第63話 霧
細かい打ち合わせを終え、ニースはグロティア確保のため、待機している部下の元へ向かった。代わりにニースの部下2人が、こちらにやってきた。若い俊敏そうな男性である。味方であることの証の赤い布を左手首に巻いてある。私達も同様に赤い布を左手に巻いた。
グロティアは、朝7時に自邸を出発して、夜8時に自邸に戻ってくる。特別な事情がない限り、このサイクルで行動する。朝、自邸を出て城に向かう途中で、ニース達が速やかに馬車ごとグロティアを確保する手筈になっている。
そして、その時間に合わせて、キスカ隊が留置場に急行し、王女と幹部を確保、王女から王へ働きかけてグロティアの罪を糾弾する。そんな計画だ。
グロティアの確保が重要と話したが、王女の救出もそれに劣らず失敗が許されない重要事項だった。
さて、霧の発生がこの計画の肝となる。
リーファは夜明け前に起きて、一人川辺に立った。
神経を集中する。
すると、川からふわふわっと水蒸気が立ち上った。
(よし、これを町全体に広げるだけだわ)
さらに神経を集中する。が、いつまで経っても霧は広がっていかない。
(どうして?)
そうしている内に夜が明けて、ニース達が動き出す時間が迫ってきた。
(だめだわ。どうしても広がらない)
リーファは、慌ててみんなの元に戻り、キスカに霧が発生しないことを告げると、計画の延期を提言した。
キスカは、ニースの部下を1人を選んで、街中で待機しているニースの元に走らせた。
リーファは少なからずショックを受けていた。
(こんな筈では)
魔法が効かないなんてあるのかしら。
カミーユが見かねて声をかけてきた。
「霧は必ず発生する。信じよう」
私の悩みとはちょっと違うけど、そんな励ましさえ、有難く、心強かった。
「うん」
マキがこちらを見て、近づいてきた。
どうやらマキは、私のやろうとしていることを見抜いているようだった。
「リーファ。霧」
「うん。ダメだった」
「ダメ? そんなことあるの?」
「うん、何でか分からない。キスカがここでは霧が発生しないって言ってたけど、気候や湿度の違いって影響するのかな?」
「うーん。どうなんだろ。海の上なら100%なんだけど。陸でミスト(霧)の魔法は使ったことないし」
「マキ。ごめん、手伝ってもらっていい?」
「リーファ。魔法は人間界では禁止よ。....でもまあ、今回だけなら」
「うん。ありがとう、マキ」
ニースが新たな情報を仕入れてきた。
明日になったら、王女が移送されるらしい。
どこに移されるか分からないが、手の届かない場所だったら、万事休すとなる。その前の奪還となると、今夜あるいは明朝となる。チャンスは2回。それまでに確実に霧を発生させないと計画は水の泡となる。
キスカとカミーユ達は、霧が発生しなかった場合の対処法について、議論を重ねている。私とマキは海の様子を見てくると断って、議論から抜け出した。
川の水蒸気量では、街全体を覆う量の霧を供給できない可能性を考えて、少し距離はあったが海まで足を延ばした。
空は曇っているが、西の方を見ると雲が途切れている。沈みかけの夕日の陽ざしが西から射しこんでいた。街全体がオレンジ色に輝いている。美しい光景に目を奪われるが、もう1時間もすれば日が暮れ、闇に覆われる。その町全体がボンヤリとした霧に覆われることを想像する。
リーファとマキは、人気のない小さな灯台の麓まで足を延ばして、海を見つめながら意識を集中させる。
「ミスト(霧化)」2人で声を合わせる。
海上に、ゆらゆらと水蒸気が立ち上る。
水蒸気が海面に漂い、密度を増しながら徐々に広がっていく。
港湾内が完全に霧に覆われた。
(ここまでは成功。後はこれを内陸にまで満たせれば)
「川を使えばあっという間よ」マキが言った。
海上の霧を川伝いに運びながら、霧を内陸に拡散させていく。
霧がゆらゆらと街を吸い込んでいく。
