を探るような真似されたら、誰だって不愉快になるわよね。そのことは謝るわ。ごめんなさい」カノンは目を伏せる。そこに嘘は感じられなかった。

「私は本当はカミーユのこと、カミーユが認めたあなたのこと、もっともっと知っていろいろな話をして仲を深めたかった。ううん、違う。羨ましかった。カミーユもあなたもお互い信頼し合い支え合っている。そんな二人の関係性が羨ましかった」

「だから、だから...。もし、リーファ。あなたがカミーユ王子を気に入っているのなら、あなたに彼を託したいと思っている」

「これが私の本音。これを伝えるために、わざわざ残ってあなたと話し合いの機会を設けたの」


(そう。そういうことだったの)


 王女にさっきまでの威勢はない。不安も弱さも吐露した一人の女性が目の前に立っていた。


 恐らくこんな話をしたのは初めてだろう。王女としてのプライドを捨ててまで、自分の想いを、大切なものを私に託そうとしている。


 カノンは口角を上げて笑っているように見えるが、王女のプライドがギリギリのところで彼女を笑顔にさせているのだろう。本当のところは...とても寂しいのだと思う。


 リーファは王女の側に寄り、軽くハグすると、王女の体の震えが伝わってきた。声を抑えながら泣いているのが分かる。

「分かったわ。カノン。カミーユ王子のことはリーファにお任せください。大丈夫。だから、泣かないで」


 リーファの目からも涙が溢れてくる。




 成長すればする程、選択と決断を迫られる。

 時にそれは絶望に匹敵するほどの残酷さをはらむこともある。


 自分の周りの世界が当たり前だと思い込んでいた中で、段々とそうではないと分かってくる。時に大事な何かを手放さなければならない。その喪失感ははかり知れないだろう。それは自分が今まで万能だと思っていたことがそうではないと突きつけられることに似ている。

 人はつい選択しなかったもの、失ってしまったものの大きさに目を奪われがちだ。可能性に満ち溢れていたものが、いつの間にか可能性という名の幻想だったと分かってしまう、その途端に自分がちっぽけな存在に思えてしまう。

 経験を積めばそんな喪失感をいちいち気にしなくはなるが、経験が浅いとそんな自分に嫌気が差してくる。

 可能性がなくなるにつれ自分が自分でなくなるような感覚に陥る。そういう感覚と向き合うのはつらい。つらいけど涙と共に乗り越えなくてはならない。

 そうして、強くなっていく。

 強くなり、その強さが自分と他人を支える原動力になっていく。


 正に、カノンは国を支える選択をして、カミーユとの恋を諦めるという選択をした。彼女の中で失うものの大きさがどれ程かリーファには分からないけれども、彼女が大きな喪失感を抱いていることは確かだと思う。もしかしたら、8年前の出会いからカミーユとの再会を心待ちにしていたのかもしれない。その恋に彼女は自ら終止符を打った。


 リーファは、カノンの髪をそっと撫でた。

(カミーユのこともそうだけど。不安...なのよね。今まで他人事だったけど今後は自分が国の政策を決めて行かないといけないんですもの。国の未来を背負う覚悟。王女としての自覚。そして、自分の心を偽らずに私に本音を告白したこと。あなたはきっと素晴らしい女王になれる)


「カノン。頑張って。応援してる。何かあったらカミーユと私を頼ってきて。必ず力になる」

 リーファの言葉にカノンが小さく頷いた。


 リーファは、ハグした状態から手を伸ばしてカノンを正面から見据える位置に戻すと、「あなたの気持ちは確かに受け取ったわ」と笑顔を見せた。

 カノンは、顔をくちゃくちゃにしながら頷くと、もう一度リーファに抱き着いた。

「リーファ。もっと早くあなたに会いたかった」

「カノン。ありがと。私を頼ってくれて。これからもよろしくね」

「うん」そこでようやくカノンは笑顔を見せた。

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