第5話 噂
アンデルセン童話「人魚姫」をリアルに今風な物語として書いてみました。世界は愛で満ちている、そんな愛のあふれる物語を書いています。
第5話は、嵐の海で人魚が王子を助けて後、8年後の世界です。
-8年後 ブエナビスタ王国-
「カミーユ。今帰りか?」
目の前に現れたのは、親友のハイドライドだ。
「ああ、テストも終わったし、ゆっくり家でくつろごうと思って」
「で、テストどうだった?」
ハイドライドが肩に手をかけて尋ねる。
「終わってホッとしてるけど、哲学と古典文学。この2つはちょっとやばいかも」
「古典文学はともかく、哲学は難解だったからな」
カミーユは今年で18歳になった。今はアルフレッド国立大学に通っている。横にいるハイドライドは小学校の時からの親友だ。いつも陽気で深刻さを感じさせない少し軽いところもあるが、ずっと一緒にいても疲れないタイプの友人だ。彼の父は政府の高官でもあり、親同士も仲が良い。
「久しぶりにお茶でもどうだ? おごるよ」
「いいね。じゃあ、いつものカフェに寄るか」
2人は連れ立って馴染みのカフェのドアを開ける。
モダンな装飾を施された店内には、同じように試験が終わっておしゃべりを楽しむ学生で埋め尽くされていたが、その中の空いている席に2人は腰かけた。
「コーヒーのブラックとラテを1つずつ」
注文を取りに来たウェイトレスに、飲み物をオーダーすると、ウェイトレスはにっこり微笑んで、「かしこまりました」と言って店の奥へ歩いていった。
「ハイドライド。お前はどうだったテスト」
「ぼちぼちかな。よくできたとは言えないけど。親父に怒られないくらいの点数はとれたと思う」
「お前の親父さん、厳しいからな」
「厳しいか。うーん、ちょっと違うな。うるさいんだ。いろいろと細かい。お前のところの家庭教師と似たようなもんかもな」
「なるほどね。僕の教育に関して親は家庭教師に一任だからね。国の事であれこれ忙しいから、子供の成績の事まで目配りしていられないというのはその通りなんだと思うけど。その分家庭教師が張り切っているから、ちょっとやりにくい。今日はオフだけど、明日からまたみっちりだ」
「大変だね。王位継承者はスケジュールびっちりで。同情するよ」
ハイドライドがテーブルに置かれたラテを口にしながら言った。
「ところで、イースがまた告られたってよ」
ハイドライドが幾分興奮気味にカミーユにささやいた。
「へえ、何度目だ?」
「4回目じゃなかったかな」
「モテモテだな」
「いい男だからな。俺が女だったら、やっぱりアタックするだろうな」
ハイドライドは、何かを想像しているのか、遠い目をして話す。
「アタックして、玉砕だな。あはははは。目に浮かぶ。残念だったな」
「うるさいっ」
「あいつは女に興味なしだからな。そこがまた魅力的にうつるんだろう。うらやましいか?」
言いながらハイドライドの表情を盗み見る。
「全然。俺だって、その気になれば」
「その気になれば....。?」
「....モテルさ。まだこれからだ。俺の魅力が開花するのは」
「はいはい。いつだろう。50年後だったりしてな」
「お前なっ」
ハイドライドとのいつもと変わらない会話に安堵する。
「ところで、ソロモンの許嫁はどうなった? 音沙汰なしか?」
ハイドライドが再び話題を変え、覗き込むようにこちらを見る。
「ああ。どうなってんだろうな。親父が何考えているのかさっぱり分からん。国同士のことだし、難しいのは分かるが、はっきりして欲しい」
「ソロモンとは昔は交流もあって仲良かったのにな。今じゃあもう...」
目で頷くと、ハイドライドはさらに続ける。
「やっぱりデグレト海戦か。あの戦い以来、未だ国境付近は緊張している」
「いっそ結婚しちまえよ。ソロモンの姫は噂では絶世の美女だっていうし。両国の平和のためにもそれがいい。会ったことあるんだろ」
ちょっと考える仕草をする。前半の冗談は無視して、質問に答える。
「ああ。8年前、王の代理でソロモンに行った時に会った」
「どうだった?」
ハイドライドが目を輝かせながらずいっと身を乗り出した。あまりの勢いにのけぞってしまう。
「さあ、普通の子だったな。まあ当時10歳だったし。かわいいかかわいくないかと言われれば、かわいい方だったかな」
「それだけか。んだよ。つまんないやつだな。もっと面白い話が聞けると期待したんだけどな」
「悪かったな。つまんなくて」
ハイドライドの勝手な期待と勝手な失望に、苦笑いする。
ハイドライドはいい奴なんだが、少々口が軽い。おまけに公の場なので話せることが限られている。
実際のところは、そう単純ではない。
カミーユがまだ幼い頃、国王同士が意気投合して、両国の関係強化のためにソロモン国の姫とブエナビスタ王国の王子が婚姻の約束をしたのは事実だった。それは確かだ。しかし、ソロモン王の跡継ぎの王子が若干6歳で急死すると、ソロモン王は人が変わったように周辺国の侵略を始めるようになった。