やがて、日が暮れる頃には街全体が霧に覆われるようになった。
「グロティア様、カノン王女の身柄を移す準備は整いました」
「ご苦労」
グロティアは、部下の報告に満足そうに頷く。
「外は珍しく濃い霧に覆われています」
「霧だと? 珍しな」
「王女の移送は明日だ。明日には霧も晴れるだろう。もし晴れない場合は時間をずらすしかないが、それは明日考えればいい」
「ところで、憂国の士の残党はどうなってる?」
「はい。今日の時点で4人確保しました」
「キスカ・レンとニース・サラマンカは?」
「申し訳ございません。隈なく探しているのですが、未だ手掛かりがなく」
グロティアは、イライラした感情を前面に押し出し、目の前の部下を恫喝する。
「ちっ。役立たずめ。何をぐずぐずしている。何としてもでも探し、この場に連れてくるのだ。いいな」
「はっ」部下は恐縮しながら下がった。
ソロモン国宰相グロティアは、両の眼差しを左右に動かしながら、自分の席の前を行ったり来たりしている。神経質そうな顔の奥には狙った獲物を逃がさない猛禽のような鋭さも備わっている。
「グロティア様、カノン王女の扱いをどうされようと考えているのですか?」
報告に来た部下と入れ違いに、切れ長の目をした30代後半を思わせる女性が入ってきた。鷹揚に振舞っているが、それを微塵も感じさせないしたたかさを彼女は備えている。
「シュラか。我らにとって、正直非常に目障りな存在ではあるが、さりとて臣下である私が王女をどうこうもできん。せいぜい監視をつけて、行動に制限をかけることくらいだが、そなたはどう思う」
「そうですね。いっそ他国へやってしまってはいかがでしょう。適齢期ですし、ブエナビスタの王子と婚約なさっているとか。そうすればスッキリなさるのでは」
「まだ難しいな。王が首を縦に振ってくださらない。王は未だカノン王女に国を継いでもらいたいと考えておられる。それに今は良くない。カノン王女がブエナビスタの妃になれば、必ず復讐のため軍をこちらに差し向けてくるだろう」
「あら、なら王女にも薬を使えばよろしいじゃありませんか。王に使っている薬と同じ薬で骨抜きにしてした上で、ブエナビスタに送り込んでしまえばいいのでは。ガイル・コナー殿に言い含めておけば、うまく対応するでしょう」
シュラはにやっと笑って、グロティアに問うような目を向ける。
「シュラ。カノン王女はお嫌いか?」
「大嫌いですね。私達のやることに悉くケチをつけて、鬱陶しいったらありゃしない」
シュラは吐き捨てるように言い放つと、話題を変えた。
「ブエナビスタと言えば、国境海域の調査はいつ再開されるのですか?」
「ああ、間もなくだ。船不足でどうにもならなかったが、戦線が膠着している今なら、調査用に1、2隻引き抜くこともできる」
「そう。安心しましたわ。さすがグロティア様、頼りにしてますわ」
「シュラ。もう帰るのか」
「はい。何かご用がお有りですか?」
「外は深い霧に覆われているそうだ」
「そのようですね。面倒臭い限り」
「霧は隠したいものも隠したくないものも全て等しく覆い隠す」
シュラは意外なものを見るような目つきでグロティアを見る。
「そんな叙情的なことを口にされるなんて、珍しい。御身も霧に隠したらどうですか? 帰宅ルートを変更すれば正に存在を隠すことになります。思いつきも実践してみると案外楽しかったりするものです」
「なるほど、そうしよう」
「では、お先に失礼します」
新年、明けましておめでとうございます。
寒さが身に染みますが、皆さまどうお過ごしですか?
冬は暖房必須ですね。やせ我慢しないでガンガン部屋を暖めてます。
この作品もお陰様で63話と続けることができました。
本当にありがとうございます。
今後もより一層磨きをかけた作品をお届けしていきますので、本年もよろしくお願いいたします。
次週、64話「決行」をお届けします。