その触手は、ここブエナビスタ王国も例外ではなく、5年前の春、突如ソロモン国の艦隊が国境を越えて侵攻してきた。
ソロモンの艦隊は、国境付近の島デグレトに上陸すると、漁村に火を放ち略奪を行った。急報を受け、急遽艦隊を編成して派遣することになったが、艦隊を派遣する前に入った続報で状況は変わった。
デグレトで海戦が行われ、ソロモンの艦隊が壊滅的な損害を受け、逃げ帰ったというものだ。
時間の経過とともに、詳細が伝えられた。
たまたまデグレトにいたギル・マーレンが、異変を察知して住民を素早く海岸から島の奥地へ避難させ、ソロモン船による漁村への略奪行為を確認すると、義勇兵を募って、島の反対側の港から船を駆り出して、夜陰に乗じて停泊中のソロモン艦隊に火をかけると同時に勝利の余韻に酔って漁村で宴会をしていたソロモン兵に奇襲をかけた。ソロモン兵は思いもかけない攻撃に反撃らしい反撃もできないまま焼け残った船で海上に逃れると、そこでも火攻を受け、30隻の内、本国にたどり着いた船はたった4隻という大損害を受けた。これが世に有名なデグレト海戦だ。
戦いの勝利にブエナビスタ王国は大いに沸いた。そして、ギル・マーレンは一躍国中から英雄に祭り上げられた。外交・政策の人とも思われていたギル・マーレンが軍事で臨機応変に対応して、国の危機を救ったことに国王も声を大にして喜んだ。
しかし、大臣の中にはこの勝利を「勝ちすぎることは却ってソロモンの恨みを増すだけだ」と危険視する者もおり、これに同調する者も少なからずいた。大臣の発言自体は正論ではあったが、この発言がギル・マーレンの活躍を嫉妬する者に利用されだすようになると、国王はギルの職務を変更し、王子付にして、王宮内の不満分子の鎮静化を図った。ギルもこうるさい声の中では仕事がしづらいと言って素直に異動に従った。
ソロモン国とは、それ以降国交は断絶し、険悪なままだ。
ソロモン国はその後も毎年のように周辺国に兵を出しているが、ブエナビスタの国境を越えた侵攻はデグレト海戦以降行われていない。あの海戦での敗北が我が国侵略へのブレーキになっていると軍の首脳が見解を示していた。その意味ではギル・マーレンの功績は絶大であったと言える。
両国の関係が昔とすっかり変わってしまったので、許嫁とは言え、婚姻を結ぶ話はどちらの国からも言い出せていない。なら、婚約を破棄すればいいのだが、ブエナビスタから婚約破棄を伝えることは、警備を厳重にしているとは言え、再度の侵攻の口実にもなりかねない。国王も今はむやみに相手を刺激するよりは、とソロモン国の出方を待っているような雰囲気だ。どちらにしても、今では国王はもとより大臣達も、公には言わないがソロモンとの婚姻については白紙に戻したいと思っている。
という訳で、許嫁の話はないものと思っている。
親友とは言え、こんな込み入った話をする訳にもいかないな、と思いながらも、8年前10歳の頃のソロモンの姫の姿を思い出す。
(そう言えば、気の強いやんちゃな娘だったな)
「どうした? ソロモンの姫の想像でもしていたか?」
ハイドライドがニヤニヤしながら、からかうように言ってきた。
(普段鈍感なくせにそういうところはなかなか鋭いんだよな)
「まあ、そんなところだ」
話を切り上げて、席を立とうとしたところで、ハイドライドがぼそっとつぶやく。
「デグレトでまた人魚が目撃されたって。最近多いな。人魚の目撃情報」
「!」
一瞬、全身の動きが止まる。
ハイドライドが何気なく口にした「人魚」に全神経が釘付けになる。まるで全ての細胞が「人魚」という言葉に反応して、機能停止してしまったかのようだ。心臓だけがドクドク存在感をもって動いている。心臓の鼓動、そして熱量がダイレクトに脳を刺激する。ドクンドクン。ドクンドクン。
(デグレト。やはりデグレト! デグレトに人魚がいる)
体の芯が熱くなる。顔が火照ってくる。
カミーユは、今自分がどんな表情をしているのか目の前の親友に見られたくなくて、視線を外して、店内の装飾を見る振りをする。そして、努めて平静を装って、気持ちとは裏腹な答えを示した。
「はは。どうせイルカかあざらしの類を見て、人魚を見たなんて、そんなとこだろ」
「だよな。でも、不思議だよな。人魚だなんて本気で信じる人がいるんだもんな」
カミーユは、一呼吸してから荷物を肩にかけ、ハイドライドと向き合うと、言った。
「俺も、もし人魚がいるのなら、是非会ってみたいと思ってる」
本作品をお読みくださり、ありがとうございます。
朝起きるのに気合が必要な季節になってきました。朝方のふとんの温もりって、ある意味「最強」な気がします。ただ、ここをだらだらしてるとあっと言う間に時間が経って窮地に陥ることも分かっているので、気合を入れて「ふとんから出る」を頑張る日々が続いてます(笑)
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では、次回1週間後に更新します。